けましておめでとうございます!

年が明けましたね。

皆さんの2015年はどんなものでしたか?

「歳をとるごとに、一年一年過ぎ去るのが早く感じる」

のを痛感しています。

2014年はあっという間に過ぎ去ったと思ったのにも関わらず、

2015年はそれ以上に早く思えました。


さて、ほとんど予定を入れていなかった年末でしたが、

気づいてみれば、バタバタして忙しかったです。

特にクリスマスにワンちゃんたちを引き取ってからは、

生活リズムを立て直すのに精力を費やしてきたので、

息抜きの時間もままならなかったように思えます。


という状態だったので、昨日の大晦日は

2015年最後の日ということで、

寝不足でしたが、気を引き締めて

だらだらした一日にならないように心がけました。


気を引き締めるなら、やはり神の御言葉から!

と思い、忙しくてないがしろにしていた

デボーションの時間を久しぶりに持ちました。


詩篇を読んでいるところだったので、

止まったいた章(詩篇98)から読み出すと、

まぁ!新年にふさわしいメッセージというか、

エールのようにも感じられました。


「新しい歌を主に歌え。」と始まる詩篇98章は、

そこで私の注意をひきました。

さらに読んでいくと、こう呼びかけています。



「全地よ。主に喜び叫べ。大声で叫び、喜び歌い、ほめ歌を歌え。立琴に合わせて、主にほめ歌を歌え。立琴と歌の調べに合わせて ラッパと角笛の音に合わせて、主である王の御前で喜び叫べ。海と、それに満ちているもの。世界と、その中に住むものよ。鳴りとどろけ。もろもろの川よ。手を打ち鳴らせ。山々も、こぞって主の御前で喜び歌え。」



私たちがこの世界にいられる時間は、自分で決められません。

毎年、毎月、毎週、毎時間、毎分、毎秒、

全て神から与えられるものです。

あるブロガーが言うように、

「私たちは生かされている」のです。

そう思うと、また新の一年を与えてくれ、

ある意味で時間をリセットしてくれた神に

感謝の気持ちでいっぱいになりました。


特に7-8節は、

神によって造られたこの世界と、その中に住む全てのものが

神を誉め称え、賛美しているのを描写し、

想像しただけで、心が喜びで満ちあふれました。


今年は、誰も予期しなかった

母の健康状態の一件もあり、

人生本当に何がいつ起きるか分らないものだし、

私たちが走っているこのレースは、

自分たちのコントロール外のものだと

さらに実感しました。


でも、まだレースから外されていないのだから、

自分のできること、すべきこと、やりたいことが

まだまだあります。

そんなレースにまだ参加させてもらっていることに

喜びを感じ、感謝せずにはいられません。

この気持ちがずっと最後まで続く2016年でありますように。



 詩篇98(全章)

98:1 新しい歌を主に歌え。主は、奇しいわざをなさった。その右の御手と、その聖なる御腕とが、主に勝利をもたらしたのだ。

98:2 主は御救いを知らしめ、その義を国々の前に現わされた。

98:3 主はイスラエルの家への恵みと真実を覚えておられる。地の果て果てまでもが、みな、われらの神の救いを見ている。

98:4 全地よ。主に喜び叫べ。大声で叫び、喜び歌い、ほめ歌を歌え。

98:5 立琴に合わせて、主にほめ歌を歌え。立琴と歌の調べに合わせて。

98:6 ラッパと角笛の音に合わせて、主である王の御前で喜び叫べ。

98:7 海と、それに満ちているもの。世界と、その中に住むものよ。鳴りとどろけ。

98:8 もろもろの川よ。手を打ち鳴らせ。山々も、こぞって主の御前で喜び歌え。

98:9 確かに、主は地をさばくために来られる。主は義をもって世界をさばき、公正をもって国々の民を、さばかれる。