紙をめくり、目次に目を通した後、

第一章が始まる前のページに書かれてあった聖句

身を殺して
魂をころし得ぬ者どもを
懼れるな。

(新約聖書 マタイ伝 第10章 28節)

がテーマとなる三浦綾子さんの「岩に立つ」。


解説の水谷昭夫氏が言うように、

初めに驚かされたのは、その語り口でした。

慣れるまで数ページかかりましたが、

主人公鈴本新吉による「力強い男語り」は、

やはりインパクトありましたね。


さらに、「『岩に立つ』は痛快である。」という水谷さんの言葉は

最も適切にこの小説を一言でまとめていると思います。

その痛快さは、鈴本新吉のまっすぐな性格と

破天荒な生き方からきているもの。


名の知れ渡っているやくざのボスにも怯まずに立ち向かい、

徴兵されてからは、星の数がものを言う

軍国主義の日本の制度のもとでも

上官、誰彼構わず、正しいことは正しい、

間違っていることは間違っている

と、正義を貫き通す主人公。

まさに、「身を殺して、魂を殺し得ぬものを懼れない」生き方。


その懼れがないのは、本物の「愛」を心から理解し、

しっかりと受け止めていたからではないかと思います。

なぜなら、「愛」の正反対は 「憎しみ」や「嫌悪」ではなく、

「懼れ」だからです。「愛」のあるところに「懼れ」はないからです。


愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。
ヨハネの手紙一 4:18


私も最近になって、「愛」と「懼れ」が正反対だということに

納得できるようになりました。

生活の中で面する困難も、自分は愛されているという事実、

最終的には乗り越えることができると確信できるのなら、

心に平安が生まて、懼れも不安も形なく溶けていくことでしょう。


その時になって、初めて人は

のびのびと生きられるのではないだろうか。

鈴本新吉の生き方に懼れがないのは、

「キリストの愛」という堅い岩の上に

人生を築いていたからでしょう。