昨日(3月29日)、世界各国で
「パームサンデイ(Palm Sunday)」 が祝られました。
パームサンデイは、イエスがイエルサレムに「都入り」
したことを祝うイベントです。
ユダヤ人が過ぎ越しの祝い
(モーセ率いる祖先がエジプトの圧政から脱出したのを記念する
ユダヤ暦の1月14日に行うユダヤ人の祭り)
のためイエルサレムに集まるこの時、
イエスはろばの子に乗って、都入りしました。
その400年も前に預言された「救世主」の登場とピッタリ当てはまりました。
シオンの娘よ、大いに喜べ、エルサレムの娘よ、呼ばわれ。見よ、あなたの王はあなたの所に来る。彼は義なる者であって勝利を得、柔和であって、ろばに乗る。すなわち、ろばの子である子馬に乗る。
ゼカリヤ書 9章9節
ユダヤ人はこの救世主を待ちに待っていたので、
イエスがろばの子に乗って現れた時は、
ヤシの樹の葉をイエスの通る道に敷き、
「ホサナ」(神の救い)と讃美し、喜び叫びました。
復活祭の前夜祭みたいで見落とされがちなのですが、
このパームサンデイを今までにない観点から見た意義を
昨日の日曜礼拝で牧師さんは説いてくれました。
よく考えてみれば、イエスの都入りは
勝利を勝ち取った後に行われるパレードみたいなもので、
勝利をまだ勝ち取っていないうちにパレードをするのは
おかしなものです。
例えば、毎年アメリカでは「スーパーボール」
(アメリカンフットボールの決勝戦)の後に
優勝チームがパレードをするのですが、
まだ試合をしていないうちから勝利を保証して
パレードをする人はいません。
ところが、イエスは、自信をもって、
「勝利のエントリー」をなされました。
自分は勝利への道に確実に進んでいる
ということが分っていたからです。
「勝利への道」
すなわち、十字架にかけられる道。
これから十字架にかけられるのに
「勝利」なのか?
イエスの登場を祝う人々も
イエスの都入りの本当の目的を知っていたなら、
同じように祝うことはなかったでしょう。
だれもが、イエスはローマ帝国の支配から
自分たちを解放してくれる、救ってくれる王
としてやってきたと思っていたからです。
十字架にかけられて死んでしまうとは
夢にも思っていなかったでしょう。
ですが、イエスは反抗することもなく、
生け贄の子羊のように、なされるがままに
十字架にかけられ、死んでしまったのです。
イエスの目的は、
人間の永遠の命にあったからです。
この世に生きている時に限らず、
永遠の勝利が目的だったのです。
世界中の罪を帳消しにするためには
自分の血が必要であると分っていました。
十字架にかけられることで、
イエスは勝利を勝ち取ってくれました。
今、どんな逆境や困難に立ち向かっているとしても、
勝利はもう決まっています。
イエスが既に勝利を勝ち取ってくれたからです。
イエスを信じる者にとっては、どんな困難も艱難辛苦も
一時的なもので、必ず過ぎ去るものです。
だから自信を持って私達も勝利を祝いましょう!
パワフルで勇気づけられたメッセージでした。
イエスに希望があります。
今自分の面している困難に希望が見えなく、
絶望的になっているのでしたら、
イエスにある希望を探してみてはどうでしょう。
イエスがろばの子に乗って現れた時は、
ヤシの樹の葉をイエスの通る道に敷き、
「ホサナ」(神の救い)と讃美し、喜び叫びました。
復活祭の前夜祭みたいで見落とされがちなのですが、
このパームサンデイを今までにない観点から見た意義を
昨日の日曜礼拝で牧師さんは説いてくれました。
よく考えてみれば、イエスの都入りは
勝利を勝ち取った後に行われるパレードみたいなもので、
勝利をまだ勝ち取っていないうちにパレードをするのは
おかしなものです。
例えば、毎年アメリカでは「スーパーボール」
(アメリカンフットボールの決勝戦)の後に
優勝チームがパレードをするのですが、
まだ試合をしていないうちから勝利を保証して
パレードをする人はいません。
ところが、イエスは、自信をもって、
「勝利のエントリー」をなされました。
自分は勝利への道に確実に進んでいる
ということが分っていたからです。
「勝利への道」
すなわち、十字架にかけられる道。
これから十字架にかけられるのに
「勝利」なのか?
イエスの登場を祝う人々も
イエスの都入りの本当の目的を知っていたなら、
同じように祝うことはなかったでしょう。
だれもが、イエスはローマ帝国の支配から
自分たちを解放してくれる、救ってくれる王
としてやってきたと思っていたからです。
十字架にかけられて死んでしまうとは
夢にも思っていなかったでしょう。
ですが、イエスは反抗することもなく、
生け贄の子羊のように、なされるがままに
十字架にかけられ、死んでしまったのです。
イエスの目的は、
人間の永遠の命にあったからです。
この世に生きている時に限らず、
永遠の勝利が目的だったのです。
世界中の罪を帳消しにするためには
自分の血が必要であると分っていました。
十字架にかけられることで、
イエスは勝利を勝ち取ってくれました。
今、どんな逆境や困難に立ち向かっているとしても、
勝利はもう決まっています。
イエスが既に勝利を勝ち取ってくれたからです。
イエスを信じる者にとっては、どんな困難も艱難辛苦も
一時的なもので、必ず過ぎ去るものです。
だから自信を持って私達も勝利を祝いましょう!
パワフルで勇気づけられたメッセージでした。
イエスに希望があります。
今自分の面している困難に希望が見えなく、
絶望的になっているのでしたら、
イエスにある希望を探してみてはどうでしょう。