妹が10年以上前にうちに置いて行った本の中に
志賀直哉の「暗夜行路」がありました。
(あることを10年以上も忘れていました。
というか、あることさえ知らなかったと思います。)
読み始めてから実はまだ読んでなかったことに気づき、
この名書を読んでなかったことが信じられませんでした。
少し興奮と期待の気持ちで読み始めたのですが、
読み始めてまもないうちに、志賀直哉の書き方は
とても読みづらいと思いました。
昭和13年の書物なので、漢字も多いし、使っている言葉も
表現の仕方も慣れない所もあるのですが、
一番苦労したのは、彼の言いたい事、
意味が理解できないところにありました。
何の目的でこう書いているのか、何を言おうとしているのか
とストップをかけて、じっくり考えてからでないと
前に進めない私でした。
一定速度で読み進められる本と比べて、「暗夜行路」は
ブレーキをかけながら運転しているようなもので、
進んではいるのですが、気持ち的にも車酔いに似た不快感があり、
ちょっと「下車」したい気分になっていました。
これは、自分の解読力がないからだろうか?
とちょっと落ち込みの気持ちで読んでいましたが、
やっと読み終えた今日、あとがきの評論を続けて読んでいくと、
『志賀直哉のスタイルは「思いのまま」に書くということですが、
これは実はなかなかできないことであるのと同時に、
そのため、文学研究をしている専門家でも分らないところがある』
というようなことが書かれてありました。
ふぅ~、そうだったのか!とホッとした私でした。
そして読みづらかった理由のもう一つは、
主人公「謙作」の性格というか、気性というか、
常に物事の解釈をし過ぎていて、考えすぎるところがあって、
それで、自分の中で正しいかも分らない推測や他人の言動や行為に
いちいちむっとしたり、不愉快に思ったりと
「こんなことでも気をわるくするの?」
と読者として気持ち的に疲れてきました。
読んでいる時はちょっとイライラしてきたのですが、
考えてみると、「暗夜行路」というストーリーは
もともと運命にいたずらをされているような主人公の人生を
描いているので、読者の私がそういう主人公に苛つきを感じるのは
志賀直哉が読者を物語の中に引き入れることに成功した
すごい作者であるという事なんだと気付きました。
この物語自体、黒い雨雲に覆われたような人生に
打ちのめされないように懸命に強く生きる主人公の物語だから、
全体的に暗い、どんよりとして雰囲気を醸し出していて、
性格のさっぱりした明るく、朗らかな主人公では
主旨と合わないわけで、最後の方まで読んで、初めて
なるほどと納得できました。
ブレーキをかけながら読んだ上に、
今まではひらがなでしか知らなかった言葉が
漢字で書かれてあったり、当時の文化が沢山描写されている
この本は、すこし教科書のようでした。
おかげで、読み終えた今、前より知識も増え、
少しは頭もよくなったかも!と自己満足しています。
最後に、今旅行中ですが、
私がラストスパートをかけてこの本を読み終えようと
ひたすらページをめくっている最中、
私の隣では、睡魔と闘いながら5時間ほどの運転を
頑張ってくれた夫がいました。
そんな夫に心から感謝です。