邪の引きかけでちょっとダウン気味ですが、

オレガノとハーブティーと祈りで一生懸命

それを振り切ろうと頑張っているここ数日です。



前回の投稿(「夕あり朝あり」)で「夕あり朝あり」を読んで

最も心に残ったことが二つあることを書きました。

一つ目は、主人公五十嵐さんの純粋な信仰心に感嘆したことですが、

二つ目は、信仰心を反映した五十嵐さんの生き方が周りの人達にもたらした影響です。


私たちクリスチャンは、「地の塩、地の光」であると、イエスは言っています。

 あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。 
14 あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。 
15 また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである。 
16 そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。 
マタイによる福音書5章13-16節

五十嵐さんは、まさしく「地の塩、地の光」として生きてきました。

10年務めてきて、しかも待遇も良かった三越を離れて、

独り立ちしようと決心し、辞表を出しました。

専務の家に呼ばれて、理由を問われた時、五十嵐さんは、

「この世での自分の本当の願いは、自由にキリストをのべ伝えたい事」

だということを申しあげたとのこと。

路傍伝道に石粒が飛んできたり、信者には家を貸さないものもいる

明治の時代、日比専務は熱心に自分の言うことを聞いてくれて、

未練を残しながら、五十嵐さんを送ってくれたそうです。


その後、常務であった藤村さんにも引き止められたものの、

「神の前に堅く決心した事」であったので、辛かったものの、

返された辞表を受け取らなかった五十嵐さんでした。

そして、何を始める計画かと問われて、

「洗濯屋」と言って藤村常務を驚かせたのですが、

(洗濯屋というのはあの時代では人の汚れ物を扱う仕事として

見下されていた)、それだけではなく、五十嵐さんが

「洗濯屋」に行き着くまでに考慮にあった条件を書いた紙切れを

見て、藤村常務はもっと驚いたのです。


条件の一つに、「三越の営業に抵触しないこと」とあって、

普通なら、長年の経験を生かしたいと思うのが人情で、

三越を通して知り合った問屋に相談して自分の店を持つ人もいた中、

こういう風に考慮している人は初めてみたと藤村常務は沈黙してしまいました。


が、「キリスト教のことは詳しくは知らないが、

今何箇条かを見ていて、おぼろげながら、分ってくるものがある」

と「応援させてもらいたい」という言葉を餞別にもらったのです。


このように、ノンクリスチャンの前でも、

(そしてそのノンクリスチャンが上司であったのにも関わらず)

自分の信念、決意の奥にあった信仰を隠さずにきちんと話したから、

藤村常務もキリスト者とは何なのか、少しながら、見えてきたのです。


でも、一番私の心に残った話は、五十嵐さんが

表通りが工場への通り道となっていた

自分の持家を改造して伝道所(後の富ヶ谷教会)とし、

結果として、数百人の礼拝が行われる教会堂ができただけではなく、

会社の従業員が次々と洗礼を受けるようにもなり、

それのおかげで、白洋舎の職場が和気藹々となり、

昼休みには賛美歌のコーラスが
流れるようにまでになったとのこと。

さらには、集金をごまかすものや


客の品を質に入れるものもいなくなり、

次々と富ヶ谷教会に通うものが増えたそうです。


「地の塩、地の光」であった五十嵐さんは、

「塩」としての味を効かせ、

「光」としてのあかりで周りを照らし、

「天にいる父」を崇めるように生きたのです。


そして、御言を行う人になりなさい。おのれを欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけない。 
23 おおよそ御言を聞くだけで行わない人は、ちょうど、自分の生れつきの顔を鏡に映して見る人のようである。 
24 彼は自分を映して見てそこから立ち去ると、そのとたんに、自分の姿がどんなであったかを忘れてしまう。 
25 これに反して、完全な自由の律法を一心に見つめてたゆまない人は、聞いて忘れてしまう人ではなくて、実際に行う人である。こういう人は、その行いによって祝福される。
ヤコブの手紙1章22-26節


この教えを五十嵐さんの人生に見ることができます。

五十嵐さんは、聞いて、実際に行う人でした。

そんな話がいっぱい詰まった「夕あり朝あり」は、

次のページに進むのが待ち遠しかったほど

励まされる五十嵐さんのストーリーでいっぱいでした。