は何を読もう?

と本棚の中にある本を見ていた所、

三浦綾子さんの本が読みたくなりました。

20冊ほど並んだタイトルに目を通すと、

「夕あり朝あり」で目が止まりました。


持っている三浦綾子さんの本は

全部一度は読んだと思っていたのですが、

「夕あり朝あり」の概要を読んでもピンと来なく、

これだ!と手にとりました。


FBを通して、私が「夕あり朝あり」を読んでいると知った妹は、

10年前に置いて行ったのに、今やっと読んでるの?!

と驚きの声。(いや、呆れの声と言った方がよいかも 笑 )


でも、いいお話は一度読み始めると、止められませんね。

久しぶりに読む三浦綾子さんの本、心が

言葉にはできない素晴らしさで満たされました。


特に「夕あり朝あり」は、日本に最初にドライクリーニングを

取り入れた五十嵐健治さんの生涯小説で、実話なので

最初から最後まで胸を打たれました。


私からしてみれば、フィクションのような人生を送った五十嵐さん、

一ページ一ページに溢れんばかりのストーリーが

記載されていましたが、一冊全部読み終えて、

心に最も残ったことが二つあります。


一つ目は、五十嵐さんの信仰心です。

波打つ最初の19年を過ごした五十嵐さんは、

人生に終止符を打とうかと思っていた時、

北海道小樽でキリストと出会い、

それからの人生をキリストのために生きたのですが、

その純粋で一筋な信仰心に私は心を打たれました。


社会は、いつまでも子供でいることを許してはくれなく、

青春期あたりから少しずつ大人になっていくことを求められます。

実際、私ごとですが、13歳になろうとしている長男が

いろんな面で成長できずにいるのにイライラを感じている私です。

もう、13歳になるんだから、こうであるべき!

いつまでも子供みたいにいないで、少しは成長しなさい!

というのが本音です。


子供から大人への成長は、時には

知識が増えると共に、純粋な心が

消えて行く事をも意味します。


ですが、イエスはこう言っています。

「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。
マタイによる福音書 18章3節


五十嵐さんの信仰心は、私にこの節を思い出させてくれました。

人には理解できない、信じられないようなことでも、

五十嵐さんは、神の道はこうであるから、

と聖書の教えをただただ単純に守っていました。


例えば、「スター商会」という同業の競争者が出現し、

五十嵐さんの創立した「白洋舎」の独占していた

ドライクリーニング業界を脅かすものとなった時も、

最初は敵愾心はあったものの、

慕っていた第三の母なる高梨梅姉の「祈りましょう」

の一言で、クリスチャンとしてのあり方を指摘され、

その後は、スター商会の繁栄のために祈り続けたのです。

結果として、スター商会の経営者である師岡氏と竹馬の友となり、

生涯を通して、付き合う仲となりました。


また、名古屋のいとう呉服店(後の松坂屋)の

伊藤社長から、是非名古屋に進出してほしい

という話を持ちかけられた時、

既に資本と人手不足の白洋舎にとっては、


利益よりも、損失の方が目に見えていたのにも関わらず、

この洗濯業は神が与えてくれたものだと

「信仰心を土台にして」立ち上げた事業は

社会奉仕の精神で続ける時もあるとし、

名古屋に支店を開くことに踏み出したのです。

結果として、この名古屋支店は

赤字など、出だしは順調ではなかったものの、

後に、特に東京空襲の時に被害にあった多くの支店の

早い立ち直りの手助けとなったのです。


「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。 」
マタイによる福音書6章33節

五十嵐さんの人生は、まさにこの教えを貫いたものです。

神の国と神の義を一心に求め続けた五十嵐さんは、

必要な時に必要な物すべてを与えられました。


五十嵐さんの人生は決して、問題なく順調なものではありませんでした。

最初に言ったように、フィクションに思えるほど、

色んな試練があったのです。


でも、キリストと出会ってからは、

自分の智慧に頼ることなく、神に身を委ね、

神の教えのままに歩み続きました。

96歳まで生きた人生ですが、

赤子の心を持ち続けた方です。


そういう、一途でピュアな心を私も持ち続けたいです。

(二つ目については次回の投稿で)