岩手県陸前高田市
今回は本当にいろいろな場所をめぐりましたが、その中でも特に衝撃を受けた陸前高田市について発表しました。陸前高田市は東日本大震災で最も甚大な津波被害を被った地域のひとつです。
バスを降りて最初に訪れたのは、上記写真の陸前高田市の震災追悼施設です。こちらには当時犠牲になった市民の名前が刻まれています。なんの前触れもなく突然未来を奪われた方たちのことを考えると、胸が痛みます。
次に訪れたのは海岸沿いに建てられた防潮堤と高田松原です。写真は防潮堤上から海岸方面を向いて撮った写真です。あの日、高田松原は大津波に流されてしまいましたが、現在は新たな松の木が育てられているようです。
奇跡の一本松も見てきました。この松の木は決して偶然助かったというわけではなく、近くにあった建物によって津波から守られたということを知りました。
この写真左側に写っているのがその建物です。こちらも当時のまま保存されています。
最後に訪れたのは『道の駅高田松原』です。こちらは地域の交流拠点となっている他、東日本大震災津波伝承館も併設されています。(建物の全貌を撮り忘れてしまいました😭この写真の場所では例年追悼式典が行われているようです)
伝承館では主に岩手県の被害状況について紹介されていました。岩手県の被害の特徴として、三陸特有のリアス海岸により市街地の被害が拡大したこと、内陸部の大都市との交通が遮断されたものの、組織的な作戦により驚異的な速さで道路の啓開が進んだことなどが挙げられます。
津波で流された消防車や橋の残骸も展示されており、津波の威力を思い知らされます。また、年表の展示もあり、岩手県の復興の歩みを学ぶことも出来ました。
陸前高田市は街全体をあげて、震災のことを忘れずに次の世代に伝えていこうという想いを感じることが出来ました。そして、自分の中で改めて考えることになったのは「復興とは何か」ということです。確かに、震災直後に街を覆った瓦礫は片付けられ、一時期より街はかなり"綺麗に"整備されてきました。しかし、今だに震災前の生活を取り戻せない人や、原発事故の爪痕に苦しむ人もいます。そして何より、大切な人を失った心の傷を癒せていない人も沢山いらっしゃいます。復興に終わりが来るのか、そもそも復興に終わりはあるのか。自分の中で問い続けていきたいと思います。
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広報部3年・よしき