54歳11月からの日記が有ったので記する。


54歳(11/23

A病院

抗鬱剤
(実服薬量)

安定剤
(実服薬量)

頓服
(実服薬量)

    1,0,1

1,0,0

なし

1.                        

薬は朝と夜しか飲んでいない。処方は朝、昼、夜と出ていたかも知れない。安定剤、抗鬱剤を飲むのが怖くて全量は飲んでいなかった。

2.

朝起きた時の不安感は相変わらずあり、気分の落ち込みは大きい。ふと考えた事だが、気が落ち込んだり、不安感がひどくなった時は安定剤を飲むより「自分は元気なんだ」と思い込む方がいいかも知れないと思った。家内と娘と三人で、めったに無い事だが、私のちょっとしたしぐさに皆が笑った時の家内や娘の顔を思い出して「自分は落ち込んでいないのだ、不安な事が有っても大丈夫なのだ」と思い込み気を楽にする方が安定剤を飲むよりいいかも知れないと思った。しかしそれは出来なかった。

3.

不安感や落ち込みにに襲われた時、安定剤に手を出すのではなく、自分が家の中で歓迎されて、皆の笑顔に包まれている自分の姿を想像して気を取り戻す事が出来たらそれが一番いいと思う。安定剤から逃れられる方法を誰も教えてくれないので、自分で手探りでやるしかない。安定剤を止める為のプロセスを持っていて、それに従って治療してくれるところがあったらいいなと思う。会社で自分一人だけ孤立して皆の会話の中に入って行けない苦しさに自分が耐え切れない辛さは誰も分かってはくれない。

4.

10:30頃から体がだるくなり、気分が落ち込み元気がなくなり、15:00頃に更にひどくなるのは安定剤の為だと思う。不安で人と話すのが出来なくなる毎日からどうやって抜け出せるのであろうか。明日からの三連休は仕事で出勤になると思うが、朝安定剤を1/2錠飲んだら、夕方18:30頃までどんなに辛くても飲む飲むのをよそうと思う。



54歳 11/24(金)

処方抗鬱剤(品名不明):1,1,1 処方安定剤(品名不明):1,1,1

服用抗鬱剤:       1.,0,1 服用安定剤: 1,0,0


1.体調 朝:-1.5 昼:-1.5 夜:-1  平均:-1.3 (一日平均最高時:+2、最低時:-2)

2.

抗鬱剤、安定剤とも処方量どおりには飲まなかった。抗鬱剤、安定剤を飲む事が怖かった。このような薬を飲んでいると体がダメになってしまうと思っていた。

3.

今日は休日であった為、朝起きた時の不安感はいつもより少し少なかった。会社に行って社長へ報告する試験報告書が何の邪魔も無く書ける思うと気が少し楽になった。今日は目一杯やって社長への報告書がかけそうだ。

4.

妻が足が悪いのに、何もやってあげられない自分はダメだと思う。少なくとも明日と明後日は犬の散歩には私が行こう。妻が足を悪くしたのは、犬の散歩の為である。犬ががむしゃらに引っ張るので、踏ん張る為に足を悪くしてしまった。

5.

今日は安定剤1/2錠で我慢できた。日中調子が悪かったが、会社で一日中、社長向け試験の報告書を書いていた。H君とS君がN社やR社向け測定をしてくれたので、自分は社長向け報告書を書く事に専念出来た。2人が居なかったらどうしようもなかった。

本来ならば、自分がH君やS君に測定する事の事情を説明し主旨を明らかにして、やってくれるように言うべきところ、二人が、無いも言わないのにやってくれたのは、本来良い事ではない。自分が指示し仕事をやってもらうようにしなければならないところ、それをしなかった。出来なかった。二人に甘えている。


54歳 11/25(土)

処方抗鬱剤(品名不明):1,1,1 処方安定剤(品名不明):1,1,1

服用抗鬱剤:1,0,1 服用安定剤:1/2,0,1/2

1.体調 朝:-1.5 昼:-1 夜:-1.5  平均:-1.3(一日平均最高時:+2、最低

時:-2)

2.

昨日と今日休日出勤。H君と二人でH社向けの資料と、R社向け報告書を作成。午前中、午後とも比較的体調悪くは無かったが、17:10頃H君と別れてから途端に不安感に襲われた。社長への報告の時、また吊るし上げられるのではないかと言う不安感が襲って来た。「それしかやってないのか」と言われはしないかと思うと、急に不安になった。たまらず、18:30に安定剤1/2錠飲んだ。しかし、飲んで不安感は薄らぎはしなかった。ようやく22:00頃気分が落ち着いた。

54歳 11/26(日)

処方抗鬱剤(品名不明):1,1,1 処方安定剤(品名不明):1,1,1

服用抗鬱剤:       0,0,1 服用安定剤: 1/2,1/2,1/2

1.体調 朝:-2 昼:-1.5 夜:-1.5  平均:-1.7 (一日平均最高時:+2、最低

時:-2)

2.

朝目覚める直前、寒気、不安感が発症。明日の社長への報告の事で一日中不安感に悩まされる。H社への出張と重なり重圧となる。社長は「こんな事しかやっていないのか」と言うのではないかと。自分としてはユーザからの仕事を優先せざるを得ず、やっと時間を作ってここまで試験をしたと言う状況なのに。「これしかやっていないのか」と言われたら何と言ったら良いのであろうか。夕食前にコタツでテレビを観ていたが苦しくて居たたまれず、つい自分の部屋に入ってしまう。自分の部屋で誰からも見られずに、ストーブに暖まっているのが一番楽である。


54歳 11/27(月)

処方抗鬱剤(品名不明):1,1,1 処方安定剤(品名不明):1,1,1 眠剤:1

服用抗鬱剤:       0,0,1 服用安定剤: 1/2,1/2,1/2

1.体調 朝:-2 昼:-1.5 夜:-1 平均:-1.5 (一日平均最高時:+2、最低

時:-2)

2.

朝目覚める直前の寒気、不安感はそれほどひどくはなかった。前の晩、寝る前に睡眠薬WPX 1.0を一錠飲んだ為か?。

3.

社長への報告は、思いもかけず、社長が「方向が定まって来た」と喜んでくれた。ただし、私の結論とは別の方向に進んでしまった。私は、再利用した材料は吸湿が多くて、原料に添加するのは困難と結論付けていた。しかし話は再利用できそうだと言う事になってしまった。溶融試験で良さそうな外観になっていたので、そう感じたのであろう。サンプルが良さそうなので自分は反対できなかった。ただ、前日心配していた[そんな事しかやっていなかったのか」と言うような事にはならなず、叱られはしなかったのは良かったしかし、結論の方向が原理的に無理な方向に行ってしまったのは、技術者としては失格である。この先が思いやられる。

4.

夜、宴会があった。しかし、まだ宴席で人と話が出来る状態ではなかったので、苦しかった。早く終わって欲しかった。あのような席で、どんどん話をしたり、冗談を言ったり出来れば人の信頼も得られるだろうにと寂しかった。宴会は騒げないので苦しい。


54歳 11/28(火)

処方抗鬱剤(品名不明):1,1,1 処方安定剤(品名不明):1,1,1 

服用抗鬱剤:       0,0,1 服用安定剤: 1/2,1/2,0

1.体調 朝:-2 昼:-1.5 夜:-1 平均:-1.5(一日平均最高時:+2、最低

時:-2)

2.

H社への報告はまあまあであった。これには代理店の人の援護射撃があったので助けられた。A社の副本部長からも特に文句を言われる事が無かったのは良かった。あれで、H社とのやりとりでしどろもどろになっていたら落ち込みと不安で帰りは苦しみ通していたであろうと思うと、少し救われる思いがする。これもH君が電顕の写真を撮ったり、拡大写真を撮ったり、資料を整理してくれた為である。三日間連休を休まず出てやってくれたから、乗り切れ苦しまずに済んだのである。彼が居なかったら、自分は仕事を続けられない。

3.

安定剤も1/2錠3回で済んだのも助かった。1/2錠3回以上はどんな時でも飲まずにやっていけると言う習慣を身に着けたい。


54歳 11/29(水)
処方抗鬱剤(品名不明):1,1,1 処方安定剤(品名不明):1,1,1

服用抗鬱剤:       0,0,0 服用安定剤:1,0,1/2

1.体調 朝:-2 昼:-1.5 夜:-1.0  平均:-1.5 (一日平均最高時:+2、最低

時:-2)

2.

朝起きた時の不安感や寒気はそれほどひどくはない。但し、目が覚めてからの不安感は相変わらず強い。社長への報告や、H社への報告が終わったのに、相変わらず気分の落ち込みや、不安感は朝起きた時強い。峠を越してもほっとする事が出来ない自分が悲しい。

3.

R社の方からTel欲しいとの事であったが、R社向け試験がうまく行っていないので、どう返答するか困り果て、また、早急に試験して欲しいと言われても、H社向け報告書を月曜日までにやらねばならず、とても手が出せないので、どうしてもTel出来ず苦しみだし、ついに安定剤1/2錠飲んでしまった。


54歳 11/30(木)
処方抗鬱剤(品名不明):1,1,1 処方安定剤(品名不明):1,1,1

服用抗鬱剤:       0,0,1 服用安定剤: 1/2,1/2,0

1.体調 朝:-2 昼:-1.5 夜:-1  平均:-1.5(一日平均最高時:+2、最低

時:-2)

2.

R社向け試験の件で苦しむ。ラインテストをする前には、予備テストをしなければならない。そのような時間的余裕は無い。いきなりラインテストをして失敗したら取り返しが付かない。ラインテストは何段階かの工程を取る為、今年中に100個作るには今から第1段階に入らなければならない。予備テストなしに。また、12/02までにはH社向け報告書を作成しなければならず、予備試験をしている時間的余裕が無い。この苦しさに耐えられず13:00頃安定剤1/2錠飲む。ほとんど効果なし。


54歳 12/01(金)
処方抗鬱剤(Amoxan 10mg):1,1,1 処方安定剤(Cercine5mg):1,1,1

服用抗鬱剤:        0,0,1 服用安定剤: 1/2,1/2,0

1.体調 朝:-2 昼:-1 夜:-1  平均:-1.3 (一日平均最高時:+2、最低

時:-2)

2.

目覚める直前寒気有り。目覚めて不安感に襲われる。耐えかねて6:25セルシン1/2錠飲む。ほとんど効かず。いつもと同じ朝の落ち込み、不安感有り。ただ、症状は同じでも薬の量は8月以前と比べると少なくなった。何とか安定剤(セルシン)は1日1錠(1/2錠 2回)にしたい。

3.

13:00H社の方が来場。17:00まで製品劣化の打ち合わせを行なう。その間は一時的に症状の事は忘れた。打ち合わせに集中した為か、不安感も出なかった。近来似ない事である。H社への出張が12/13に延期された事も気を楽にしたのかも知れない。しかし、打ち合わせが終わり一人になるとまた気分の落ち込みが始まった。


54歳 12/02(土)
処方抗鬱剤(Amoxan 10mg):1,1,1 処方安定剤(Cercine5mg):1,1,1

服用抗鬱剤:        0,0,0 服用安定剤: 1/2,0,1/2

1.体調 朝:-2 昼:-1.5 夜:-1  平均:-1.5 (一日平均最高時:+2、最低

時:-2)

2.

午前、午後とも気分の落ち込み、不安感で体調悪い。18:00より忘年会。忘年会ではおとなしいMさんとは話が出来た。Sさんとも話が出来た。この忘年会は会社とは全く異なる人たちの集まりで多少気が楽だったのだろうか。しかし、スナックでのカラオケの時は誰ともほとんど話が出来なかった。ほとんど黙ったままの状態であった。誰かと話をしなければとあせるのであるが、それが出来ず苦しかった。


54歳 12/02(土)
処方抗鬱剤(Amoxan 10mg):1,1,1 処方安定剤(Cercine5mg):1,1,1

服用抗鬱剤:        0,1,1 服用安定剤: 1/2,2,1/2

1.体調 朝:-2 昼:-1.5 夜:-1 平均:-1.5 (一日平均最高時:+6、最低

時:-6)

2.

朝起きた時から、不安感、無気力に襲われる。午後も不安感、無気力が続く。12:30セルシン1/2錠飲んでも効果なし。15:40さらにセルシン1/2錠飲んでも効かず。気分良くならず。みんなの前で落ち込んでいる姿を見せたくないのでつい安定剤を飲んでしまう。心が軽く、明るくなる薬は無いのであろうか。

3.

本を読んだり、テレビを観たりする気力が全く出てこない。自分の部屋に閉じこもってしまう。その方が楽だから。昔好きだったジャズやロックを聞こうとする気など全く出てこない。

4.

会社での様子を思い浮かべると急に不安感に襲われ落ち込んでしまう。仕事の事ばかり頭に浮かび冗談を言う気など全く出てこない。あれもやっていない、これもやっていない。期日だけが迫ってくる。そんな時に冗談を言ったりたわいのない世間話などをする事などとても出来ない。会社で皆が世間話をしているのが羨ましくてしょうがない。子供や家内の前では元気そうなところを見せなくてはならないのが苦しい。


鬱が90%改善された69歳の現在思う事。(54歳の時から15年後)

54歳の時処方された抗鬱剤、安定剤を規定量どおりに飲んでいたらもっと症状が変わっていたと思う。抗鬱剤が怖くて飲めなかった。安定剤(セルシン)は今も1錠づつ1日3回飲んでいるが、1/2錠では効き目が弱い。(その他に今でも1日当たり、抗鬱剤としてパキシルを4錠、テトラミドを2錠、安定剤?としてジプレキサを1錠飲んでいる。現在恐怖感、不安感は無いが、気分の落ち込みや憂鬱感は多少残っている。日常生活にはこの程度の薬で何とか過ごしている。どうしても効かない場合は、最後の手段としてエフェドリンを含んだ風邪薬を飲んでいる。この風邪薬が一番効く。B病院の先生は笑っておられたが。65歳の時それまでのA病院からB病院に代えてからB病院の先生に、パキシルとジアゼパムを処方していただいてから、徐々に快方に向かった。

52歳1月からの日記が有ったので記する。

52歳 1/24

服用安定剤 朝:2錠 昼:2錠 夜:1錠  (5錠/day) 

服用抗鬱剤 朝:2錠 昼:2錠 夜:2錠  (6錠/day)

体調 朝:-2 昼:-1 夜:-0.5  平均:-1.2 (最悪時:-2.0 最高時:+2.0)

1.

朝の調子は相変わらず悪い。昼の12時頃からダルく、寒気がして来る。薬飲むと30分ぐらいするとダルさ、寒気は薄れる。18:00またダルさ、寒気また出る。また薬飲んで30分~1時間するとダルさ、寒気薄らぐ。


52歳 1/25

服用安定剤 朝:2錠 昼:2錠 夜:1錠  (5錠/day)

服用抗鬱剤 朝:2錠 昼:2錠 夜:2錠  (6錠/day)

体調 朝:-1.5 昼:-1.0 夜:-0.5  平均:-1.0

1.

会社に行くまで最悪(-2.0)。不安感、気分の落ち込み、無気力最悪。8:00~11:00気分少し薄らぐ。11:00気分オドオドし引っ込み思案、落ち込む。13:45いまいち積極性なし。16:30気分少し薄らぐ。夕方、父の事で落ち込む。家に帰り多少気分薄れる。


52歳 1/26

服用安定剤 朝:2錠 昼:なし 夜:2錠  (4錠/day)

服用抗鬱剤 朝:2錠 昼:なし 夜:1錠  (3錠/day)

体調 朝:-1.5 昼:不明 夜:不明  平均:不明

1.

会社に行くまで気分最悪。12:00ダルさ出る。いつもと変わらず気分悪い。18:00ダルさ出る。夜、薬飲んで30分~1時間でダルさ軽減。


52歳 1/27

服用安定剤 朝:2錠 昼:2錠 夜:2錠  (6錠/day)

服用抗鬱剤 朝:1錠 昼:1錠 夜:1/2錠 (2.5錠/day)

体調 朝:-1.5 昼:-1.0 夜:-0.5  平均:-1.0

1.

父が入院している病院から退院して欲しいと言われると思うと、食も進まず。父は一応健康老人施設に入る事となっているが、3ヶ月だけだと言う事で落ち込む。もっと長く居るわけには行かないか



朝、新製品紹介を月曜日までに作るように言われ落ち込む。気が重い。夕方、病院で父に会い、老衰のひどさに気が重くなる。


52歳 1/29(日)

服用安定剤 朝:2錠 昼:2錠 夜:2錠  (6錠/day)

服用抗鬱剤 朝:1錠 昼:1錠 夜:1/2錠 (2.5錠/day)

体調 朝:-1.5 昼:-1.0 夜:-1.0  平均:-1.2

1.

12:00ダルい。父の髭を剃る。17:00までダルい。18:00ダルさ薄らぐ。父が入る老人健康施設等に行く。


12:00ダルい。字がうまく書けない。17:30気分落ち込む。ダルさは風邪薬ルルを飲んだら消えた。よる、薬を飲んだが、気分良くならず。


52歳 2/03(金)

服用安定剤 朝:2錠 昼:2錠 夜:2錠 (6錠/day) 

服用抗鬱剤 朝:2錠 昼:2錠 夜:1/2錠 (4.5錠/day)

体調 朝:-1.5 昼:-1.0 夜:-1.0  平均:-1.2

1.

10:30まで気分それほどひどくなかったが、11:00より落ち込みがひどくなる。16:00までは苦しさは少し薄らぐ。17:00よりダルさ、落ち込み強くなる。夜、ダルさなくなる。


52歳 2/12(日)

服用安定剤 朝:2錠 昼:2錠 夜:2錠 (6錠/day) 

服用抗鬱剤 朝:2錠 昼:2錠 夜:1錠 (5錠/day)

体調 朝:-2.0 昼:-2.0 夜:-1.0  平均:-1.7

1.

あさ8:30頃薬を飲んで、1時間ぐらいは少し良かったが、10:00よりダルさ、落ち込み、寒気あり。昼薬を飲んでも気分良くならず。午後はずっと気分良くない。落ち込んでいる。夜、薬を飲んだらダルさや落ち込みは薄らいだ。


52歳 2/13(月)

服用安定剤 朝:2錠 昼:2錠 夜:2錠 (6錠/day) 

服用抗鬱剤 朝:2錠 昼:2錠 夜:1.5錠 (5.5錠/day)

体調 朝:-2.0 昼:-2.0 夜:-1.0  平均:-1.7

1.

午前中薬を飲んでも、落ち込み、暗さあり良くならず。10:45風邪薬コルゲンET錠飲む。昼から夜まで落ち込む。父、老人健康施設に入所。


52歳 2/14(火)

服用安定剤 朝:2錠 昼:2錠 夜:2錠 (6錠/day) 

服用抗鬱剤 朝:2錠 昼:2錠 夜:1.5錠 (5.5錠/day)

体調 朝:-1.8 昼:-2.0 夜:-1.0  平均:-1.6

1.

早退する事を言わねばならず苦しむ。父の居た病院の先生に父の診断書を頼む事で苦しむ。父が老人健康施設が気に食わないかと言うのではないかと苦しむ。


52歳 2/17(金)

服用安定剤 朝:2錠 昼:1錠 夜:1錠 (4錠/day) 

服用抗鬱剤 朝:2錠 昼:2錠 夜:1錠 (5錠/day)

体調 朝:-1.8 昼:-2.0 夜:-1.0  平均:-1.6

1.

朝、会社に行くまで相変わらず不安感、落ち込みが大きく体調不良。それ以後は少し良くなる。


52歳 2/19(日)

服用安定剤 朝:1錠 昼:1錠 夜:1錠 (3錠/day) 

服用抗鬱剤 朝:1錠 昼:2錠 夜:2錠 (5錠/day)

体調 朝:-1.5 昼:-1.0 夜:-1.5  平均:-1.3

1.

11:00ひどくダルくなる。落ち込みも激しい。午後も落ち込む。夜、21:00落ち込み激しく、安定剤2錠飲む。



52歳 2/22(水)

服用安定剤 朝:1錠 昼:1錠 夜:1錠 (3錠/day) 

服用抗鬱剤 朝:1錠 昼:2錠 夜:1錠 (4錠/day)

体調 朝:-1.5 昼:-1.0 夜:-1.5  平均:-1.3

1.

朝から夕方18:30に安定剤を飲むまで、ビクビクし、不安感で人と話も雑談も出来ない。人が雑談している中に入れない。人と話をするより一人でじっとしている方が楽だ。仕事への不安ばかりに気が取られている。仕事への不安から逃れられない。

52歳 2/25(土)

服用安定剤 朝:1錠 昼:0錠 夜:1錠 (2錠/day) 

服用抗鬱剤 朝:2錠 昼:2錠 夜:1錠 (5錠/day)

体調 朝:-1.0 昼:-0.5 夜:-0.5  平均:-0.7

1.

今日は土曜日なので、誰も居ないところで、一人で仕事をしていたので、比較的体調良かった。

52歳 2/26(日)

服用安定剤 朝:1錠 昼:0錠 夜:1錠 (2錠/day) 

服用抗鬱剤 朝:2錠 昼:2錠 夜:2錠 (6錠/day)

体調 朝:-1.0 昼:-0.5 夜:-0.5  平均:-0.7

1.

午後、落ち込み、もの悲しさ、暗さ、ダルさ大きく辛かった。気が晴れないので風邪薬ルルを飲む。

16:00苦しくて安定剤を更に1錠飲む。少し落ち着く。

52歳 2/27(月)

服用安定剤 朝:1錠 昼:1錠 夜:1錠 (3錠/day) 

服用抗鬱剤 朝:1錠 昼:2錠 夜:1錠 (4錠/day)

体調 朝:-1.0 昼:-0.5 夜:-0.5  平均:-0.7

1.

午前中不安感強い。何かをするのがおっくう。落ち込み、常に仕事の事でビクビクしている。不安感、ビクビクを解消してくれる薬が欲しい。19:00安定剤を飲んでから少し落ち着く。

52歳 2/28(火)

服用安定剤 朝:2錠 昼:2錠 夜:1錠 (5錠/day) 

服用抗鬱剤 朝:2錠 昼:2錠 夜:1錠 (5錠/day)

体調 朝:-1.0 昼:-0.5 夜:-0.5  平均:-0.7

1.

朝いつものとおり不安感、落ち込み、無気力でひどく辛い。会社に行くのが嫌でしょうがない。何をやるのも億劫でヤル気がしない。ビクビクして落ち込んだまま。人と話が出来ない。




52歳 3/02(木)

服用安定剤 朝:2錠 昼:2錠 夜:2錠 (6錠/day) 

服用抗鬱剤 朝:2錠 昼:2錠 夜:1錠 (5錠/day)

体調 朝:-1.5 昼:-1.0 夜:-1.5  平均:-1.3

1.

14:30頃からひどくダルくなる。17:00までダルい。18:30安定剤1錠飲んだ頃から少し落ち着く。


52歳 3/06(月)

服用安定剤 朝:2錠 昼:2錠 夜:2錠 (6錠/day) 

服用抗鬱剤 朝:2錠 昼:2錠 夜:1錠 (5錠/day)

体調 朝:-1.5 昼:-1.5 夜:-1.5  平均:-1.5

1.

苦しい。代取も部長も白い目で見ている。こんな奴は我が職場には要らないと。家に帰れば誰も口を利いてくれない。また、父は老人健康施設で問題を起こし、婦長さんから注意するように言われた。家では「もっと積極的にびしびし仕事をしろ」と言われた。会社でも、家でも何一つ心が朗らかになる事はない。どうする事も出来ない。


52歳 3/10(金)
服用安定剤 朝:2錠 昼:2錠 夜:2錠 (6錠/day) 

服用抗鬱剤 朝:2錠 昼:2錠 夜:1錠 (5錠/day)

体調 朝:-1.5 昼:-1.5 夜:-1.5  平均:-1.5

1.

朝、会社に行くのが不安で、気分が落ち込み、這いつくばって出社している。昼間も意欲が出ず、トイレに何回も逃げ込んだ。何とか積極的になれる薬は無いものか。



52歳 5/30(金)
服用安定剤 朝:1錠 昼:1錠 夜:2錠 (4錠/day) 

服用抗鬱剤 朝:2錠 昼:2錠 夜:2錠 (6錠/day)

体調 朝:-1.5 昼:-1.5 夜:-1.5  平均:-1.5

1.

周りの人達の話に加わる意欲が無い。朝から、皆は元気良く仕事の話しや世間話をしているがそれに加わる事が出来ない。

2.

一日中意欲がわかない。話をしようとしない。何もしたくない。職場の作業長の態度に我慢が出来ず、興奮して怒鳴ってしまった。その事が後を引いている。彼ともう顔を合わす事が出来ない。

3.

抗鬱剤を朝、昼1錠に減らしたのが良くなかったのだろうか。今まで朝、昼、夜抗鬱剤を2錠づつ飲んでいたが効いたような気がしなかったので減らしたのだが。この抗鬱剤は飲んでも飲まなくても関係ないように思った。


52歳 9/30(金)
服用安定剤 朝:1錠 昼:1/2錠 夜:1/2錠 (2錠/day) 

服用抗鬱剤 朝:1錠 昼:0錠 夜:0錠 (1錠/day)

体調 朝:-1.5 昼:-1.5 夜:-1.5  平均:-1.5

1.

8月の初めまで、安定剤を1日6錠飲んでいたが、今は1日1.5~2錠である。出来る範囲内で少なくするようにして来た。朝起きた時、不安感、ダルさが始まるので、すぐ安定剤を1/2錠飲む。朝食後も安定剤を1/2錠飲む。安定剤を飲んで3時間ほどすると、不安感、無気力が強くなる。安定剤を1/2錠飲むと少し症状が薄らぐ。この繰り返し。安定剤1日6錠から1.5~2上に下げてから約2ヶ月となる。服薬量を変えても症状変わらず。悪い。この先どうしたら良いのだろう。分からなくなってしまった。この先、安定剤を少なくした状態を続けたら、安定剤を飲んだ後3時間ぐらいで発症する不安感や、ダルさは消えてゆくのだろうか。安定剤の禁断症状ではないか。

2.

こんな陰気な状態の私を見て、家内は嫌気がして、自分もおかしくなってしまうと言う。そんな家内の前では、努めて元気なふりをしているのだが。だが話題が出て来ない。「家では何もやってくれないし、会話も無く、陰気で、何の面白みの無い人とこれから先ずーと一緒にやって行く事に嫌気がさして来た」との事。私の体重は46kgに減ってしまった(身長159cm)。ガリガリである。



「90%鬱の症状が治っている時の69歳時の感想を以下に記する」 

1.

安定剤は処方された範囲内では決して怖くはない。朝、昼、夕1錠ずつ飲んでも全く問題がないと(今通院している)B病院の先生が言っておられる。54歳の当時安定剤とは怖いものであると言う間違った考えにとらわれていた。安定剤を飲んでもいいから、苦しさの為何も他の事が出来ないという当面の症状を少しでも楽にしてやれば良い。但し、安定剤だけでは当時の病状は良くならなかったと思うが。

2.

鬱が治り始めたのが65歳の時であった。鬱状態になったのは39歳で管理職になった時なので26年間苦しんだ事になる。この26年間で失ったものはとてつもなく大きかった。管理職は仕事の責任からは逃れられないものと思い込んでいたので,朝、目が覚めてから夜寝付くまで仕事への心配、恐れで生きた心地がしなかった。子供と遊んでいる時も仕事への心配で心は常に上の空で、子供とじゃれあった事は一度も無かった。家内に優しい言葉をかける事などとてもでないが出来なかった。自分の心の苦しさに耐え切れずに自分の事意外は考えられなかった。その為家族との心の絆は結べなかった。これが一番大きな、欝による損失であった。57歳の時家内から頼むから会社を辞めて欲しいと言われて34年間勤めた会社を辞めた。

3.

しかし、会社を辞めれば症状はやがて消えてゆくものと思っていたが、確かに仕事への恐怖感は完全に無くなったが、暗く、憂鬱で、何もする気にならない無気力感と、いっときも心から笑えることが出来ない悲哀感と、面白みが全く無い毎日だけが後遺症として残ってしまった。何もする気になれなかった。その為会社を辞めて64歳までの8年間は仕事が出来なかった。34M\貰った退職金も全て使い果たして今では全く蓄えの無い、年金だけのその日暮らしとなってしまった。鬱による損失は計り知れないものがある。

鬱状態になってからの私の対処の仕方や、治療法に問題があったのであろうか。

4.

欝で苦しんでいる時は、絶対に自分が欝であると言う事が他人に知られてしまう事を徹底的に嫌っていた。自分が欝であると知られてしまうと「あの人はそんなに弱い人なのか。だらしない」と思われてしまうから。しかし、もし自分が自殺でもした時には「あの人はそんなに苦しんでいたのか」と思ってくれるのではないかと妄想ばかりしていた。

5.

今から思うと一番良い方法は、その時の工場長が大変優しい方であったので、工場長に実情を話し「このままでは破滅してしまうので暫く休職させてもらい、復職後は、自分でも勤められる工場の公害関係の仕事に回して欲しい」と言えば良かった。きっとあの工場長ならそうしてくれたであろう。そうすれば自分が欝であると言う事を知っているのは工場長だけであると言う事であり、それが一番良いのではなかったかと思う。当時はどうする事が一番良いかなどと言う解決策などとても考えられるような状態ではなかった。じっと苦しさに耐えているだけであった。会社の上司が一言「暫く休んだらどうだ」と言ってくれたらどんなに助かったであろう。

6.

一度尿管結石で1ヶ月入院していた時があったが、その時は最高であった。肉体的な病気で入院している時は、見舞いに来られてもおおいばりで病状の事を話せるが、仮に欝で療養している時は、他人に実情を知られたくないので、見舞いには来ないで欲しいと思っていた。また欝で休職した後、仕事に復帰しても、恥ずかしくて皆に会わす顔が無いと思っていた。

7.

鬱になったら、正しい対処法を病院の先生と相談する事が一番である。但し、いい先生にめぐり合えるのはなかなか無い。私が従来のA病院から、今のB病院に変えたのは2006/05/06 65歳の時であった。その病院でパキシルとテトラミドとジプレキサとセルシンを最小量処方されるようになってから、病状が徐々に回復した。いい病院といい先生にめぐり合える事が一番である。



52歳の11月から1年が経過した。鬱を発症してから13年となる。この1年間は相変わらず仕事に対する恐怖感と不安感に押し潰されていた。1年経過した今も変わりは無い。日記に書きのことが記されていたので以下最近の状況を記する。病院はまだ変わっていない。


53歳(11/22

A病院

抗鬱剤

安定剤

頓服

     1

1

0

1.

服薬していた薬は記録が無い。たぶん抗鬱剤1種類と安定剤1種類と思う。朝、昼、夜1錠づつだと思う。

2.

体調良くない。一番辛いのは会社に居る時、ビクビクばかりしていて、人と話が出来ない事である。また、電話もかけられない。ある会社に電話しなければならぬのに、昨日は一日中出来なかった。ようやく今日、昼近くにした。電話しなければならぬのは分かっていたが、手が出なかった。

3.

今のところ自分を責める人はいないが、中には「あんな奴は役立たずだ」と腹の中で言っている。そう思われても致し方ない。ビクビクしていて、何も出来ないような状態だから。人を集めて会議を開いてビシビシ事を決めて行くことなどがどうしても出来ない。何も出来ない自分が高給ばかりとっていると思うと情けなくなってくる。本来はやらねばならぬ事がたくさん有るのに、何もしないでいると言う状態は耐え難い。自分から進んでやろうとする気が全く沸いて来ないのである。

4.

会社では人とほとんど話をしていない。自分から話しかけるような気分にはとうていなれないから。話そうと言う気が沸いてこない。酒を飲んで話をするのが嫌でたまらない。先日あるところに出張した帰りに、酒を飲ませてもらったが、そのような席では皆、仕事の話が大半である。その他にゴルフの話も出るが、皆楽しそうであった。しかし、私には苦痛でどうにもならない。話が出来ないからただ黙っているだけである。話の輪の中に絶対入れない。皆が楽しそうにしている時に、一人だけ沈んでいるのを見ると人は必ず「元気出せよ」と言うがそう言われるのが辛くてしょうがない。元気を出さなければ、話をしなければと思ってもそれが出来ない辛さは誰にも分からないであろう。

5.

薬を飲んでも元気は出ないし、昔から、抗鬱剤や安定剤は本当は怖くて飲めない。しかし、飲まなかったらなおさら悪くなるかも知れないと思うと飲むのを止める訳にはいかない。飲んでも良くならないが。

6.

家で辛い事は、じっとしていられない事である。ゆっくりしてコタツにでも入って新聞や本来好きな雑誌などを読もうとする気力が全く出て来ないのである。新聞を読むのがおっくうで読めない。頭がだんだん退化して来ているのではないだろうか。だから休日はほとんど家に居ない。車で走っている時の方が、少しは気が楽だからである。ゆっくりお茶を飲みながら家内と世間話をしたと言う事がほとんど無い。家内が嫌であると言うのではなく、世間話が出来ないのである。話題が頭に浮かんで来ないのである。だからいつも無口になってしまう。コタツに入っていると、仕方なくテレビを観るが、少しも面白いとは思わない。休日に家内と2人で居る時には、何とか話をしようと思うがそれが出来ない為、苦しくなって車で外に出掛けてしまう。もし、自分がパチンコが好きであったら、恐らく一日中パチンコをしていたであろう。朝から夜までパチンコをしていたと思う。家にじっとしている事が苦しい為。こんな状態が少しも変わらず、会社でも、家でも苦しみ通している。

  52歳 (11/13
 A病院

抗鬱剤

安定剤

その他

1種類

1種類

頓服1種類

1.

朝、昼、夜に抗鬱剤1錠と安定剤1錠を飲むようになった。今までは、抗鬱剤も安定剤もきちんと朝、昼、夜とも飲んではいなかった。飲んだり飲まなかったりしていた。11/06に薬を変えていただいたが、11/08の段階では今までどおりの仕事に対する恐怖感や不安感や気分の落ち込みは変わりが無かった。そこで.11/08から頓服を昼過ぎに飲んだ。今まで頓服は飲んでいなかったが、飲んでから30分ほどすると、少し気分が良くなり不安感や恐怖感は薄らいで来て気分的に少し楽になった。夜また少し気分が落ち込んだが、この頓服は明らかに効果があるようだ。そこで、体調の悪い朝に11/09より頓服を飲んでみた。朝、昼、夜に飲む定期的な抗鬱剤、安定剤はきちんと飲むようにしている。その結果、頓服のせいか、朝会社に行く頃から少しづつ気分が良くなり、今まであった耐えられないような苦しみは薄らいだ。不安感や恐怖感が軽くなった。11/13も、元気が出るような状態ではなかったが、いつもよりは苦しみは軽くなって来た。まだ技術雑誌への原稿を書こうとするところまで来ていないが、分析機関。この事を今度先生に話そう。


 52歳(11/20

A病院

抗鬱剤

安定剤

頓服

KBCD2
1,1,1

LL145(AX10) 1,1,1

KBCD5 1,0,1

1.

11/13の薬を一部変えていただいた。上表のとおり。KB CD5は前回から頂いていたもので、不安感が強く、落ち込んでいる時に飲むといくらか気持ちが楽になった。よってCD5を増やしていただき1日2回飲む事にして頂いた。KB CD2は前回には無かった物で今回新たに頂いた。これが抗鬱剤か安定剤かは分からない。

2.

朝起きてすぐKBCD5を飲み、朝食後KBCD2とLL145(AX10)を飲むようにしている。これで多少出勤時気分は良くなったが、会社の駐車場で車から降りる時はまた自分が吊るし上げられる恐怖感で打ちひしがれて苦しくてしょうがない。部屋に入り、同期の副部長や一人だけの部下と話をすると少し落ち着くが、とにかく朝は相変わらず辛い。いつも朝来るまで家を出てから、途中で車を5~6分止めドリンク剤(タウリン系)を飲んでいる。別に飲んだからと言って調子が良くなる訳ではないが飲まないと不安であってつい飲んでしまう。まっすぐ会社に行くのが嫌でしょうがないのでいつも同じ所に車を止めている。

3.

一昨日、A社に出張したところ、思いがけない難問にぶち当たってしまった。従来、物件Cの製品厚さはA社で加工した時.0.45㎜以下で良いとしていたが、今回.0.45±0.05㎜としたいとの事。0.45㎜ならば我が社の製品は0.26~0.29㎜で良かったが、厚さは必ず0.29㎜を確保して欲しいとの事である。こらは現状では不可能である。0.26㎜や0.27㎜は出す事が出来るが、0.29㎜は無理である。よって、工場に帰り関係者に0.29㎜にして欲しいと言われたと言ったら、それは絶対に受け入れられないと言うに決まっている。また、収縮率が前回は2.0%であったが、今回は3.8%となってしまった。A社は今後は2.0%にして欲しいと言う。何故今回、前回と同じ製法で造ったのに、3.8%となってしまったのか不明である為、次回必ずしも2.0%となる保証は出来ない。

4.

この2点の問題点を明日会社で関係者に話をしなければならないが、怖くてしょうがない。その為、一日中恐怖感に打ちひしがれて、全てが上の空であった。買い物をしていても、テレビを観ていても、苦しいばかりで楽しさなどひとかけらもなかった。その為夕方KBCD5を1錠飲んだ。強い安定剤(?)なので飲みたくはなかったがいたしかたなかった。更に技術雑誌に私が担当しているS製品の投稿文を工場の関係者が見たら「こんな論文を出したら我が社の恥だ」ぐらいにしか思われそうもないと思ったら、更に苦しみが増大した。いろいろ準備はしているが全く自信が無い。

5.

早く56歳になって役職を解かれて楽になりたい。それまで耐えられるあろうか。60歳となるとあまりにも長過ぎる。

6.

C物件の2件の問題点に関しては再度テーブルテストを重ねて原因を検討する事とした。




















































































































































































































































































































































































































































































































































































































52歳(11/05)

抗鬱剤

安定剤

その他

1種類

1種類

なし

1.

朝郵便局と銀行に行った。息子の授業料の工面の為。家に戻ったが、じっとしていられず、苦しみに絶えかねて薬局に行きユンケルを飲んだ。ドリンク剤など飲んでも心の苦しみが軽くなるはずがない事が分かっていたが、いたたまれずわらおも掴む思いで飲んでしまった。仕事の重圧に耐えられず、何とかしなければ自分は会社には居られなくなるとの恐怖感に襲われじっとしていられない。

2.

会社に戻ったら大変な事になっていた。例の物件Cの試作の事である。ライン試作であるが、ラインの装置の反応釜は馬鹿でかいものであり、450枚程度の少量では満足な物が出来ない構造になっている。製品特性を維持する為には、釜に投入する原料はある一定量に維持しなければならない。450枚程度の仕込み量では、製品規格を満足する製品が出来ない。よって450枚だけの製品を作ろうとする場合は、一定の仕込み量にする為に、他の製品を同時に仕込まなければならない。受注のない他の製品を無理に作らなければならない事になる。系列の加工先D社の製造責任者としては、D社の業績を悪化させるような事は、開発の私がどう困まろうが絶対にしてはならないと考えている。だから私の机の上に「450枚の投入だけで規格を満足できる製造条件を出してもらいたい」とのメモが置いてあった。不可能な事が分かっているのに「開発の言うとおりにしたら、不合格となった」と言う事にしたいのであろう。D社の業績を悪化させてまで在庫を造る気はないという事である。このメモにはさすがの私も激怒した。D社の製造責任者は技術者である。450枚だけでの投入では満足な物が出来ないのは誰よりも分かっている。450枚だけで製造できる条件を私が示さないので納期に間に合わなかったといいたい腹が見え見えである。納期遅延の責任を条件が出せない私に押し付けようとしている。更に悪い事に、D社の製造責任者は[450枚でなく150枚を単独で作れる条件を示して欲しい」と言って来た。馬鹿でかい釜で、たったの150枚だけ出来る条件など出るはずがない。製造責任者は「徹夜してでその条件をも出すべきだ」と言うに決まっている。無理やり150枚だけ仕込んで不良になったら、それは「私の責任であり、製造の責任者である自分は私に言われたとおりにやっただけである」と言う事か。在庫増になるが他の製品を800枚同時に仕込めば済むことである。それを製造の責任者は絶対にやろうとしない。困り果て、業務部長に相談した。「製造の責任者がこんな事を言って来たが、これは物理的に不可能な事であり、何とか同時に仕込めるものを選定して欲しい」と話した。それが出来るかどうかは全く分からない。

3.

我が社の他の製品が800枚在庫が増える事と、A社がユーザに20,000枚のサンプルが出せなくなる事とどちらを取るかである。ユーザは大手自動車メーカである。このサンプルは、A社が従来、ユーザに納めていたルート品を我が社の製品に置き換える為のサンプルである。これがユーザのテストで合格すれば、我が社の製品が大手自動車メーカのルート品として採用される事となる重要な試作品である。A社は内部事情の為、従来品の生産を中止せざるを得なくなり、何としてもその代替品を探さなければならない瀬戸際に立たされていた。わずか800枚の在庫増の為にA社を助ける事を拒んでしまうのであろうか。800枚の在庫品もいずれは売り上げの立つ製品である。新規ユーザの開拓が実現出来るかどうかの瀬戸際である。我が社の売り上げが無くなるだけでなく、A社が自動車メーカに多大な迷惑をかけてしまう事となる。800枚の在庫を造る事で全てが解決するのに、D社の製造責任者はそれを理解してくれていない。A社へのサンプルCが出来なければそれによる全ての損失の責任を私にあるとしている。あまりにも心が苦しい為、明日いつもの精神科の病院に行く事とした。
4.

精神科の先生には次のような事を話した

1)朝起きた瞬間から苦痛が始まる。仕事の不安、恐怖で頭が一杯である。


2)その為、家を出るまでは家内や子供達ともほとんど話をしない。


3)何とか会社に行ってから、いつも一緒に仕事をしている一人の部下と、同期の副部長と仕事の心配事を話す

  と少し気分が落ち着く。彼等だけは私の話を聞いてくれる。


4)午前中から昼過ぎまでがひどく気分が悪い。仕事に対する不安と、あれも、これもやらねばならないと言う焦

  りで生きた心地がしない。19時頃家に帰る頃は少し気分が落ち着く。しかし家に帰るとまた気分落ち込む。家

  内や子供達と話が出来ない。


5)処方されている抗鬱剤を1錠飲んだが気分良くならず。飲んで直ぐ気分がよくなる薬があるといいが。


6)特に土曜や日曜の休日は一日中落ち込みや苦しみが続いたままである。仕事をしていないのに。無理やり会

  社に行っている日は、そこで話しやすい人に話をすると多少気分は落ち着き夕方気分が少し楽になる事があ

  る。しかし休日は人と話すきっかけが無いので、朝起きた地獄がそのまま一日中続いてしまう。


7)半年ほど会社を休んで完全に仕事から解放されれば必ずよくなると思う。しかし、その後会社に戻ればまたも

  との状態に戻ってしまうのではないか。


8)もう二度と元の会社に戻らないと言う覚悟で6ヶ月ほどの静養後、別の精神的に苦痛のかからない仕事にで

  も就きリハビリを兼ねて楽な仕事をしていけば多分完全に治ると思う。しかしこれが出来ないのは、家内にそ

  んなが話が出来ないからである。収入の面でも家計が支えられなくなるし、年老いた両親を抱えその介護で

  家内は外に働きに出る事が出来ない為である。


9)今の会社で薬を飲みながら、何とかやっていけないであろうか。定年まであと8年何とかもたせる事はできな

  いであろうか。定年になれば大手を振って会社をやめることが出来るのに。


10)10月初めに、私が担当している製品に関する技術雑誌への投稿の話があった。これは大変な心の重荷に

  なってしまった。何をどう書いたら良いのか全く構想が出来ていない。技術雑誌に載せるようなアカデミックな

  データ等持ち合わせていないし、該製品に対する広い見識なども持っていないので全く書く自信が無かっ

  た。その為どうしても書けないという不安に苦しんでいた。この投稿を断ったら大きな問題になると言われてい

  るし、この事が引き金になって、最近特に苦しみが増大してしまった。それまでは今のようなひどい状態では

  なかったので、多少なりとも休日には気分がましな時は、好きな車の洗車ぐらいはやっていたが、今はそん

  な気にもなれない。

11)

  私が少しでも関与した仕事で問題が発生した場合には、全て私に責任があると思っている。自分が悪いと認

  めてしまっているので、人から何を言われても、逆らう事が出来ない。自分が悪いと認めてしまっている人を

  責めるのはいとも簡単な事であると本に書いてあったが、誠にそのとおりである。業務の責任者や、D社の

  製造責任者が私を責める事は赤子の手を捻るよりたやすい事であろう。

12)

  最近このように日記を書くようになったのは、自分の苦しみを誰にも話せないからである。せめて日記だけは

  私の苦しみを理解して欲しいと思うからである。


精神科の先生に以上の事を話したところ、薬を変えていただいた。少し強くなると言う。もし、昼に飲んで眠くなるようであれば、夜一緒に昼の薬を飲むようにとの事。更に,気分が特に悪い時は、頓服として飲むようにと1種類の薬をいただいた。まずは言われたとおり飲んでみよう。

52歳(10/31

抗鬱剤

安定剤

その他

1種類

1種類

なし

1.

会社の運動会であった。工場の全社員200名による年1回の運動会。本社からも参加者が来る。厚生面での会社の一大行事である。しかし自分にとってはこの運動会は以前から全く嫌なものだった。本来ならば、仕事のことを忘れて一日楽しくやるべきなのであろうが、それが出来ない。仕事の事を忘れて時を過ごすなどと言う事は自分にはとても出来ない。更に、運動会が辛いもう一つの原因がある。それは人とくったく無く話す事が出来ないからである。世間話が出来ないのである。隣に人が居ても、話しかける事が出来ないのである。何故話しかけられないのか良く分からない。気分的に体調が少しいい時は、多少話しかけることが出来るが、普通の時は、いつも気分が落ち込んでいるので人とは話が出来ない。話しかけられる人は、いつも仕事を一緒にしている一人の部下と、同期の副部長ぐらいである。彼等にはそれほど改まらなくても話は出来るが、それ以外の人とは口がつむんでしまう。今日の運動会がそうであった。

2.

何故他人と話が出来ないのであろうか。それは話す事が頭に浮かんで来ないからである。話す事がいろいろあって何から話して良いか分からない。話す事が頭に浮かんで来ないのである。話題が出て来ないのである。だからいつも独りぼっちになってしまう。この事は、運動会後の慰労会でも同じである。宴会になれば誰でも酒の勢いで大騒ぎをして人と元気に話し合っているが、それが出来ないのである。まだ管理職になる前の、健常であった時は、もともと社交的で少し三枚目であった自分は宴会で騒ぐのが好きであった。民謡などを良く歌っていた。しかし、管理職になって、うつ状態になってからは、宴会が大嫌いになってしまった。隣の人に話しかけなければと思っても話す事が頭に浮かんで来ないのである。相手が話しかけてきてくれれば何とか受け答えは出来るが、話しかけてもらえない時は、ただむっつり黙って、料理を食べているだけである。宴会の席で、一人ぽつんと黙り込んでいると、人から変な目で見られるので何とか隣の人に話かけようと思っても話す話題が出て来なくなってしまう。たまたま今日は、隣の人がよく私に話しかけて来てくれたので一応話しは出来た。話と言うよりも、ただあいづちを打っているだけであったが。しかし、その人がトイレに立ってからは全くの沈黙が続いてしまった。

3.

宴会で一人だけポツンと無口でいる苦しさは誰もわからないと思う。隣の人に話さなければと思えば思うほど、話せなくなる苦しみは、今始まった訳ではないが、もうこりごりだ。更に悪い事に、工場長がこの宴会に来て、運悪く私の前に座ってしまった。工場長に、私が話が出来ず、ポツンと苦しんでいるのを知られてはと思うと居たたまれなくなり、トイレに立つふりをして、会場から外に出てしまった。宴会にはついに戻らなかった。皆の騒いでいる声を聞きながら、一人だけ逃げ出すのは本当に辛い。だから私はいつもいつも宴会が嫌でしょうがない。欠席する訳にはいかない宴会がかなりある。昔は宴会が好きであったのに。


52歳(10/26

病院はA病院

抗鬱剤

安定剤

風邪薬

1種類

1種類

1種類

1)

A社向け試作品(物件C)の件に付き記す。

物件Cの試作品に関し、10/26にA社に出張した。試作品の納期が11/09に150枚、11/15に150枚と言う事であった。さっそくA社に出張した日の帰りに工場に出て、業務の責任者と担当者に説明しておいた。その時業務の責任者は、「我が社やA社が置かれている立場を良く理解してくれた」と思った。それ故、業務の責任者が、加工先D社の製造責任者に「厳しい納期ではあるが、何とかやるように」と話してくれるであろうと考えていた。業務の担当者も、150枚提出する為の工程の調整を考えてくれていて、11/01までに部材が揃えば、何とか11/09までに納品出来るとまで言ってくれていた。営業にもその旨話していたようで、営業も一安心との事であった。ここで言う「加工先D社」とは、我が社の系列下の完全子会社であり、我が社から派遣された社員がその運営に当たっている。これを仮にD社と言う。

2)

ところが、10/25の朝、業務の責任者より、10/28までに部材が揃わないと11/09の納期には間に合わないと言って来た。話は複雑となるが、この部材はA社の製品であり、その原料となる部材の手配は営業が行っていた。即ち、我が社はA社より部材を購入し、それを加工して製品とし、A社に納入する事となる。本件の試作品を仮に物件Cとすると、物件CをA社に11/09までに納める為には、A社は部材を我が社に11/28までに入れなくてはならない。営業はこれをA社と交渉しなければならない。

3)

当初のA社の部材の納期は11/01であったので、10/28までに部材をA社が納入する事は始めから無理な事であった。よって試作品150枚を11/09までに納入する事は不可能となった。業務の担当者が、「11/01までに部材が入れば、何とか工程を調整する」と言っていた事を業務の責任者や加工先D社の製造責任者が蹴ったのであろうか。試作品の納期が間に合わないとすると、A社がユーザへ試作品を納入する納期が間に合わなくなる事となる。そうなったら大変な事となると思うと居たたまれなくなった。

4)

D社の製造責任者は、この試作は「採算が合わないので、止めたい」のであろうか。採算が合わないから試作したくないと言うのと、日程的に間に合わす事が出来ないので造れないと言うのでは対応の仕方が全く異なる。「人が居ないから出来ない」とD社の製造責任者は言っているようだが、人の問題は何とでもなるはずだ。人手が無いなら、開発の人間が手を貸せばいい。装置が24時間全く空かないと言うのであれば困難となるが、装置は時間外や休日には空いている。人手が無いので出来ないと言う事らしい。各工程を見ても、12時間ほど開発の人間を投入すれば何とかなるはずである。もちろん残業となるが、将来の売り上げ増を考えれば12時間程度の残業は問題ないはずである。通常の生産が終わった後で、2人で2~3時間の残業を2~3回行えば出来るはずである。それをしようとしないのは何故だろう。物理的に出来るのにしないのは理解が出来ない。それは採算を最優先したからなのであろうか。150枚程度の量では採算が合わないという事か。

5)

業務の責任者も、D社の製造責任者も、自分達は「D社の業績を悪化させてはならないと言うのが自分達の使命である」と信じきっている。自分達はD社の業績をあげる事に責任があるので、「D社の業績を悪化させる事は絶対にしない」と言う事に胸を張っているのである。であるから、この試作が納期に間に合わなくても、「自分達は何ら忌まわしい事はしていない」と思っているようだ。

戦時中の帝国軍人が「自分達は大日本帝国の為に命を奉げているのである」、「だから自分達の行動は絶対に許される」と自負しているのと同じような気がする。業務もD社の製造責任者も「自分達は間違っていない」と信じきっている。「業績を悪化させることは断じて出来ない」と心に決めているようだ。洗脳されているのだろうか。

6)

業務、D社と開発の間には、相反する主張がある。

   業務、D社は

   ・ D社の業績を立て直す為には、採算の合わない仕事はやってはならない。

   ・ 試作したいなら開発だけで、ラインの空いている時に残業なり休日出勤なりして試作したらいい。

   ・ D社の製造が2人で6時間も残業してまでA社にサービスする事はない。

   開発は

   ・ A社がユーザに20,000枚(カット品)のサンプルの提出が出来なくなる事は何としても避けなければならな

     ない。我が社が頑張らなければ、A社が窮地に落ちてしまう。A社は我が社に対し「何とか力を貸して貰え

     ないか」と言っているのに。

   ・ 本品(物件C)は、極めて特殊な製品で、他社では真似出来ない、高性能な特性を持ったものである。ま

     た、その製品を安定生産するには高い技術力が必要である。我が社にはそれが有る。物件Cが製品化さ

     れれば我が社の評価がおおいに上がる。

   ・ この試作に成功すれば、近い将来必ずライン物としての売り上げ増が期待される。

   ・ 本物件Cは製品損益の高い製品である(予算どおりの売価で、予算どおりの原単位で製造すれば高い製

     品損益が得られる)

7)

開発だけでラインを使って試作するのが筋であろうが、残念ながら開発だけでは作業方法が分からず、ラインを正常に稼動させる事は出来ない。装置にトラブルを起こしては大変である。それ故、製造の仕事の中で、開発に出来る事は開発がやり、浮いた製造の人に、ライン試作をやってもらうしかない。

8)

納期どおり試作品が出来なければ大変な事になると言う心配で頭が一杯なのに、何故開発の主張を強く押せないのか。相手の事ばかり考えてしまう。残業すれば出来ると言う「物理的に不可能な事ではない」のに。

9)

今回のA社から得る部材は寸法が我が社のものとずれている。その為歩留まりが悪く、採算が悪い事は事実である。業務、D社は「何故我が社に合った寸法のものを手配しなかったのか」と私を責め立てた。また、「何故あなたはA社で部材を造る機台の台数を確認して来なかったのか」、「何故あなたはA社の納期が遅れる理由を聞いて来なかったのか」、「機台の数が少ないのではないか」 と責め立てた。本生産になれば、部材の寸法は我が社に合わせるのに。

10)

業務やD社は私のミスを徹底的につるし上げた。本生産の場合は、我が社より仕様を出して標準のサイズで購入するが、今回はA社が独自で部材を造った物であり、こちらからの指示ではない。それ故標準サイズでない事はいたしかたないのに、「何故標準サイズにしなかったのか」と責めてくる。相手の言う事が正論なので反論できない自分が情けない。

11)

工場長に話せば、「将来の為だから、製造が赤字ならその分開発で持ち、製造が採算割れを起こさないようにすればいい。物理的に不可能でないなら、製造は残業してでもやりなさい。その分の費用は開発が持てばいい」と言うに決まっている。何故これが私には言えないのであろうか。

12)

仮に10/28に100枚しかラインに掛けられなくても、11/15までには200枚造る事は工夫すれば出来るはずだ。
開発でも出来る製造の仕事を開発でやり、その分余った製造の人でラインを動かし試作してくれればいい。あるいは通常の生産が終わった後、2~3時間残業してラインを動かしてくれればいいではないか。物理的に不可能ではないと思う。11/15までラインが24時間全く空かないと言うのであれば別であるが。定番(8:30~17:30)の間は、ラインは一杯であるが、それ以外の時間はラインは空いている。

13)

工場の業績が悪い為、残業は厳しく制限されている。製造に関しては常日頃、業務やD社は「残業なしで何とかやりくりせよ」と言われている。だから「残業など出来ない」と業務やD社は考えている。「自分達の使命は、D社の業績を上げる事であり、それに反する事はやってはならないし、また、やらなくても自分達は胸を張っていられる」と考えているのであろう。「人の言いなりになって効率の悪い事ばかりしていたらD社はいつまで経っても自立出来ない」と言う考えだけで凝り固まっているのではないか。

14)

結局、D社の製造の責任者は「10/29までに部材が入れば、11/09に150枚何とか納入出来る」と言って来た。営業は再度A社に交渉し、10/29の朝までに部材を入れると言う事になった。これで当面の11/09に150枚納入する事が可能となった。私は小躍りして喜んだ。業務、D社と営業の間に挟まれて苦しんでいた事からやっと開放された。

15)

私の職場の副部長は「納期や見積もり金額の事は、業務や製造に任せておいた方が良い。彼等が責任を持ってやっている事だから、こちらから先走ってあれやこれや手を出さない方が良い」と言っていた。しかし、「納期が間に合わない」と業務から営業に連絡が入ると、営業は業務に反論せず、開発の私に「あなたはそれでいいのか」と責めて来る。

16)

私がくよくよ心配しなくても、人はちゃんとしてくれると言う事であろうか。人は妥当な判断をしてくれるものであると信じて相談すればそんなに怖がる事はないと言う事であろうか。「何とか納期に間に合わせて欲しい」と業務やD社にお願いしても、「何故あなたはA社から入手する部材の寸法が、歩留まりの悪い寸法にしてしまったか」、「何故あなたはA社の部材の納期が遅いのか聞きた出して来なかったのか」、「何故A社の機台の数を確認して来なかったのか」等と責め立てられると反論する事が出来なかった。

17)

自分の思う事をはっきり主張できない自分がかわいそうだ。


以下「回顧録 欝からの脱出 5」に続く。


52歳(06/17

病院はA病院


抗鬱剤

安定剤

風邪薬

1種類

1種類

1種類


体調が悪い。朝腰を痛めたが、これは関係ない。考えが一つにまとまらず、こうしたいと言う方針が出て来ない。その為、話が出来ない。昨日、S社が来場したが、本来なら、結論や方針を明確に出すべきところ出せず、他人がどう見ているか心配でしょうがない。朝、安定剤を1/2錠、夕方風邪薬を1回分、夜、抗鬱剤を1錠飲む。風邪薬ルルを飲むとダルさが薄らぎ、気分も少し変わる。後で分かったが、エフェドリンを含む風邪薬は飲むと多少症状が変わるようだ。

次の予定有り。

    6/21(月) A社出張。技術的打ち合わせ

    6/22(火) 研究発表会座長

    6/23(水) 合理化会議。 工場間技術連絡会議

    6/24(木) 研究開発会議

いろいろと有り、気が重い。



52歳(10/19

病院はA病院

抗鬱剤

安定剤

その他

1種類

1種類

なし

1)

夕食の際、急に全身から冷や汗が出て来た。あれもやらねば、これもやらねばと思ったら、全身から冷や汗が出て止まらなっかた。

   1.A社に行く前に、試作報告書を作成し、関係者に製品仕様書を見せ、承認を取らねばならない。

   2.M社(S)に提出したサンプルの使用後の分析結果報告書を書かねばならない。分析会社から分析結果

     が出ているのにまだ報告書を書いていない。

   3.M社(Y)向けサンプルの特性試験を行わなければならない。

   4.最大の懸案は、技術雑誌向け原稿の構想が全く出来ていない。

 これらの事を、食事中に考え出したら、全身が寒くなり、冷や汗が止まらなくなってしまった。こんな事は今まで無かった。居たたまれなかったので、食事後直ちに安定剤を飲んだ。部屋に引きこもったが、汗は止まらなかった。こんな事だと、身体がだめになってしまうと思った。

2)

24日に法事があるが、仕事の事で頭が一杯で,人と明るく話など出来ないと心配になった。行けそうにもない。テレビを見ていても全く上の空で笑い声などとても出て来ない。

15分ほど経過したら、落ち着いて来た。薬が効いて来たのであろう。風呂に入りながら考えた。

3)

仕事の事は、何もかもいっぺんにやろうとせず一つづつ片付けて行こう。

   1.A社の試験報告書は、出張が終わった後、出張報告書と共に出せば良い。

     仕様書も、まず、先方の試験結果を聞いて、要求事項を確認してから後日書けば良い。

   2.M社(S)向け報告書も、営業部長に相談して伸ばしてもらえるなら伸ばしてもらおう。来週一杯ぐらいで

     も良いであろう。

   3.M社(Y)向け試験は、一部だけ今週中にやっておこう。

   4.投稿の件は、図書館にある本の中から、参考となりそうなものはコピーしてファイリングしたのでまずそ

     れに目を通しておこう。

     特に、我が社の製品Hについては既に文献にもそのようなものが存在するとの記載も有るので、その実

     施例として我が社の製品の事を書いてみよう。

   5.明日はまず、特許の出願登録について関係者に話そう。

こんな風に考えてみると、気が少し楽になった。しかし、今はいいが、また明日の朝になると、地獄の苦しみが待っている。朝の苦しみは必ず襲ってくる。一日も欠かさず襲ってくる。耐えられるであろうか。

朝、昼、晩安定剤を一錠づつ毎日飲んでいる。抗鬱剤は止めたいのであるが、毎日飲んでいる。



52歳(10/20

病院はA病院

抗鬱剤

安定剤

その他

1種類

1種類

なし

1)

朝、目が覚めた瞬間から不安と恐怖が襲って来た。直ぐ安定剤を1錠飲む。苦しくてしょうがない。何も話す事が出来ない。黙ったままだ。家内や子供達と言葉を交わす気になれない。会社でまた一日苦しまなければならないと言う思いが、自分を不安や恐怖に落とし込んでいる。きょうは別に何も無いのだと自分に言い聞かせても、不安が拭い去れない。早く薬が効くようになって欲しい。

2)一日の仕事が終わって家に帰って来た。

  1.A社は我が社に対して安定供給の取り決めを求めている。しかし、品質の要求事項が厳しい為、安定供

    給は極めて難しい。工場がありとあらゆる製造上の問題点をクリアーしておかないと安定供給は引き受け

    出来ないではないかと営業は迫って来た。この製品は、技術的に製造上解決しなければならない多くの

    点がある。そこで営業は

      a. 工程の全てに問題解決の為、特殊装置を新設せよ。

      b. 製造上、どうしても発生する問題点を是非とも工場は解決しなければ受注は出来ない。

      c. もともと常識はずれの要求特性を持つ製品なので、引き受ける事自体が無理であるのに、それによ

        り発生する問題については営業は一切責任を負わない。 

    と言って来た。

  2.A社は我が社に、次のような要求事項を提示した。

      a. 品質体制の確立と品質の保証

      b. A社による我が社の工場認定

      c. 我が社が原材料を購入する購入先のサーベイと我が社の工場サーベイをA社は行いたい。

    これらの事に、工場業務、製造及び品証が協力して受けて立ってくれるであろうか。

    ユーザからの要求を解決する為に、各部署に対し、「こうして欲しい、ああして欲しい」と自分が明確に指

    示し、従わせる事が出来るのなら楽なのであるが。各部署は「そんな無理な要求を良く持ち帰って来たな」

    と言うだけであろうと心配でならない。その思いで、帰りの電車の中では恐怖で一杯であった。

3)

薬を飲んでも少しも効かない。明日の朝また苦しむのか。最近急に体調が悪くなって来た。急に体調が悪くなったのは、技術雑誌への、私が開発して来た製品に関する投稿が最大の原因である。書かなくてはと思うが、構想やまとめ方がまとまらず、自信が無い事による不安や恐れが頭の中に充満して拭い去れない事にある。もし書けなかったら大変な事になるとの思いで不安が一杯である。



52歳(10/21

病院はA病院

抗鬱剤

安定剤

その他

1種類

1種類

なし

1)

朝起きた時は相変わらず落ち込みと不安で一杯であった。しかし、安定剤と抗鬱剤を起きて直ぐ飲んだら少しづつ気分が変わって来た。

2)

会社でも、直ぐにしておかなければならなかった投稿の目次書きが始められたせいか、気分が少し落ち着いた。また、M社(Y)向け製品の試験用サンプルも1時間ぐらいで作る事が出来た。これで、明日試験が出来る目途が立ったので、この事も良かったせいか多少気分が落ち着いた。

3)

明日はA社への出張だが、予想される点について、同期の副部長に予め話が出来た事は良かった。先方で、それらの話が出ても、どう対処したら良いか見当が付いたので、気が少し楽になった。しかし、そう安心すると、逆に油断して大きな失敗が発生するかも知れないと思った。「土曜日に投稿の下調べをすれば良いや」という気になったら少し気分が楽になった。朝の薬が効いたのであろうか。



52歳(10/22

病院はA病院

抗鬱剤

安定剤

その他

1種類

1種類

なし


1)

A社に営業と共に出張した。結果的には前回開発が提供したテスト品は、先方の試験では

   1.物性は良かった(T特性、A特性)。

   2.外観も良かった(但し、一部構造に問題あり)。

   3.今後の日程は

     a. 11/20までにA社は、ユーザに2万個のテスト用サンプルを提出する。     

     b. 従って我が社はA社に次のような日程で試作品を納入してほしい。 

        10/09 大判で150枚

        10/15 大判で150枚

        12/08 大判で200枚

       是非とも納入して欲しい。

     c. 来年1月に1000枚必要

   4.秘密保持契約を取り交わしたい。

   5.製品仕様書を早急に取り交わしたい。

この内容は、前回我が社が提出した試作品は合格で、12月までに約500枚、1月に1000枚のサンプル提出と言う事であり、上市に一歩近づいた事を意味する。即ち試作品を提出した開発としては大変喜ばしい事である。営業も上機嫌であった。

しかし、A社を出て、営業と分かれた後、急に気が沈み不安で一杯となってしまった。工場に帰ったら、業務と製造に次のように問い詰められるであろうと言う思いで。

   1.納期はどうするのだ。出来もしない納期、即ち「10/09に150枚、10/15に150枚などと言う日程を何故撥

     ね付けて来なかったのか」、「日程的に明らかに無理である」と言うであろう。

   2.製品仕様書に、特性Aを載せる事はどうするのだ。「どのようにして保障するのか。本製品にはもともと

     該当しない特性で、その特性を安定化する為に、製造上どう製造条件をコントロールするのか。出来る

     はずがない。仕様書に載せるべきではない」と。

   3.「特性値Cの許容差をどうするのか。3σを取ったら±4.5%となる。こんな大きな値をA社は飲むはず

     がないではないか」と。

昼にも安定剤を飲んだが、少しも効かず、帰りの電車の中ではずっと不安で一杯で全く憂鬱であった。工場にも帰りたくなかったが、16:30頃駅に着いたので工場に帰った。

2)

工場に帰り、副部長に話をした。彼は「納期については、業務の責任者と担当者に直ぐ話をした方が良い」との事。

3)

業務の責任者は、特に異論なく話を聞いてくれた。担当者には、営業から既にFAXで話が伝わっていた。しかし業務は、11/05まではラインが一杯で、150枚の試作はとても無理との事。但し、製造工程の調節により、11/08に工程が空くかも知れないとの事。11/08までに部材が入れば11/13頃には、何とか150枚は出来そうである(それでも11/09の納期には間に合わない)。

4)

家に帰るとまた不安が襲って来た。苦しい。安定剤を飲んでも良くならなかった。このままでは日曜の法事には行けそうもない。仕事の事をいっときも忘れられない人間になってしまった。

5)

朝起きた時、いつものように不安感が襲って来た。しかし、ひょんな事から、家内と一言、二言話をしたら、何となく気分が楽になったような気がした。ひょっとしたら今日は少し体調がいいかも知れないと思った。安定剤と抗鬱剤をすぐ飲んだ。そのせいか、投稿の準備をしてみようかと言う気になった。結局午前中一杯その仕事を行う事が出来た。

6)

昼食後も安定剤と抗鬱剤を飲んだ。気分が少し良かったので、車で家内と隣町まで買い物に出かけた。車の中で少し話が出来た。

7)

この頃は、精神科のA病院に通院しており、抗鬱剤は一日3錠(1種類)、安定剤が一日3錠(1種類)処方されていた。後に、別のS病院で抗鬱剤を一日6種類計18錠処方された時もあった。


(以下回顧録 欝からの脱出 4 に続く)

7)

しかし結局、外注先Aで先方の資材の責任者と会う事となった。そこで資材の方から次のような事を言われた。

1. 物件1はゴミのようなものである。

2. 物件2が本命である。(物件2は初耳。営業は知っていたのか)

3. 物件2を行えば10M/月、20M/月につながる話である。

(物件1は我が社の製品を一部使用しているが、物件2は我が社の製品を全く使用しない構造のものである。物件1だけで10M円、20M円であると思っていた)

4. 物件1だけを納入すると言う事は有り得ない。物件2を作ってもらいたい。そうすれば10M/月、20M/月となる。

5. 物件2については他社既成品と全く同じものと、我が社独自のサンプルを作って欲しい。

8)

我が社の製品を部材として全く使用しない物件2がメインであると言う事は全

く知らされていなかった。物件1を「おとり」にしていたのであろうか。営業はそれを知っていたはずである。何故私に知らせてくれなかったのであろう。

9)

資材の方が言いたい事は

(1) 何故あなたは10M円、20M円の仕事に真剣に取り組もうとしないのか。

(2) 資材の方が我が社に期待し、充分待ってやっているのに、何故あなたは真剣に取り組もうとしないのか。

(3) 他社のサンプルを見せてやっているのに、何故あなたは真剣に取り組もうとしないのか。

と言う事である。

10)

私を取り巻く背景は次のとおり。

(1) 本ユーザへの売り上げは、現在700k円/月程度である。(大口ユーザではない)

(2) 物件1は「コストが合わず辞退したい」と言う結論を工場業務は私に言っていた。

(3)営業は「10M円、20M円の話にあなたは何故燃えなかったのか」と言っている。この、業務と営業の主張は完全に相反している。

11)

更に、「物件1はゴミであり、物件2が本命である。それが10M円、20M円である」と言う事を「なぜ私は上司に報告しておかなかったのか」と上司から問い詰められそうで心配であった。

12)

正直者で気が小さい私は、後でバレて自分が苦しむ事が分かっている事は、必ず人に話していたはずである。

13)

私は神に誓って言う「物件2の話が有った事、それが10M円、20M円である事は事前に全く知らされていなかった」と。

14)

営業は、資材の方に物件1の外注加工先としてA社を紹介した。しかし

(1) 営業が自分達で試作した物件1のサンプルはこのA社で作成した物ではなかった。全く別の業者に作成させていた。それであるのに、物件1は今後A社で作成すると資材の方に説明した。

(2) 資材の方もA社で物件1,2を製造するものと思いA社を訪問した。

15)

資材の方がA社を訪問した感想は次のとおり

(1) 既存の外注先で製造している従来品の物件2をA社で作成してもここなら安く出来るであろう。

(2) その理由は、A社の従業員が同じ部材を使用し同じ構造のものを作成するとしたなら、既存の外注先とは違いA社の従業員はパートのオバサン達ばかりであるので人件費が安い。

営業が物件1のサンプルについて、資材の方に説明したが、開発はそれを黙認したようなものとなった。


3.工場方針の回答


1)

その後、物件1に対する工場方針が決定され、営業に伝達された(6/22)。内容は

 (1) 「物件1及び2はコストが合わない為、営業で直にやって欲しい」(即ち、営業が代理店を通して

     A社とは別のB社に加工させる。その管理は代理店が行う)との検討結果を工場長より営業部

     長に回答した。

 (2) この決定は、私の直属の部長が事前に工場長に「物件1及び2は工場でやるべきではない」と

    進言してくれていたお陰である。

2)

6/22の工場長の営業部長への回答以前に、私は、直属の部長へ物件1及び2についての今後の方針について報告書を提出していた(6/22朝)。その内容は

 (1) 工場を通さずに、営業だけで物件1,2を製造手配しユーザに直に納入できる様にする為、新た

     なルートを作る事とした。即ち外注加工先に、A社とは全く別のB社を選定する事である。また、

     営業と外注先B社との間に、各種指示を統括する為の代理店を置く事とした。この説明の為、営

     業をB社に連れて行った。

 (2) このルートは「営業-代理店-外注B」で、これなら工場が手を出さなくても、図面の作成等を含め

     営業と代理店だけで充分に製造出来ると判断した。

(3) 営業も、外注先Bを見て、このルートなら自分達で出来ると納得した。

この報告を見て、部長は工場長に進言してくれた。

3)

工場長が営業部長に「物件1,2はコストが合わない為、営業で直にやって欲しい」と言ってくれたのを聞い時、私は小躍りして喜んだ。これによりどれほど私が助けられたか言葉には言い表わせない。

やっと、物件1,2の苦しみから逃れられると思った。

4)

物件1,2の件は、もともと工場でやるべきではないものを、営業が強引に既成事実を作り上げ、開発を引きずりこもうとしたところに無理があった。これによる歪みで、私は言語に絶する苦しみに落ち込んだ。

5)

この件が無事終了した時、健常人なら「自分は大きな壁を乗り越える事が出来た」と自認し、自信が付、ひとつ大きく成長する事だろう。しかし、今の私は、そんな状態ではなかく「もう嫌だ。こんな事は二度としたくない」と思い、ますます仕事に対して自信を失ってしまった。苦労すればするほど、恐れが大きくなり、欝からの脱出など思いもよらなかった。

6)

これだけ苦しんでいても、決して「自分は精神的に苦しんでいる」と言う事を他人に悟られたくなかった。まして「鬱などで苦しんでいる」と知れたら、[あの人はそんなに弱い人だったのか」と思われてしまうと思い、じっと耐えるだけであった。しかし、もし自分が自殺でもしたら、[あの人はそんなに苦しんでいたのか]と同情してくれるだろうなと言う淡い妄想にかられていた。


4.物件1,2の件が終わってみて

1)

加藤諦三の著にこう書かれている。

 (1) 我々は、成功したり失敗しながら人生を生きて行く。大切なのは失敗した時も、成功した時もそ

     れを正しく解釈する事にある。

 (2) 成功の原因を外の何かに帰し、失敗の原因を自分の中に求める。それが鬱病的傾向の特徴で

     ある。 

分かるような気がする。

2)

「物件1,2は工場を通したのでは採算が合わない。そのようなものは工場はやらない」ただそれだけの事ではなかったのか。私は何故その考えを初めから押し通せなかったのであろう。症状が回復した今なら徹底的に営業とやりあえたのにと残念でならない。鬱のど真ん中に落ち込んでいる時は、こうもまともな判断や行動が出来ないものであると言う事が良く分かった。

3)

欝で苦しんでいる特は、その環境から抜け出し、充分に静養する事が肝心であるとよく言われている。しかし私の場合、いくら苦しくても、「休暇を取る」事など、全く考えもよらなかった。半年なり1年なり休職し、ゆっくり養生し、薬も飲み、自己回復力で治せば良いのにと思われるが、実際にはそれが出来なかった。理由は、自分が欝である事を他人に知られたくなかった事による。家族達がどう思われるかと考えた。あのご主人はなぜ会社を休んでいるのだろうと言う噂が広がると思う。自分は、休んでいれば、仕事からの苦痛から逃れられるので楽になるだろうが、家族の者たちが世間への説明に窮する。それに、私が休職後職場に復帰した時、どういう顔で、みんなに会ったら良いのか分からない。自分が欝である事が分かってしまい、恥ずかしくて顔を合わせられないと思う。だから休暇を取って養生する事などは全く頭に無かった。

私はかって尿管結石で1ヶ月入院し会社を休んだ事が有る。この時は、憂鬱な気分は取れなかったが、仕事の苦しみから開放され、とにかく最高であった。結石の痛みなど気にならなかった。会社を休んでも、全く恥ずかしいとは思わなかった。会社の人が見舞いに来られても、大手を振って病気の話が出来た。鬱の場合はそうは行かない。見舞いに来ないで欲しいと思ったであろう。

4)

こんな時の最良の方法は、工場長などから「暫く公害防止の仕事などして、一戦から離れた職場でゆっくり仕事をしたらどうか」などと言ってくれれば良いなと秘かに思っていた。公害防止管理者の資格を持っていたので、そうしてくれる事を心のどこかで願っていた。だったら自分から申し出れば良いのにと今さら後悔しているが、当時は自分からそう申し出る事など思いもよらなかった。

5)

この頃は、抗鬱剤1種類と、安定剤2種類を処方されていたと思うが、薬ではどうのもならなかった。安定剤や抗鬱剤をかじりながら仕事に耐えていた。


5.教訓

物件1、2で悩んでいた時の対処法として最良な方法は

1) 工場長に正直に「今のままでは体が持たないので、工場の排水処理の仕事に変えてもらえない

   か」と打ち明ける事である。

2) 工場長は温和な優しい方で、日頃私が真面目に仕事をしている事で、つねずね私を仕事上かばっ

   てくれていた。話せばきっと善処してくれたと思う。

3) 排水処理の仕事なら、憂鬱な気分があったとしても、充分対処できたと思う。

4) これなら、「私が鬱である」と言う事は工場長しか知らないですむと言う事であり、願っても無い事

   ある。

何故この事が当時の私には出来なかったのであろう。残念だ。


39歳で管理職になり、以来51歳の今日まで12年間にわたり欝で苦しんで来た。更にこれ以降、14年の長きにわたって鬱の症状に苦しむ事となった。それについては、後日徐々に記したい。

   



回顧録 鬱からの脱出-回顧録1ページ11P

                      図1 抗鬱剤、安定剤 処方量の推移

回顧録 鬱からの脱出-抗安グラフ




51歳 06/12日頃の日記より




39歳で鬱を発症した私は、それ以後65歳まで26年間病魔に苦しんでいた。この日記は、51歳の時のもので、鬱の真っ只中のものである。当時の私は製品開発の部署におり、日記にあるように、営業から試作品の事で責め立てられ、それに押し潰されていた。私は病魔の為に苦しんでいた為、全てが自分の責任と考え、なすすべも無く、営業の責めにただただ怯えているだけだった。健常人であるならば、充分耐えられ乗り切れたものであったが,当時の私には、欝からの脱出などとても考えられず、ますます鬱の泥沼にはまりこんでいた。90%鬱から脱した今の私なら、あのように責められても、充分反論が出来、悩み苦しむことは無かったであろう。営業と正々堂々と渡り合えたと思う。

仕事の重圧、脅迫で、鬱に苦しんでいた時の事がこの日記に赤裸々に記されている。

今は、その当時の自分を優しく抱きしめて、ご苦労様と言ってやりたい。鬱になっていたあの当時、本当はどうすれば良かったのかを、読者の方々と共に考え、今後の教訓にしていきたい。日記を書いたのは、自分の苦しみを他人に話す事が出来ないので、せめて日記で「自分はこう言いたかったのだ」と叫んでいたのだと思う。



1.物件1の件

1)

営業が、外注加工メーカと接触し、開発(私の部署)に内緒で試作品をこっそり作成していた。試作品と言う物は、本来開発で手がけるものである。しかし、今回の物件1の場合は、営業が試作品を作るまで私の方では作っていなかった。これを自分では自分の落ち度と考え、その責任からは逃れられないと思っていた。私が試作品を作らなかった理由は、物件1のように、一部我が社の製品を部材に使用してはいるが、ただ外注先に加工させるだけで、たとえ製品化されても、工場の製造工程を全く経ない製品で、回収はほとんど上がらないものであった為である。

一方営業は、試作はしたものの、自分達ではその後のフォローが出来ない事が良く分かっていた。即ち、営業だけでは 安全性の検証、設計(図面の作成)、製造指示書、原価計算、原単位登録、原価低減、製品損益、固定費回収額、製品仕様書、技術標準、作業標準、検査規格、外注工程管理、クレーム対応等まったく出来ず、試作品を作っても後が続かない。よって、開発が試作品を作ってくれれば、上記管理は全て工場がやってくれるので、是非とも試作品の作成には開発が絡んで欲しかった。営業としては何とかして工場の開発に仕事を背負い込ませようと必死であった。売り上げは10M/月、20M円との事。営業は、開発の私が試作品を作っていない事を盾に、私を強力に責め立てた。

2)


営業としては、売り上げ金額が大きい為、何とか予算化したいとあせっていた。「10M円、20M円の売り上げがあるものを開発は何故手掛けないのか」と言う。

3)    

物件1は、一部我が社製品を部材に使ってはいるが、ほとんどが社外の部材を使用し、外注のみで加工した製品で、工場での回収が無いものである。他に仕事が無いなら別だが、付加価値のほとんど無い製品の開発に工場の開発のマンパワーを掛ける事は出来ない。更に生産になった場合、上記に示した設計(図面作成、製造指示書)、原価管理、品質保証、部材調達、工程管理等に工場の間接人員を掛ける事は、回収が立たない為なおさら出来ない。それに本製品は余程の原価低減をしない限りどうしても赤字になってしまう。同じ売り上げでも回収が立つものと立たない製品がある。回収が立たないものを工場が生産管理する事は出来ない。

4)

このような「付加価値の少ない製品は、工場には向かない」と言う事を営業には何とか分かって欲しかった。

5)

しかし営業は、会社の上層部の人を通して、試作品を作らなかった私に対して圧力を掛けようとしている。何としても開発を引きずり込もうとしている。私もまた、試作品を作らなかった事は、私の落ち度であると思わざるを得なかった。

6)

営業は、自分達がひそかに手配し試作した試作品を私に見せ「やろうと思えばこのように出来るのに、何故開発は積極的にやろうとしなかったのか」と私が物件1に消極的で試作品を作らなかった事を攻め立てた。私の怠慢であると言う。

7)

営業は、もしこの事が本社に知れたら私の立場は無くなると脅迫。

8)

だから今からでも遅くないから、営業が作った試作品を開発の私が作ったように見せかけて、工場内で意見統一し、このようなものが出来たからと開発から提案すべきであると脅迫した。私が試作品を作らなかった事を逆手に取っている。営業は、私に先回りして試作品を作成しておき、それを私の目の前に差し出して「このとおり出来るのに何故やらなかったのだ」と私を責め立てた。私には自分が試作品を作らなかった事に対し負い目を感じていた。

9)

営業は「このままでは、開発の人間はメンバーが変えられる」と脅迫した。

10)

このように営業は人の弱みに付け込んで人を脅迫して思いどおりに動かそうとしている。自分の落ち度を認めている人間を攻撃する事ぐらいたやすい事は無い。

11)

このような侮辱を受けてもそのとおりだと思ってしまう自分が情けなかった。

12)

「侮辱は侮辱する人間が悪いのではなく、侮辱される人間の方が悪いのである」と言う思想に相通じるものがある。

13)

営業がこのような行動に出るのは、営業には「ハングリー精神」が有るからだという。開発にいろいろと要求するのは「ハングリー精神」から出たものであるからと自分達の行動を正当化しようとしている。「ハングリー精神」があれば全てが正当化され何でも出来るのであろうか。まるで戦時中の青年将校のようで怖かった。

14)

我が社もひとつの社会である。ひとつの社会を成り立たせるには、誰でも守らなければならないルールや越えてはならない限界があるはずである。社会は一人で構成されているのではなく、いろいろなしがらみを背負い込んだ個人の集まりから構成されている。「相手にとって自分はどういう意味を持っているのか」、「相手にはどういう事情があるのか」と言う気配りなどを全く考えていない。これでは、会社と言うひとつの社会に存在する事は出来ないはずである。にもかかわらず、「ハングリー精神」をふりかざしていればこのような気配りを無視しても許されると思っている。あまりにも自己中心的でありすぎる。

15)

ひとつの社会の一員である以上は、「こんな事を、こんな方法で頼むのは失礼だ」とか、「これ以上相手に要求するには限界がある」とかと言うルールが必ず有るはずである。一国の殿様であればそれは出来るかも知れないが、今の世の中ではそれは許されない。もしそれをやっているとすれば、その人は、それはあまりにも自己中心的で、自己肯定、他者否定の考えである。

16)

自分のように、自分の落ち度を認めてしまっている人を責めるのは赤子の手を捻るよりも容易な事である。こんな事は、営業にとってはいとも簡単な事なのであろう。

17)

前回、物件1に関し営業と一緒に、それを購入する大手のユーザに出張した事がある。そこで先方の購買の方と次回提出するサンプル(物件1)について打ち合わせを行った。そこで、提出するサンプルは「あのようなもので良い」との了解が三者の中でなされた。「あのようなもの」とは、営業も、購買の方もイメージは同じであり、それは自分が描いていたイメージと同じものと解釈していた。すなわち、外装をある特殊な部材で覆った物と自分は考えていた。この案で了解されていたものと思っていた。それに基づき、自分は同じ構造のサンプルを作成した。

18)

ところが今日になって「何であなたはあんな立派な構造にしたのか。あんなものでは先方の資材の方が言う3000/個で出来るはずがないではないか。なんであなたはあんな物を作ったのか」と責め立てた。営業は言う「何故あなたは今日営業で作って来たような3000円で出来る条件のものを提出しなかったのか。自分はあんな物をあなたが作って来るとは思わなかった。あなたは何を考えているのか」と責め立てた。営業が作ってきたサンプルには特殊な部材の覆は無かった。「先方の購買と営業と三者で話した時のイメージはあなたが作成したあんな物ではない」と言っていた。「あなたがあんなサンプルを作ったので営業はえらい恥をかいた」と言う。私が充分に確認しておかなかった事が失敗の元であった。反省している。

19)

このような人といつまでも仕事上ニコニコしながら付き合っていかなければならないのであろうか。こんな事を言われても相手の言うことに逆らえず、全て自分の落ち度と思い、相手の言うとおりにしてしまい、相手の感情を損なわずに生きていく事しか出来ない事に寂しさを感じた。相手の思うとおりに行動する事によってのみ自分を守る事が出来ない自分が情けなかった。自分がかかわった事は、たとえ他の人の方が責任が大きくても、すべて自分のせいと考え、責任が重くのしかかり、朝、目が覚めてから夜寝るまで一時も心が安やすらぐ時は無かった。心配と恐れの連続であった。



2.外注加工先(A社)見学の件

1)

物件1を将来加工する外注先を、ユーザとなる大手メーカの資材の責任者が見学したいと言う。目的は、「その業者なら現行の既納入業者より安く製品が出来そうか」を確認したいとの事。既納入業者と同じ物を、同じ材料で作らせた場合、安く出来るかどうかを検討したいらしい。納入業者を変え、同じ物を更に安く納入させることが出来れば、資材の方としては大手柄となるのであろう。

資材の責任者の考えは、我が社が外注先をユーザに紹介すれば、我が社はそう簡単にはこの話から下りられないであろうと考えている。

2)

営業は、試作品の開発は「このとおり進んでいます」と言う事を、先方の資材の責任者に、工場の開発の私から説明させたかった。その為、資材の方、営業、開発の三者を外注先で会わせたかった。営業は、私から、「このように開発が進んでいます」と言わせたかった。

3)

営業が、「自分達の営業の方針を、先方の資材の方及び開発に説明したい」と言


うのであればまだ話は分かる。しかし、営業が勝手に進めて来た事を、さも開発が主体に進めているかのように資材の方に説明させようとする事には納得出来ない。しかし営業は私を脅迫してこれを推し進めようとしている。

4)

物件1の試作品は、営業が考えたものであり、開発が「製品の構造を設計し、安全性を検証し、原価をはじき、工場内をオーソライズし、これなら行けると」と判断したものではない。であるのに、それを工場案として資材の方へ説明させようとしている。

5)

工場案として説明すれば、「加工先はここで行い、技術的にも確認済みであり、価格も問題ない」と資材の方に私が保証する事になる。更にこの案が工場内で業務をはじめ、製造、品証にオーソライズされていると説明せざるを得ない。これは全く現実とは異なる。

6)

工場内では、業務をはじめ各部署で「物件1は価格的に合わない為、先送りする事」になっていた。その為、開発の私が物件1については検討していなかった事に対して、本来は営業に「申し訳なかった」と謝る必要はなかったはずである。にもかかわらず、私は工場業務と営業の両方からそれぞれの主張を言われどうしたらよいか決められないでいた。両者の間に挟まれ身動きが出来なかった。「工場としては、物件1はやるべきではない」と言う事を営業に強く言えなかった。全てを自分の中に閉じ込めてしまった。腹を決めてしまえば少しは気が楽になるのだが。


しかし結局、外注先Aで先方の資材の責任者と会う事となった。そこで資材の方から次のような事を言われた。

7)

しかし結局、外注先Aで先方の資材の責任者と会う事となった。そこで資材の方から次のような事を言われた。

1. 物件1はごみのようなものである。

2. 物件2が本命である。(物件2は初耳。営業は知っていたのか)