ゴールデン☆チュッパチャップス

ゴールデン☆チュッパチャップス

たまに更新します。自己満足ですよこのブログは

Amebaでブログを始めよう!

 今回は本の紹介をしたいと思いマース。

 まあジョミーが面白いと思っただけですので、主観と偏見の固まりが生み出したような評論です。いやなら即刻戻るを押してジョミー死ね!と叫んでください。泣きますから。

 さあ始めましょう。まず一冊目は藤原伊織より『てのひらの闇Ⅱ』です。私はこの作品に出会えた事を心の底から良かったと思います。著者は小説家となる前は広告系の会社に勤めていた経験があり、その時の知識を題材にして小説を書く事が多い作家です。

 このように前の職業を元にして小説を書く作家として有名なのは佐々木譲さんなどがいますが、著者もその中の一人です。実体験を元に書かれた内容は現実味がフィクションとは比べようがありません。確かにフィクションが現実よりもリアルを感じさせる作品はいくつもありますが(たとえば伊坂幸太郎の『重力ピエロ』など)特にこの著者の作品はリアルという点では誰にも負けないと思います。

 内容としては、飲料会社宣伝部課長・堀江はある日、会長・石崎から人命救助の場面を偶然写したというビデオテープを渡され、これを広告に使えないかと打診されるが、それがCG合成である事を見抜き、指摘する。その夜、会長は自殺した!!堀江は20年前に石崎から受けたある恩に報いるため、その死の謎を解明すべく動き出すが…。 というのがコピペ。

 著者自身の最大の特徴は主人公の人格です。自分の信念を決して曲げず、なおかつ義理と人情を大切にし、受けたは恩は必ず返すというまるでスーパーマン。その中のも人間らしさを感じさせるのは簡単するほかはないでしょう。

 と、これまでが紹介でした。ぜひ読んでくださいね。

 このブログの目的は文才を高めたいという一心で立ち上げました。なので文ということに関してはいろいろとしていこうかと思います。

 ということで今回は小説です。いくつかに分けて載せていくのでよろしくお願いします。

 今回のテーマの一つとして目が見えないということを書いておりますので、目がバリバリ見える私にとっては偏見しかありません。なのでそれがいやな方はすみません。ですが毎回言う通りこのブログは私の自己満足です。その自己満足に付き合っていただけるのならジョミーは幸いでしょう。タイトルはSEKAIです。あー中二病。


                                  【SEKAI】

 この世なんて面倒で無意味で乾燥しててつらい事しかなくて嫌で嫌でしかたがなかった。
 明日は怖くて今は辛い。過去は恐ろしくて変えられない。
 でも、でも生きなくちゃならないんだ。
 どんなに怖くても目を開いて、どんなに辛くても明日はやってくる。人生なんてそんなものだ。生の意味なんてそんなもんだ。だから適当に生きればいいんだ。面倒で無意味で乾燥してて辛いことしかなくて嫌で嫌でしかたなくても……。
 昔はそんなことばかり思っていた。彼女にあうまでそう思っていた。燃え上がるような熱く厚い魂と天まで届くようなあの情熱を持った彼女とであうまでは――

、気が付くと私は極端に人というものを恐れていた。おそらく大体の人間が青春に過ごす中学生という時期を私は怯えながら生きていた。
 別に私が親から虐待を受けていたり、人間不信に陥るようなトラブルは一つもない。むしろ親は優しく、周囲は平和と安寧に充ち満ちていた。
 それでも、それでも私は人が怖い。恐ろしくて恐ろしくてたまらない。
 多分この恐怖の原因はうすうす感づいている。人とともにいるだけで逃げ出したくなるような、かといって一歩も足を踏み出せないこの感情に。
 それは私が――目が見えないからだ。
 母の話によると私の目は先天的に弱いらしく、生まれた時からほとんど見えていなかったらしい。今ではまったく見えず、いつも暗闇が世界の全てだった。
 しかし、目が見えない変わりに私は他の感覚器官は常人よりも発達した。
 指、鼻、口、耳、とくに鼻は常人の数倍効き、一度かいだ匂いはいつまでも忘れなかった。だから両親や妹、友達などの名前を覚えるまえに匂いを覚え、それで区別をしていた。
 最初はなんて素晴らしいものだろうと思った。目などいらない、これが私の世界の全て。花は美しい匂い。両親は優しい匂い。部屋は私の匂い。そうやって世界が広がっていく、色彩なんてものを超えるダイレクトな世界。そんな世界を私は心の底から愛おしく思った。
 でも、そんなに世界を優しくはなかった。
 小学生にあがる頃私の鼻はすでに人の十倍近い嗅覚を保持していた。どんな匂いでもかぎ取れる自信があった。だからこれから知る新しい世界がどんなに美しいものだろうか……そんなことばかり思う日々が続いていた。だが、そのとき異変が起きた。
 それは小さな異変。人なら誰でも知ること、そう感情だった。
 前からそれついては分かっていた。しかしそれは漠然としており、匂いとしてでしか理解が出来なかった。しかし、小学生に上がると同時に私はそれを理解した。
 感情を嗅ぐと言うことは心を知るということにつながった。相手がどんなときに怒り、泣き、恐れるのか簡単に分かってしまった。分かるたびに不思議に思いとても嬉しくなった。まるで超能力者になった気分。爽快だった。壮快だった。
 小学校低学年まではそれで良かった。目が見えなくてもその超能力のような力で友達ができ、何一つ不自由のない生活を過ごしていた。
 でも五・六年生のころからだろうか、人の感情がよどむようになったのは。
 始めは気にしなかった。それでもいい、私の世界は変わらない、みんなで仲良く過ごすんだ。そう強く想っていた。
 でも変わってしまった。まるで私の想いんなんて奇跡だったかのように儚く消え去った。
 変わってしまったものはいくつかある。まずは友達だ。
 私は目が見えないので外で遊ぶという事がほとんど出来なかった。買い物も家族と一緒に出かける時以外はしなかったし、漫画やゲームもできない。考えて見れば私に趣味というものも存在しない。毎日変わりゆく香りが私の遊び道具だった。
 それで良かった、それだけで良かった。しかし友人たちはそれを認めてはくれなかった。
 彼らは、買い物をし、ファッションを楽しみ、ゲームに目を奪われ、外へ外へと飛び出していく。今思えばそれらを何一つしようとせず部屋に籠もり自分の世界へ深く深く沈む私はとても奇異に見え、同時に煩わしかっただろう。友達なのに誘っても外へ出ずゲームを分からず、おしゃれも気にしない私は共にいてもつまらなく、さぞかし面白みにかけただろう。
 小さい頃はそんな事も彼らは気にしなかった。でも今は違う。感情を使いこなすことで疑問を持ち始めたのだ。私の存在に……。
 そして私はいつしか一人になっていた。友達といえそうなものも、表面上では私に気軽に接しているが、内心では他の人間と話したいでもこの子を一人にしたら可哀想だという残酷な優しさ。どのような感情も分かってしまう私はその優しさがとてもとても悲しかった。そんな同情が悲しかった。
 これはわがままかもしれないが、そのような感情で接してくるならいっそうの事突き放してくれても良かった。実際にその方が私も楽だし、相手も楽だろう。相手が無理しているのが分かると無償に腹立たしかった。
 だけれどこれは全ての始まりだった。この時点で私はまだスタート地点だった。長い長いスタート地点だった。

どうもジョミーです。初めましての方は初めまして。

始めたばかりのこのブログ、全く持って更新する気配ゼロですね。いいんですただの自己満足なので。

本題がずれましたね、ではタイトル通りの話をしましょう。


私は剣道というジャパンニーズ文化の一つを嗜んでいるのですが、まあスポーツというものをやっておりますと必然的に大会というものが存在します。うっせ大会なんて知らねえよカス!と言う人には無縁な話しですが一応そこはあると仮定してください。


そういう大会は大抵日曜や祝日などに開催しますよね。普通の一般人の方なら土曜日とかにしっかり休んで大会へ・・・・・・なのですが、ジョミーが通っている学校はちょっと頭が弱いらしく土曜日も学校があるんですよ。


まあしかし今ではそんな学校も少なくはないですが、進学校でもないへぼい私立でそれをやられると無償で腹が立つんです。なんでそんな学校に行ったのかって? 私がぁほだからですよ。なんだよ!その目は!ぁほで悪かったな!ぁほで!見た奴ら全員ぁほにしてやる。ぁほビーム!げへへへへへへへっへ


本題にもどしましょう。なので土曜日も学校があると大会とかが次の日にあったりしてとっても大変です。大会終わった次の日は9時間授業。おかげで風邪です。引きこもりは日曜がないと死にます。


僕の日曜はどこに失踪したんでしょう。誰か探してください。あと、アマゾン潰れろ。日曜に届くっていったじゃん!