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もし質問などありましたら気軽にコメント欄からしていただけたら嬉しいです。
可能な限り具体的に質問していただくと分かりやすくお返事できると思います。
心理学や脳科学を使いながら同時に非2元(ノン・ドゥアル)からの視点でも見てゆけたらと思っています。
スピリチュアルの学びを始めるとこの「人生のシナリオ」を自分で変えられるのか?
起こることが起こるのか?という疑問が起こるかと思います。
今日はコメントから質問をいただいたので一緒に考えてみたいです。
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以前過去記事に、
嫌な過去が本当に癒されるとその嫌な過去についてことを咎めたり触れてくる人はいなくなる
とおっしゃっていた気がするのですが(勘違いだったらごめんなさい)
「私」が嫌だと感じることが癒されることによって
どうでもよくなって人から咎められることは起きるけど、平気ということでしょうか、
やっぱり起きることは起きちゃうんですよね?
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質問くださってありがとうございます。
3次元といわれるこの2元の世界で一人の人間として他の人と分離した存在として生きていると信じているとき、この質問のお返事としては
「どうでもよくなって平気になる」
「起こることは起こる」
ということだと思います。
またこの「起こることは起こる」という答えの中に以下も含まれます。
「体験として実際に過去に全くだれも触れなくなることが起きる」
「癒されることでその嫌いな誰かが居なくなるそのような状況が起こらなくなる」
このように奇跡のように現実が変化することもあります。
一つだけ答えがもしあるとしたら、真に癒されていたら変化してもしなくても全然違う認識が起こるので全く問題がなくなります。
毎回同じような期待しているような結果が受け取れないというのがこの世界のエキサイティングな部分かもしれませんね。
毎瞬新しい世界なので本当は私たちの過去の知識を使って理解した認識とリアリティーは違っています。
しかしマインドは未知な出来事に恐れを感じるようなので、いつも答えを知っていたいと感じているようです。
このために自分の過去の観念を使って瞬時に出来事を理解しようとするために同じような出来事が起こり続けているように感じます。
実際は自分が出来事に対して自分の観念・信念を使って勝手に認識しているだけだと気づけません。
例えば質問にあったような
「咎められなくなるのか?」
ということですが、自分が自分を許していないとき、だれも咎めていないのに咎められているように感じるという体験が起こります。
なぜなら私たちは自分が「これはこう」と信じた時、驚くほどそれがリアルに感じ体験するからのようです。
あまりに瞬時に行っているので、自分で自分の考え(罪悪感)を投影しているとは気づけない部分のようです。
このために、自分の観念・信念を癒すと全く違う認識がおこり、問題に感じない、もしくは全く違って見えてそれらが起こっていないように感じることもあります。
これは脳の作用を学ぶと分かりますが、私たちは焦点が当たっていないときそこにあるのに見えないということに全く気づいていませんが普通に日常的に起こっています。
心が動揺しているとその恐れや不快な感覚によってリアリティーが全くみえなくて、自分が信じたことが絶対に起こっていると100%信じてしまうことが起こります。
冷静に「何を自分がしているのか?」「何が真に起こっているか?」
見れるようになってゆくと自分でドラマチックに一喜一憂してエキサイティングに楽しんでいたことが分かり始めます。
リアリティーはとても優しい世界なのに、そこにいろいろなドラマを自分で創りあげて自分の中だけで体験していることに気づけないことは起こっているようです。
でもそれが生きている感じがして人間らしい感受性なのだと思います。
情熱的に生きたいと感じますものね。
「思考が現実化する」「投影」という法則として学ぶとすごくパワーがあるように感じます。
でも実際は、自分の思い込みを絶対的に正しいと信じることで、そこにないものを外に見ているだけなのが分かり始めます。
例えば厳しい口調の苦手な人がいたとすると、その人のせいで自分がつらいと信じます。
でも実際はその人はただそういうタイプな人だけであり厳しいわけではなかったりします。
自分の中で無意識に何らかの癒されていない罪悪感をもっているとき、私たちは無意識に罪の意識からどこか怯えて周りの人に咎められると信じるようです。
このために罪悪感が癒されてゆくと、厳しい口調に感じていた人が情熱的で愛情深いという認識に変わったりします。
このとき相手が変わってしまったように魔法のように感じるかもしれません。
ほんとうに変わったのは自分の観念だと気づかないことがあります。
また「ブーメランの法則」「鏡の法則」「因果の法則」といわれるようなことを信じているので、
悪いことをしたらいつかそれが自分にも起こると信じているのでそのように認識が起こります。
これは逆もあって愛を与えたら愛を受け取れるという考えが起こります。
これはとても素晴らしい考えだし、このように生きれたら沢山愛を感じられると思います。
ただこの世界って私たちが信じているようにできていなくて、私たちの信じている愛がかなり偏っているのに気づけないと苦しみなることがあります。
なぜなら愛したいのに愛せないとか意地悪をしてしまう、もしくはそのような愛ではない思考や感情が起こるとき自分を驚くほどせめて罪悪感を感じるからなんです。
でもリアリティーが分かってゆくと、本当はこの世界は毎瞬あたらしく「因果」というのが幻想なので私たちが信じているようなことは実際は起こっていないことが分かり始めます。
ただそのように信じることで認識がおこり体験をしているように感じます。
「起こることは起こるのか?」ということでしたが、この2元の個人であると信じているとき、それはYesでありNoでもあると思います。
なぜなら、起こっていることに対しての認識は全部自分の観念・信念によって与えているだけなので観念や信念が変われば起こっていることに対する体験が変わるからです。
また非2元の視点からみると、全ては私たちが行ったことは一度もないと分かり始めます。
なぜなら個人というのが幻想であり蜃気楼のようなものだからです。
人生のシナリオが決まっているかどうか?というのは2元の夢の中のお話しであり、今まで信じてきた観念・信念と投影して世界を認識しているためにこのように見えるようです。
本当は毎瞬全く新しい瞬間なのが分かり始めます。
罪悪感や無価値観を投影した空想の中でつくりあげてきたドラマ(ストーリー)が消えてゆくと、世界はとても優しく恐れる必要は全くないことに気づきます。
不思議なことでもなく、とてもシンプルな優しい世界だったことが分かり始めます。
この優しいリアリティーがみえはじめると、小さな子供のように自由に感じるままナチュラルに生きる人生がスタートします。
生そのものを5感全てで感じながら満たされる喜びの中で
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