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図書館でお仕事することが多いのですが、カナダで大好きな気候になってきたのでマウンテンバイクで30分くらいかけて行っています。
車でいくと駐車場の関係でいつ2時間くらいしかいられないのですが、今は好きなだけいられるので仕事がはかどります。
私はとにかく書くことがお仕事みたいです。
きづくと書いているから![]()
私達よく本当の自分として生きるには?天命はなにか?自分の使命は何か?私の人生で自分を生かすことは何ができるのか?
そんな風に自分探しをすることがありませんか?
でもなかなかみつからなくて探究していることが多いと思います。
見つからないことに焦ったり、落ち込んだりすることもあるかもしれません。
私も長い間すっとそうでした。
いつも何かを探し求めていました。
この分離の世界での個人として生きている体験をしたいる私たちの目的は探求なのでしょうね。
本当の自分(本質)を探す旅をずっとしているのだと思います。
本当の自分(本質)から本当は一度も離れたことはないのですが、なぜか離れたという概念が起こり、探すという行為がこの世界で起こっているようです。
でも実際に分離の錯覚が消えてゆくと、もともとあるがままでみんな本質であったことが分かり世界があるがままで愛であることが見え始めます。
私達が信じている観念に気づいてゆくと自然に本質であったことを思い出します。
ただこの道のりがとても不思議で面白い体験になります。
なぜなら私たち可笑しなことをたくさん信じていて、また言葉に対して驚くほど存在しないイメージを作り上げてとても魅力的にしてしまうことでリアリティーに気づけなくなってしまうからのようです。
マインドはとても不思議なことが好きで、魔法のような奇跡のような、とても特別なことがスキみたいなんです。![]()
本当は驚くほどシンプルで普通なことで、なぜ分からなかったのか?と感じるようなものなのであり、ずっとずっとそれを知っていたことに驚きます。
当たり前すぎて分からない・・・・
幸せの青い鳥を探しに旅にでて結局家に探していたものがあったというお話しがありますが、探しているものそのものなのに、私たち探し回っています。
また非2元のお話しなどを学ぶと時空間がないとか、世界がない、誰もいないなどと言われます。
また私たちは本当は移動したことがないとか?
もうわけわからないし、そんなこと分かるはずないとも思うけど、どうも心惹かれてしまうということがないでしょうか?![]()
私すごく知りたかったんです。世界がないってどういうこと?時間がないってどういうこと?移動していないって何なの?って![]()
バカバカしいという思いとともに、でも私も体験したい~~って子供のように興味がそそられていました。![]()
人生に大切なのは、周りの誰がなんと言おうと、自分の興味深いことをどんどん突き詰めて楽しんでみることだと思うんですが、私にとってこれがとっても楽しかったです。
ですから自分の趣味がお仕事になり同時に自分を思いだす旅となり仕事も趣味も遊びも人生も全部同じになってゆきました。
本当は何が起こっているのか?この世界は何なのか?自分とは何なのか?この世界が幻想って何なのか?それを知りたい思いでいっぱいでした。
世界がないことを思い出すというのは恐れを感じるものかと思ったら、神秘と愛と奇跡の連続そして気づいたときはあまりに当たり前でびっくりしました。![]()
もともと知っていることを思い出してゆくだけなので、実際は全く恐れることはないのですが、自我(個人意識)が消えてゆくことで本質を思い出す世界なので自我と同一化しているとき恐れを感じます。
でも自我はもともと蜃気楼のようなものなので、自我が消えても実際は何も変わらないので全く恐れる必要はなかったのだと気づくきます。
シンプルすぎるほど当たり前のリアリティーを思い出すきづきが進むと、全然奇跡なことではなく、無条件の愛の中で好きなように勘違いしていただけなのにきづきびっくりします。
また思考のトリックでこれほど幻想をチョ~~リアルに感じて生きていたことの方が奇跡的だと感じます。
リアリティーは本当にシンプルであり、そこに全く秘密はないんです。
いつもここにあるのに、思考のトリックで全く見えないだけなのに驚きます。![]()
マインドが魔法や不思議なことが好きなので、いろいろなものをイメージの中で創っていたんだと分かります。
例えばスピリチュアルの学びを始めると、波動を上げるとか、波動調整とか、次元上昇するために心身のスピリチュアルな成長が大切というようなことをよく耳にしますよね?
なんだか全く違う世界に行けるようなワクワク魅力的に感じたのを思い出します。
そんなワクワクが波動を上げることだと勘違いしていたこともあります![]()
またスピリチュアルな成長とは愛に近づくことのように感じて愛ではないものをどんどん手放してゆくことだと考えます。
このために愛でないと感じるものを自分が持ってることを嫌ったり裁いたり罪悪感を感じているのに気づけないことがあります。
また自分が愛になろうと頑張っていることで、そうでないように見える人や、悪口を言っている人をよくないと裁いている自分にきづくことがあります。
悪口を言っている人を悲観して悪口をいっているのと同じであることを自分がしていることに気づくときびっくりすることがあります。![]()
ちょどこの漫画のようにアイスを人にこぼされるのに怒りながら気づかないところでアイスを誰かにこぼしているような感じでしょうか?
愛になろうとしているのに無意識に自他を裁いているのにきづくとびっくりします。
でも実際は愛って無条件であり全部本当に持ってていいこと、それが自然であることに気づくことだったようです。
ここにきづくとき、愛になろうとか努力するという頑張りから解放され、自然に自他への裁きがなくなって軽くなってゆきます。
このとき世界があるがままそのままで愛に溢れていることが見え始めます。
自我の分離の概念による「良し悪し」のベールが剥がれだすからです。
スピリチュアルの成長といわれますが、実際はこの世界って全てが同じエネルギーが多様性として現れているだけであり、
本質は全て同じで、優劣や区別というのは現象の上で体験をするために便宜上みかけで現れているだけなので、そこに本来優劣も区別もないことが分かり始めます。
ここにきづくとき、みんな同じであり何も間違っていないし、どんな体験も思いっきり楽しんでよいのに、驚くほど自分を抑制していたことに気づきます。
優劣はそこにはなく、区別もなく、全く本質は同じで私たちは成長する必要なく、子供のように体験を楽しめばよかったようです。
成長しないといけないという信念を信じているとき、未来に結果を出せるように頑張る努力が続きます。
でも不思議なことにこの信念を持ち続けると、いつも未来のどこかでそれが見つかると信じる体験が続きます。
ここにあるのにです!
そして永遠に頑張り続けることになるかもしれません。
また未来という架空のどこかをイメージし続けることが時空間という時間と空間のトリックを信じ続けていることに気づけないことにもつながってゆきます。
本当はとてもシンプルで、あるのは目の前の「これ」だけであり、あとは全て空想の中ですよね。
使命や天命も架空のいつかやどこかに探す必要はどこにもなく「ここ」に全てがあり「これ」だけがリアリティーです。
今のあなたが天命そのものであり、生そのもののエネルギーだからです。
ここにきづくとき毎瞬本質の愛のエネルギーに満たされてゆく体験が起こるでしょう。
探しているものそのものであることに気づけますように
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