今日はとっても良いお天気です。
フロントヤードのチューリップがきれいに咲いています。
今日は先日コメントで質問をいただいたので一緒に考えてみたいです。
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よくスピリチュアルで
こうなりたい!と強く望めば
道が開けるというのと
こうなりたい!という執着を手放せば
道が開けるというを
最近耳にするのですが結局どうしたらいいのかどんなときにどうするのが正しいのかわからないです。
よかったら教えてほしいです
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質問ありがとうございます。
スピリチュアルや引き寄せ、自己啓発などの学びを始めた時、この矛盾にどうしたらいいの?
そのように感じた事を思い出します。
ここは何が起こっているのか?ということが分かってゆくと、この謎が解けてゆきます。
そして実際は謎でもなんでもないことも分かります。![]()
でも私たちはあまりにもこの分離意識である個人の思考の概念で認識している現実と感じる体験をリアルだと信じているために、
このとてもシンプルな事実が見えてこないという不思議なことをしています。![]()
もしくは見たくないと思っているというのも分かり始めます。![]()
私たちは個人として生きていて、世界から分離していると信じているために、当然自己中心的にしか見えないですからね。
でもこの世界はそのようになっていなくて、全てが完全に調和の中にあり、誰もがいつも完全な無条件な愛の中にいます。
何かを変える必要もなく、
何かを望む必要もなく、
日々自然に移り変わってゆく生と一つになってゆくことで個人的な努力なしで、シンクロが起こっている体験を目撃します。![]()
自然に必要なものを必要な時に受け取るという体験が起こります。
これは、個人的に世界を見なくなってゆくために、起こることです。
それらは不思議な事ではなく、本当は当たり前なのですが、個人的な意識で世界をみているとき、それらの事実が隠れてしまいます。
このために、個人の何かを求めるのという先への準備ができていると、
全体の調和の中で個人としても満たされてゆくという体験が始まります。
少し前にどなたかのブログで「自己啓発や引き寄せなど99%が効果がない」そのようにハーバード大学の調査で検証されていると書かれていました。
でも例え効果がほとんどなくても、人は今何らかの不足を感じているために
成功の方法、幸せになる方法を探し求めているために、自己啓発や成功哲学、また引き寄せなどにとても魅力を感じますよね。
希望を感じられるので、これらはとても人気がありますものね。
でもこれらも何も間違っていなくて、これらも完全に起こっている目覚めへの過程なのだな~~そのように感じます。
また引き寄せが効果があるという体験もたくさんあると思います。
私自身もたくさん体験したので、引き寄せってあるんだ~と何度も感じました。![]()
でも実際起こっていたことは少しちがっていたことが分かり始めます。
私たちが引き寄せたと感じることは、真の自己によるものであり、
引き寄せられなかったものは、分離していると信じている個人的な意識によるものだと分かります
ですから、実際は何かを個人的に必死に求めることをするのは、何の問題もないのですが、それは上手くいかないことが起こるのは自然な事だと分かります。![]()
またパラドックスなのですが、分離の錯覚が消えてゆくと、これらも全部完璧であったことも分かります。
個人的に何かを求めて上手くいかないというのも実は完全な体験だったということが分かります。
何一つ間違いはない世界であることが分かり始めます。
でも分離の概念で「よい・わるい」「正しい・間違っている」という考えを通して認識すると、ここが分からないで、運がわるいとか、不公平などと認識が起こります。
本当は全てはニュートラルで意味のない世界であり、
本当に自由な無条件の愛の中にいるのですが、分離の概念があることでそうではないと体験が起こっていますからね。
また、深くこの世界を見てゆくと、分かってゆくのが、この”道が開ける”というのが概念であることが分かり始めます。
なぜなら、
いつも正しい場所にいることが分かるようになるからです。![]()
私たちが願いを持つとき、それはどんなものでも、とんな時でも、
今この瞬間満たされていない不足を感じているからですよね?
また、何かを手に入れた時、その幸福感は長く続きませんよね?
このために人は次の何か?もっと他の何かを探求し続けます。
多くの場合願いを叶えたいとか、夢を持つことをポジティブに感じます。
でもよ~~く見てみると、そこにあるのは、
今この瞬間への不満や恐れがベースになっているのが分かるかもしれません。
今この瞬間に生きるとか、
委ねるとか、
あるがまま、
執着を手放す
などと聞くと、
どこか向上心がなく自分を諦めているようにネガティブな印象を受けるかもしれません。
でも、実際は全く違っていたことに気づいたとき驚くでしょう。![]()
不満や恐れがベースになっているとき、たとえ表面的に願いが叶っても、それらを体験し続けますからね。![]()
ベースが不満や恐れから何かを手に入れても、
願いが叶っても幸福感や満足感が長く続かないという体験を誰もがしていると思います。
このためにもっと、次の何かを求め続けますからね。
変化は自然なことなので、変化は起こりますが、満足感は体験とは関係なく、分離の錯覚がないときずっとあり続けます。
このために執着しないようにするのではなく、2元の世界の中の経験や体験と関係なくいつも満たされている状態なので、何かに執着することなく、自然に起こる変化を楽しめるようになります。
くださった質問の「執着を手放せば道が開けるのか?」という部分も、今この瞬間へ不満、不足、恐れからきているのに気づけますよね?
今この瞬間に生きるとか、
委ねるとか、
あるがまま、
執着を手放す
これらの概念も「いつか受け取る幸せのため」にこれらを行うという行為をしていることがあります。
ここに気づきはじめるとき、「道が開ける」という考え自体が何か違うのかもしれないと分かり始めるかもしれません。
ただ不平不満が悪いとか、夢を持つのが問題ではないんです。
分離という錯覚が私たちに不足を感じさせているために
分離の錯覚が消えてゆくと問題は最初から起こってないこと、いつも愛の中にいることに気づきます。
私たちが信じている分離というのが幻想なので、もともとどんな時も完全に真の自己として生きています。
そして今起こっていることはいつもどのように感じてもあるがままで完全です。
何かが間違っているという考えがそれらを隠しているだけです。
ですから、分離という幻想の概念を使って何かを願わなくても、望まなくても、思考で計算しなくても、
あるがままで、自然に生きているとき、必要なものが必要な時に起こるという体験が始まります。![]()
分離の概念を超えた完全性の体験を目撃できますように![]()
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