こんばんは
ブログに訪問してくださってありがとうございます。
ゴールデンウィークはいかがお過ごしですか?
私は昨日ヨガに行く予定でジムに向かったのに、なぜか急にドライブしたくなり感じるままハンドルをきってました。
私の住んでいる街は車で10分も走ると地平線が見えてしまうようなのんびりした場所でして・・・・・![]()
1時間くらいのドライブでしたが、とても気持ちよかったです。
ぐる~~っと回って家に帰ることになったのですが、とても古い教会などの建物がたくさんある隣街を通ってかえってきました。
美しい街並みを通ってくる中、なんだかとても不思議な感覚でした。
場所の感覚が薄れているというのでしょうか?
日本に毎年帰国していますが、そのときも感じる不思議な感覚でした。
今日から少しずつこの分離の概念の錯覚という根本的な思い込みについて一緒に考えてみたいです。
書いていたらまたまた長くなってしまいました。![]()
興味のある方だけ読み進めていただけたら嬉しいです。![]()
幸せになる方法や、成功するため、お金を引き寄せるため、人間関係をよくするため、自信を持つ方法など、世間にはいろいろな方法論があって、本やセミナーなどで沢山学ばれていると思います。
そしてそれたを学んだときはモチベーションが上がってやる気になるけど、それを実際に現実に生かすとなるとなかなかできない。
そんな体験をあなたもしたことがないでしょうか?
上手くいっているときはいいけれど、上手くいっていないとき、これらを実践するのは簡単ではないですよね。![]()
「奇跡のコース」 の非2元の教えは、とにかく赦すことがとても大切であることを教えてくれます。
それも、実際は赦されることは何もない、赦される必要がある人は本当は誰もいない。
ということが分かってゆくための内容になってゆきます。![]()
私たちって驚くほど意識的に、そして無意識的に過去の記憶の中に沢山の罪悪感を持っていているようなんです。
そして、その記憶を現在に投影して認識をしているために、問題が起こっていない現在に信念を投影して問題を認識してしまうようです
未来への不安も同じように、無意識の中にある過去の記憶を未来に投影することで起こっていたことが分かり始めます。
このために現在を使って過去を許すことでどんどん不安や恐れを感じなくなってゆきます。![]()
私たちは引き寄せや、思考の現実化など、人生を顕在意識を使って変えてゆこうとしますよね?
でも顕在意識は何かを創造することができるように機能していなくて、ただ認識することしかできないために、
顕在意識を使って現実を真に変えること、望んだ現実を創造することは不可能だったことが分かり始めます。![]()
でも現実が変化したように体験が実際に体験を通して起こりますよね。
引き寄せたように感じるし、自分の思考が現実化したように望んでいる現実に変化したように感じます。
このために、自分が現実を変えるために何かを行ったような体験をします。
このために、認識して検証するための顕在意識は自分が引き寄せたとか、自分の思考が現実化したと思うようです。
なぜこのようなことが起こっていたか、赦しを進めて分かるようになったのですが、
それは本来私たちは自然に愛や幸せを体験できる世界だったからのようです。
引き寄せたように感じる幸せを体験できたのは、自然なことで特に自分が何かをしたわけではないかったことが分かり始めます。
変化は自然に起こっていることであり、認識のための機能である顕在意識で真に何かを変えることは不可能であったことが分かり始めます。
幸せを体験できないときは、分離の観念によって信じた罪悪感によって幸せだと認識できなかったのだと分かり始めます。
このために、何かを引き寄せるとか、現実化させるというより、それらが見えなくなっていた分離の概念の罪悪感を赦す(手放す・受け入れる)ことで、もともとあった自然な幸せや愛の流れを体験しはじめます。
言い換えると、自我(分離意識)の信念によって、現実化していると認識(創造といってもいいかもしれません)していた問題に見えていたものが消えてゆくことで、もともとある自然な変化や愛や幸せを体験していたことが分かります。![]()
ここが分かってゆくと、本当に自然に愛や幸せが起こっているのがわかるし、「引き寄せ」というのがそもそも分離の考えからきていたことが分かります。
なぜなら引き寄せるというのは、分離した何かを何かに移動させることを意味しますものね。
本当は「ここ」しかなく、過去や未来は顕在意識の空想の中にしか存在していませんものね。
真に体験ができるのはいつもここだけですものね。
存在しない想像上の「どこか」や「いつか」に引き寄せるというのが分離の概念であるのが分かりますよね?
では少しこの分離の概念について一緒に考えてみたいです。
この分離の概念の世界での認識全ては「よい・わるい」「正しい・正しくない」と分離していますよね。
このため出来事の半分は罪悪感を意識的に感じてしまうようです。
同時にそれらは表裏一体なので、意識で「よい」ことをしていても無意識では罪悪感を同時に感じているようです。
当然ですよね?「よいこと」を認識するためには「悪いことが何か?」知っている必要があります。
このために正しいことやよいことを認識するたびに、無意識で罪悪感の思考は同時に起こります。![]()
顕在意識でどれほどプラスなことを考えようとしても、その性質上、無意識では常に同じ分だけマイナスも同時に起こっているということなのですよね。
この分離の概念の幻想世界の中で、プラスや幸せだけを手に入れたいと感じることが実際は幻想であったことが分かり始めます。
このために、分離が錯覚であることに気づいてゆくことがとても大切なのが分かり始めます。
なぜなら、もともと、「よい・わるい」、プラス・マイナスというのが概念であり、全ては同じエネルギーであるこからのようなんです。
プラスとマイナスの電極が一つになって電気が付きますよね?
どちらも悪いものではなくどちらも光で愛であり、どちらも必要であり、どちらか一方にすることは不可能であり、一方にしたら何も認識が起こりません。
その両方必要なことを概念によってそれらを分離することで「よい・わるい」という認識をしているだけであると分かります。
認識のために必要な分離の考えであり、同時にそれによって苦しみを生んでいることが分かります。![]()
そして、ここ(分離というのは認識のための概念)が分かってゆくと赦す誰かなど本当はいないことも分かり始めます。
分離がないなら、赦す人、赦される人は分離していないことが分かり始めるからです。
プラスとマイナスは分かれていない、どちらも同じ無条件の愛(自由)のエネルギーだと分かり始めるからです。
そして、分離の概念によって信じた罪悪感が赦されていること(最初から赦すものはないこと)にきづいてゆく中、自然に必要なものが必要な時に受け取れている体験を始めます。
なぜなら、罪悪感によって恐れを投影していた認識がなくなってゆくために問題だという認識がなくなってゆくからのようです。
このとき世界を変える必要もなく、何かを引き寄せようと努力するひつようもなく、幸せは自然に起こっていること、変化は自然なことだと体験してゆきます。![]()
それらの体験ができなかったのは、分離の概念による罪悪感によって抵抗していただけだったことが分かります。
でもこの抵抗に気づくことが今度は努力に感じますが![]()
この赦すことが、とても苦痛に感じることがたくさんあるからなんです。
なぜなら、分離の概念によって自分を意識的に、無意識的に驚くほど裁いてきたとともに、それらは赦されないと無意識で深く信じているようなんです。![]()
無意識レベルで、赦されないと信じているとき、私たちは幸せになってはいけないと信じているようです。
カルマとか人生は学びなどというのは、この罪悪感によるもののようです。
私たち自分を真に赦すこと、その無意識の中の罪悪感に向き合うこにとても恐れを感じるようなんです。
このために、無意識に真に向き合うことを避けるように、顕在意識を使って日々忙しくしたり、顕在意識を使って何かを引き寄せようとしたり、現実を変えようとフォーカスを当て続けてゆくようです。
なぜなら赦されないと信じているからのようです。
本当は赦されないといけない何かなどないのにです。![]()
このために、本当は赦すことなど何もないということに気づいてゆくことがとても大切なんですよね。
ここが分かってきても赦すのが困難に感じるのは、世界には赦されないと感じるような出来事や事件がたくさんあるように見えますものね。
また自分の過去の記憶の中でも、赦されないと感じるような記憶をたくさん隠していたり、パンドラの箱にしまっていたりします。
赦しを進めて分かるようになってきたのは、これらはすべて分離という概念によって起こっていることが真に分かり始めます。
赦すことは本当に何もないというのは、この幻想世界で私たちが生きていると体験しているとき、全ては分離しているように認識しますよね。
このために、被害者と加害者、見るものと見られるもの、どちらかの位置での認識が必ず起こりますよね?
このために、何をしていても、どんなに頑張っても、どんなに意識的に生きても、被害者と加害者という体験が意識的に、または無意識的に起こります。
相手のために良いことをしたつもりなのに、または普通に生きているのに、なぜか嫌われたり、傷つけられたといわれたり、相手を怒らせたり・・・・
そして逆の体験も私たちの人生の中で何度も起こります。
このために、私たちは意識で、または無意識で罪悪感や恐れを強めてゆくようなんです。
そして、どんどん正直に生きられなくなってゆきます。
人間関係に沢山のストレスを感じますよね。
あるがままに生きるとか、正直に生きるとか、自分が真に好きな事をするということへの恐れを感じるのは当然だったと分かります。
このために顕在意識でいろいろな学びをしても、顕在意識を使って無意識を変えようとしても真に平安が訪れなかったのだと分かり始めます。
いろいろな原因があるように体験していますが、実際は「分離という概念」だけが真の原因であるからなのですよね。
では、もし、もしも分離が本当にただの概念だとしたら?
そしてそのただの概念によって世界を認識しているだけだとしたら?
原因と結果は分離していないことが分かる始めます。
ようするに過去の体験が原因で今何かを体験するこというのが思い込みであることが分かり始めます。
このとき真に無限の可能性の扉が見え始めます。![]()
人間関係の信じてきたこと、出来事全ての認識が崩れ始めます。
過去の記憶を投影しなくなり、毎瞬、新しい自分の喜びとともに体験し始めます。
そして、誰かとの関係をどんなラベルも張らずに、あるがままを体験することを許可できるようになってゆくからです。![]()
そして、分離の錯覚が消えてゆくというのは、ワンネスを思いだしてゆくことでもあります。
もともとみんな一つであると深い部分で知っていたら?
誰かや何かに恐れを感じることがどんどんなくなってゆきます。
そして自然に愛を感じられ、自然な変化や幸せを受け取っていたことが分かるようになってゆきます。
なぜなら変化や幸せや喜びは自然なことだからなのですよね。
自由に自然に正直にあるがまま生きられるようになってゆきます。
このさき、少しずつ分離の概念による罪悪感を赦してゆけるように一緒にいろいろな角度から考えてゆけたらうれしいです。
一緒に考えてくださってありがとうございます。
この瞬間のきらめきとともに平安の中で喜びを感じられますように。

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