こんにちはゆうです。
ご縁をいただけた事心らから感謝しています。
カナダはまだまだ雪が降っています。
4月ももう10日も過ぎたのに
でももうすぐ見納めになるので、白い街を楽しもうと思います。
そんな言葉を時々目にします。
私は長い間、このように言われると、感謝ができない自分、謙虚になれない自分を責めていたことを思いだします。
自分は感謝できない謙虚になれないダメな存在だと責めていました。
自分のことばっかり考えている利己的な自分をダメだと感じていました。
そんな自分を見てみない振りしたり、頭で感謝しようと頑張ったり、いい人になれるように努力したり。
何をしても、気づくと損得の考えや期待が浮かんでくるし、そのたびに自分はまだまだだめだ~~って責めていましたね。
どうしても何かをしたらお返しを期待してしまう(これはメールでも同じで、返信をまったり)、愛を与えたら愛を返してほしいと期待を持っていました。
そのたびに、そんな自分をダメダメとダメだししていました。
でも、これは根本的な勘違いに気づくまでどんなに頭で理解して、行動してもずっと同じところをグルグルしていることになってたんですよね。
ここに気づくまで長かったです。
幸せになる方法論を学ぶたびに、いろいろ試して、実際は自分を責めるのに使っていたことに気づいたときには「何てこと!」という驚きでした。
感謝することが幸せを作るってどんなに分かっても感謝って自然に沸いてくるものなので、簡単にできないんですよね。
きづくと無意識に不平不満、不足の考えか感情が沸いてきますからね。
そして、うまくできない自分を責めて、幸せを遠ざけていると考え苦しんでしまいますからね。
こうして自分を責めて、習慣を変えないといけないと頑張ったりします。
でも、先になぜこうなってしまうのか?
という部分をみてゆくことが大切だったのだと分かるようになりました。
自然に沸いてくるはずの感謝が沸いてこないのはなぜか?
ここにきづくことがとても大切だったんですよね。
感謝が沸いてこないのも、不平不満を感じるのも、実は罪悪感を無意識レベルで持っているからだったようなんです。
これは少し考えてみると分かります。
例えば、友達と旅行に行くとき、心のどこかで、ご主人が仕事で頑張っているのに、自分だけ楽しんで申し訳ないという罪悪感が意識もしくは無意識であることに気づいていませんか?
また欲しいものを購入したとき、どこかで無駄使いかな?また買っちゃった。と罪悪感があったり・・・・
未来への不安や恐れも感じたり・・・
何か行うとき、どこかで罪悪感や恐れを感じていると思うんです。
もちろんそんなことはないと意識で思っていた(思おう)としても、この世界の概念を使うと、必ずどこかで罪悪感を感じていると思います。。
この状態でいるとき、罪悪感があることで、感謝や喜びを十分感じられないようなんです。
また、こうして無意識で自分を責めていると、周りに対しても同じようにどこかで責めてしまうようなんです。
そして、さらに悪循環なのは、こうして罪悪感によって、感謝や喜びを感じることが抑えられてしまうことで満たされないために、満たされたくて罪悪感を感じながらまた何かを求める。
でも罪悪感で満たされないから不平不満を感じてしますようです。
幸せになるには、赦すこと、と言われますが、本当にそうなのだと分かるようになりました。
感謝をしましょうとか、心地よくいましょうといわれても、心から感じられないのは、罪悪感によるものだったからなんですよね。
罪悪感を感じたら、責めている自分に気づいたら、責めないで赦してあげることを始めると、少しずつ喜びを感じられるようになってゆきます。
すると満たされてゆくので、自然に感謝はわいてきます。
また満たされてくるので、不平不満を感じなくなって、同時に相手を責めることも減ってゆきます。
ここちよくいようという努力をするのではなく、自然に心地よい状態でいることが増えてゆきます。
満たされているので、何かを引き寄せようという欲望が薄れてゆきます。
そして実はいつもどんな時も必要なものを受け取っていたことに気づきます。
引き寄せは執着を持たないことが大切、期待しないことが大切だといいますが、実際は、自然に欲しいもの、必要なものは与えられるという体験が自然だったようです。
幸せになるために何かを行うというのではなく、自然にただそのままでいることで、いつも満たされ感謝や喜びを感じるようになってゆきます。
英語で「赦す」という言葉は語源は「全てを持っている。」という語源であると先日本で読みました。
赦すことで、全てを受け取れるということだったようです。
もし幸せになるため、愛されるためにいろいろな努力や頑張りをしているのに上手くいかないと感じていたら、
どんな自分も許すこと、そして相手を許すこと(相手は自分の投影なので、実際は自分を許すことになるようです)をしてゆくとが最初にとても大切なようです。
すると、自然に感謝や喜び幸せを日々体験できるようになってゆくかもしれません。
もし習慣を変えよう、という努力をする何かがあるとしたら、それはどんな自分もそのままでよいことを許すことなのだと思います。
どんな自分も、どんな相手も赦し、赦されていることを受け取って、ずっと受け取れなかった愛や幸せを受け取れますように。
愛と感謝をこめて
ゆう
ご縁をいただけた事心らから感謝しています。
カナダはまだまだ雪が降っています。

4月ももう10日も過ぎたのに

でももうすぐ見納めになるので、白い街を楽しもうと思います。

今日から少しずつ引き寄せがなぜ上手くいかないか?一緒に見てゆきたいです。
そんな言葉を時々目にします。
私は長い間、このように言われると、感謝ができない自分、謙虚になれない自分を責めていたことを思いだします。
自分は感謝できない謙虚になれないダメな存在だと責めていました。
自分のことばっかり考えている利己的な自分をダメだと感じていました。

そんな自分を見てみない振りしたり、頭で感謝しようと頑張ったり、いい人になれるように努力したり。

何をしても、気づくと損得の考えや期待が浮かんでくるし、そのたびに自分はまだまだだめだ~~って責めていましたね。
どうしても何かをしたらお返しを期待してしまう(これはメールでも同じで、返信をまったり)、愛を与えたら愛を返してほしいと期待を持っていました。
そのたびに、そんな自分をダメダメとダメだししていました。
でも、これは根本的な勘違いに気づくまでどんなに頭で理解して、行動してもずっと同じところをグルグルしていることになってたんですよね。
ここに気づくまで長かったです。

幸せになる方法論を学ぶたびに、いろいろ試して、実際は自分を責めるのに使っていたことに気づいたときには「何てこと!」という驚きでした。
感謝することが幸せを作るってどんなに分かっても感謝って自然に沸いてくるものなので、簡単にできないんですよね。
きづくと無意識に不平不満、不足の考えか感情が沸いてきますからね。

そして、うまくできない自分を責めて、幸せを遠ざけていると考え苦しんでしまいますからね。
こうして自分を責めて、習慣を変えないといけないと頑張ったりします。
でも、先になぜこうなってしまうのか?
という部分をみてゆくことが大切だったのだと分かるようになりました。
自然に沸いてくるはずの感謝が沸いてこないのはなぜか?
ここにきづくことがとても大切だったんですよね。
感謝が沸いてこないのも、不平不満を感じるのも、実は罪悪感を無意識レベルで持っているからだったようなんです。
これは少し考えてみると分かります。
例えば、友達と旅行に行くとき、心のどこかで、ご主人が仕事で頑張っているのに、自分だけ楽しんで申し訳ないという罪悪感が意識もしくは無意識であることに気づいていませんか?
また欲しいものを購入したとき、どこかで無駄使いかな?また買っちゃった。と罪悪感があったり・・・・
未来への不安や恐れも感じたり・・・
何か行うとき、どこかで罪悪感や恐れを感じていると思うんです。
もちろんそんなことはないと意識で思っていた(思おう)としても、この世界の概念を使うと、必ずどこかで罪悪感を感じていると思います。。
この状態でいるとき、罪悪感があることで、感謝や喜びを十分感じられないようなんです。
また、こうして無意識で自分を責めていると、周りに対しても同じようにどこかで責めてしまうようなんです。
そして、さらに悪循環なのは、こうして罪悪感によって、感謝や喜びを感じることが抑えられてしまうことで満たされないために、満たされたくて罪悪感を感じながらまた何かを求める。
でも罪悪感で満たされないから不平不満を感じてしますようです。
幸せになるには、赦すこと、と言われますが、本当にそうなのだと分かるようになりました。
感謝をしましょうとか、心地よくいましょうといわれても、心から感じられないのは、罪悪感によるものだったからなんですよね。
罪悪感を感じたら、責めている自分に気づいたら、責めないで赦してあげることを始めると、少しずつ喜びを感じられるようになってゆきます。
すると満たされてゆくので、自然に感謝はわいてきます。
また満たされてくるので、不平不満を感じなくなって、同時に相手を責めることも減ってゆきます。
ここちよくいようという努力をするのではなく、自然に心地よい状態でいることが増えてゆきます。
満たされているので、何かを引き寄せようという欲望が薄れてゆきます。
そして実はいつもどんな時も必要なものを受け取っていたことに気づきます。
引き寄せは執着を持たないことが大切、期待しないことが大切だといいますが、実際は、自然に欲しいもの、必要なものは与えられるという体験が自然だったようです。
幸せになるために何かを行うというのではなく、自然にただそのままでいることで、いつも満たされ感謝や喜びを感じるようになってゆきます。
英語で「赦す」という言葉は語源は「全てを持っている。」という語源であると先日本で読みました。
赦すことで、全てを受け取れるということだったようです。
もし幸せになるため、愛されるためにいろいろな努力や頑張りをしているのに上手くいかないと感じていたら、
どんな自分も許すこと、そして相手を許すこと(相手は自分の投影なので、実際は自分を許すことになるようです)をしてゆくとが最初にとても大切なようです。
すると、自然に感謝や喜び幸せを日々体験できるようになってゆくかもしれません。
もし習慣を変えよう、という努力をする何かがあるとしたら、それはどんな自分もそのままでよいことを許すことなのだと思います。
どんな自分も、どんな相手も赦し、赦されていることを受け取って、ずっと受け取れなかった愛や幸せを受け取れますように。
愛と感謝をこめて
ゆう
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