こんにちはゆうです。
ご縁をいただけたこと心から感謝しています。
気が付けば3月に入り、1週間が過ぎようとしていますね。
カナダはまだまだ雪が積もっていて今もマイナス6度ですが、とても天気がよくて、春が近づいてきています。
日本は少しずつ暖かくなってきたでしょうか?
暖かい春の日差しで心が癒されてゆきますね~~~

今日は先日いただいた質問について一緒にみてゆけたらと思います。
~~~~
感情を抑圧した場合というのは思い込みを解消していくだけでなく、感情を感じていくリハビリをしなければ感情は戻せないのでしょうか?
リハビリをしなくても自分と向き合い、思い込みを解消していく過程で感情を取り戻せていけるということはありえるのでしょうか?
まず、どうしたらいいのかが分からなくなってきてまして、感情を普通に感じられるようになってから思い込みと向き合っていったほうがいいのか、自分と向き合いつつも感情を自然と感じられるようにリハビリを進めていくといいのかすいませんが教えていただけるとありがたいです
あともう一つなのですが、感情を自然と感じられるようになるためのリハビリの方法として意識的に感情を強く感じていく方法と感情を抑圧したときの向き合えなかったその感情にまた向き合っていく方法というのはどっちもやるのがいいのでしょうか?
よろしければ回答お願い致します
~~~~
感情の抑圧について質問してくださってありがとうございます。
私たちって無意識に自分の感情を抑制してしまっていますからね。
全く気づかずに当たり前に抑制していることがほとんどですからね。

感情を感じるためにリハビリが必要か?
という質問でしたが、私が感じたのは、こうして「リハビリをしないといけないのか?」という考えも自分の感情をコントロー(抑圧)しようとしていることにつながっているのかもしれない。
そのように少し感じました。
感情を抑圧してしまうのがよくないと自分を無意識で責めていないかな?
そのようにも少し感じました。
私たちは 「正しい、間違っている」 という正しさの概念をたくさん持っていて、正しく、よりよく生きることで幸せを感じられると信じてしまっているようなんですよね。
でも私たちの信じている多くの概念は、立場や状況、役割、タイミング、時代、周りとの関係などによって解釈が異なってしまいます。
ですから、個人的なそのときの一側面でしか見ることのできない私たちでは、判断が実際はできないのですよね。
いろいろな矛盾した考えで混乱している私たちが解釈をすることは不可能なのですよね。
判断ができない存在というより、判断することで無意識で自分を苦しめてしまっていることに気づかないでいるかもしれません。
私たちは無意識に自分の想念を使い解釈して、「正しい・間違っている」 「よい・わるい」 という判断を瞬時に行い自他を責めていますからね。
また、感情を抑制することが 「よい・わるい」 ではないと思うんです。
そのとき、それが自分を守るために必要であったかもしれませんからね。
私たちはいつもどんな時もそのとき出来る自分のベストで生きています。
それを 「よい・わるい」 と判断して意識または無意識で自他を責め、罪悪感を感じているようですからね。
でもその判断の基準に使っている想念が矛盾に満ちていて、何を選んでも必ず誰かや自分を傷つけてしまうのではないか?という恐れを感じてしまう私たちでは判断できないですからね。
無意識に責任や義務や犠牲や我慢という多くの思い・想念で私たち身動きが取れなくなってしまいますからね。
本当は私たちは、深い部分でもともと一つの存在なので、本当は自分を守る必要はないと気づくことで、自然に抑制する必要がないのが分かってゆきます。
分離しているというたった一つの思い込みが原因になって、多くの想念・概念・思い込みができているようですからね。
そこに気づいてゆくことで、自分を守らなくていいことがわかり、
・攻撃することも、攻撃されることもない、
・傷つけることも、傷つけられることもない
ことに気づいてゆくので、自然に自分の感情を感じてゆくことができるようになるように思います。
思い込みからくる混乱した判断を使い、自分が間違ってはいけないといつも緊張して、自分を追い込んでいることに気づいていないことがほとんどですからね。
また、「思い込みを解消する」 というのも、もしかしたら、その思い込みを嫌い、それを実際は強めてしまうことも起こってしまうかもしれません。
思い込みとはただの勘違いなので、気づくことで消えてゆきます。
嫌うとそれをリアルに感じて、それを強めてしまうかもしれません。
どんな考えも全部本当はあっていいし、それらを持ってていいことをOKすることで、それらを判断をすることによる苦しみが消えてゆくかもしれません。
私たちは深い部分でこの2元の対極の考えの判断を超えた存在なので、どんな判断も超えて、全ての存在がありのままで完全であることを知っていますからね。
自分は判断できない存在である
ときづいていくことで、どんな自分の思いも持っていていいことを許してゆけるようになるかもしれません。
すると、私たちの深い部分では 「よい・わるい」 というような分離の概念が存在しないことを知っているので、それらの判断を超えた無条件の愛の思いが浮かび上がってくると思います。
そして、今までも、今も、これからも、いつもあるがままでよかったことが分かるようになってゆきます。
なぜなら、私たちの判断によってそれらを感じられなくなっているだけですからね。
何か気づきにつなげていただけたら嬉しいです。
どのような判断が起こっても、本当はいつもあるがまま、ありのままで最善ですからね。
愛と感謝をこめて
ゆう
■ ACIM 奇跡のコース を学ぶ ■
■アカデミー・カウンセラー・ガイドブック・メルマガ■
全国のナチュラルセルフカウンセラーブログ
幸せの扉セルフカウンセリングブック
無料メルマガ「幸せな人が知る心の法則」
(読者1100名さま ありがとうございます)
押して下さりありがとうございます。励みになります![]()
↓ ↓ ↓


