こんにちはゆうです。
ご縁をいただけたこと心から感謝しています。
3月に入りましたね。
春が近づいているのを感じますね^^
カナダの気温も少しずつ来週から上がってくるようです。
昨日はハイウェイで15分ほど走ると行ける郊外にあるビレッジの小さなダウンタウンに姪っ子と行ってきました。
夏は観光客でいっぱいになるようなかわいい村なんです。
村の小さなダウンタウンには素敵なお店が並んでいて、全部のお店を回ろうと思うとたぶん1日かかります。
3時間のパーキングロットにとめていたので少し足早にまわってきました。
久しぶりに訪れたのですが、すごく楽しかったです。
おいしい手作りソーセージのデニッシュとルーバーブという葉っぱの茎とストロベリーで作った甘酸っぱいパイを食べました。
とってもおいしかったです。
この辺りの街にはウォーキングやサイクリングの出来るトレールがあちこちにあります。
この村のダウンタウンにあるトレールの横には小さな川が道に沿って流れているのですが、川の水がとても厚く凍っていました。
姪っ子は川の氷の上を歩いて楽しんでいました。
カナダに来て3年目の冬に初めて川をの上を歩いてとっても興奮したときのことを思い出しました^^
そして、そのトレールの反対側にはとっても大きな大きな川が流れているんです。
この大きな川も凍っていて、氷の上に雪が積もって真っ白でとてもきれいでした。
その時、スノーモービルで川の上を通り過ぎていった人を見かけました。
その川の向こう側は広い広い丘になっていてスノーモービルやソリをしている人たちを見かけました。
なんだかハイジの世界を思い出しました^^
真の癒し、委ねのステージ
頑張ること、努力することってとても素晴らしいですよね。
でも時々疲れてしまいませんか?
気づくと眉間にシワを寄せて肩に力をいっぱい入れている自分に気づきます。
そのたびに、「あ~~またエゴが頑張らせてた」と、気づいて、ふ~~~と力が抜けます。
無意識に生きていると私たちってとても緊張しているみたいなんです。
エゴの考えで緊張させられているようなんです。
いつも何かから守らないといけないような、言い知れぬ不安を無意識に抱え、頑張って生きていかないといけないと大変な事になると無意識に感じているようなんです。
でも、実際はこれらはエゴの考えであり、勘違いなのですよね。
私たちはいつもどんな時も生かされています。
全体の中の愛と調和のエネルギーによって生かされています。
多くの場合エゴがこの考えを否定しようとします。
このために私たちは、頑張って生きることを自分で選択して生きています。
この自分(エゴ)の考えを採用していることは、一見謙虚に感じ、努力して頑張ることは素晴らしいことであるように感じます。
でも、実際は全体に生かされているのに、自分で頑張らないといけないと頑張りつづけることは傲慢なエゴの考えてあることに気づいたとき本当に驚くでしょう。
私たちは自分一人で生きることは不可能ですよね?
物質的な現象世界の中で考えてみても、自分一人で生きることは不可能です。
安全な水を飲むことが出来るのも、寒い冬に暖かくしていられるのも、多くの人たちのお蔭です。
自給自足をしていたとしても、宇宙や自然が私達にたくさんの恩恵を与えてくれています。
でも、私たちってそれらをエゴの考えによって忘れてしまう、もしくは当たり前として通り過ぎてしまうのですよね。
物質世界の時代が終わろうとして、心の時代が訪れていますよね?
幻想を意味するマーヤであるマヤ歴が2012年に終わりました。
幻想である物質ではなく、目には見えない心、思い、スピリットがどれほどのエネルギーを持っていたかを多くの人が思い出し始めています。
男性性から女性性に時代が移行してきているとも言われますよね。
私は長い間、「私が頑張らないと家族が大変なことになってしまう!」
そんな風に無意識で信じて、必死に力を入れて行く先が観えないまま大海原を一人で必死で進んでいるようなそんな風に生きていました。
独身の時は、もう少し自由にかんじていましたが、結婚をしたら、たくさんの役割や責任が重く肩にのしかかり、幸せを感じるよりも、とにかく家族の幸せを守るために必死で生きていたように感じます。
家族の幸せのためにこんなにも頑張っているのに、自分の力のなさや、愛や優しさのなさに苦しんでいたように思います。
あのころは、自分で何とかしないと生きては行けない、幸せになれないと、必死だったのですよね。
でも、それは本当に傲慢なエゴの考え方だったんです。
私たちは本当は、いつも愛と喜びと幸せの中に生きていたんです。
それらを体験できないのは、エゴの考えによってだったんです。
エゴの偽りの考えのベールが上がると、その瞬間に今ここに在りつづけた愛が流れてきます。
今も日々努力して生きています。
でもその努力はエゴの間違った考えを採用し続けることではなく、エゴの偽りの考えで自分や人を価値判断していたことに気づくことへの努力です。
エゴと一体化していると、私達は無意識に自他を裁いています。
そしてそれが分離の錯覚を強めて苦しみを創りだしてゆきます。
もともと一つの存在である私たちが相手を裁くことがどれほど自分を苦しめていたか私達はほとんど気づいていません。
エゴの驚くような偽りの考えによって、実際は何の問題もないところに、問題を自分(エゴ)によって創りつづけてゆきます。
そしてその問題を解決するために頑張って生きてきたのに気づいたときはもう本当に驚きました。
何を今までしてきたのか?
存在しない問題を解決したり、エゴの欲望を満たすために日々頑張り続けてきたことに驚きます。
そしてそれらの無意味な頑張りに気づいてゆくと、毎瞬降り注いでいた宇宙の叡智(愛)が流れこんできます。
無意味な頑張りが無くなると、私達ほとんどすることが無くなってしまうんです^^
それほど私たちは自他を無意識に裁き、無意味な努力をすることで忙しくしていたんですよね。
そして、その時間は一つである他者と愛を目撃するという祝福の時間に変わってゆきます。
そして、自分の内側を外側に投影している世界なので、出会う人たちが愛に溢れていて驚きます。
でも不思議な事ではないのですよね?
自分の内側の反映の世界というとてもシンプルな世界に私たちは生きていますからね^^
先日「マレフィセント」というアンジェリーナの映画を図書館で借りてきて姪っ子と見たんです。
その中で、マレフィセントの心が憎しみに変わったとき森も共に悲しみに変わってゆき、光が消えてゆきました。
でも最後に彼女が愛を思い出したとき、森は愛と光に包まれました。
世界は内側の反映であるということを見せてくれていると感じましたね。
本当は全ての人が愛の存在なのに、エゴの考えによってそれらをベールに包んで観えなくなってしまっています。
そしてそのベールを溶かすことが出来るのは愛だけなのですよね。
私たちは宇宙の愛によっていつもどんな時も守られて生かされています。
その事実を少しずつ思い出してゆくことが真の癒しであり、委ねです。
このステージに進み始めると、今まで観ていた世界が愛と幸せと豊かさに変わり始め本当に驚きますよ。
今まで何をしてきたのか?とびっくりするでしょう。
全ての人が本当は無限の愛と豊かさの中に生きていたのに、エゴの考えで、小さな制限の中に自分で閉じ込めていたことに驚きます。
その制限の箱はいつでも扉が開いているんです。
扉を開けるのは他のだれでもなく自分だったのですよね。
生きとし生けるものが愛と調和の豊かさの中で生きられますように
愛と感謝をこめて
ゆう
お知らせ♪
3月から愛の世界への扉アドバンスコースがスタートします。
仲間と共に無限に増え続ける愛と幸せを受け取ってゆく旅をスタートしませんか?
ご一緒に愛を目撃できること楽しみにしています。