ある本を読んでいて、こんな言葉に出会いました

 

   人が何かをするのに「動機」は二つしかない

 一つは「愛」で、もう一つは「恐れ」である

 「愛」から発したことは上手くいく

 だが、「恐れ」から発したことは上手くいかない

 

日常の言動を振り返ってみると

「~しなければいけない」と表現する場合は

「恐れ」からの場合が多いように感じます

「(ご飯が食べれなくなるから) 働かなければいけない」

「(低い評価を受けてしまうから) 勉強しなければならない」

「(人に嫌われるから) 親切にしなければならない」

 

私も、こういう感覚あります(笑)

また、子供に何かをやらせようとする時

この「恐れ」を使うことはありませんか

 

同じ行為でも

「働いて、皆んなを喜ばせたい」

「勉強して、新しいことを知りたい、成長したい」

「人に親切にして、喜んでもらいたい」

という思いでやっている人もいる

 

どちらの思いでやっているかで

その人の人生の「幸福度」に違いがあるし

その結果にも違いが出てくると思うのです

 

「恐れ」を感じるのは「命」を守るための大切な本能

でも、私たちはその本能を必要以上に使い過ぎているのかも

 

何かをやろうとした時、時には、どっちかを点検してみる

もし「恐れ」に気づいたら、まずは「そうなんだな」と認める

そう思い込んだのには、きっかけがあったし、それで得たものもある

でも、そこから卒業したいと思ったら

「それって本当かな?」と冷静に振り返ってみる

 

そうやって、少しずつ「恐れ」を手放し

「愛」からの行動を増やしていけるとイイですね