今日4月28日は、私の母の「命日」です

 

私の母は、早くに母親を亡くし

弟たちの母親代わりを

勉強好きで「大学」に進学したかったのですが

家庭の事情で叶わなかったそうです

 

結婚して、我が家に嫁いで来ましたが

父親の給料だけでは生活できず

私が一歳になる時期から働きに出るように

仕事から帰れば家事、土日は農作業

ノンビリしている姿を見たことがありませんでした

 

定年まで働き、家計を支えてくれましたし

父が手術の経過が悪く半身不随になると

半年間、遠方の病院に泊まり込んでの看病

 

そんな苦労をした母も、父が亡くなってからは

やっと自分の時間ができて

詩吟、郷土史など様々な学びを楽しんでいました

83歳で亡くなるまで毎年、新しい友人ができ

年賀状を毎年200通以上も出すほど

 

そんな母は、誕生日の前日

布団の中で眠るように亡くなっていました

直前の3月には、祖母と父の法事を済ませ

亡くなる前日も地域の共同作業に出るくらいに元気

エンディングノートも書いてくれていて

まるで「死」を予見していたような「見事な最期」

 

死んだ翌日の「誕生日」には

遠方の孫まで帰省し家族が全員集合

「悲しい」というより

「お見事、お疲れさまでした」という感覚でした

 

野口整体創始者の「野口晴哉(はるちか)先生」の言葉

「生き切った者にのみ、安らかな死がある」

 

母の「命日」に、改めて

自分は残りの人生をどう生きるか、を考えています