愉快を生きる!JJ抹茶です。
ご無沙汰しています。大晦日ですので日記を更新しておきたいと思います。

ここが鹿児島でなければ何でもない冬の光景でしょう。
鹿児島では非常にレアな光景が目の前にあります。
ということで本日の1曲は、吉田拓郎の「外は白い雪の夜」を。
外は白い大晦日です。
さて・・・「ラムサの教え」に究極の?相対性を学びました。
もしあなたが自分自身の罪の犠牲者になっているならば―沢山の酷いことや恐ろしい
ことをしてしまって、本当に罪深いので自分は特別だと思っているならば―
私が教えてることを受け入れるのは困難だと感じるだろう。
なぜなら、あなたが自分の現実を創造していると私は教えるからだ。
そして、もしあなたが犠牲者ならば、それはあなたがそのように決めたからなのだ。
あなたがこの教えを好きになれないのは、自分の苦痛や制限や欠乏を
他の誰かの責任にしたいからだ。それはあなたの責任だと私は言う。
なぜなら、脳は自分を傷つける者の名前も言えれば、自分をそして、あなたにとって、それは嫌なことだろう。精霊は同意するが、脳はそれを受け入れない。
失望させる者の名前も言えるし、この教えを疑う理由も言えるからだ。
それは、他の誰かの過ちであり、決して自分の過ちではない。
人間の脳は傲慢なのだ。違うだろうか? 人々よ、あなたが自分の人生を創造したのならば、自分のためにしたことのすべてに
ついて、あなたに責任がある。あなたの成功や失敗の責任は、あなたにある。
そして、それが成功か失敗かを決めたのは。あなただ。
自分が幸せなのか不幸なのか憂鬱なのかの責任があなたにあるならば、それをそのように
感じる選択をしたのは、あなただ。それはそれほどに単純なことだったのだ。
そして、それは常にそうだった。自分にとって都合の悪い現実が、自分の創造結果ではないと言い張っていること・・・
つまり、自分の責任を認めないこと
これは自分が現実を創造しているということを認めないことになります。
それなのに、自分の都合のよい現実は創造したい・・つまり願望実現だの引き寄せだのってやつ。
それって傲慢だろ?と。
この心の受容度の低さこそが、受け取る力も低くしているという皮肉です。
許可しないことは起きない
ならば、許可したほうが愉快です。そのためにも責任は認め、降参することです。
受容度が低いのが問題なのです。受容度が上がれば、どんどん受け取れるはずです。
間違いなくそのほうが愉快です。
外は白い大晦日。
鹿児島には珍しい光景は、まっさらなキャンバスをイメージさせてくれました。
2011年は、自由に愉快な絵を描いていきたいと思います。
ということで・・・皆様、よいお年を!