愉快を生きる!JJ抹茶です。
ご無沙汰しておりました。

本日は結婚記念日。
おかげさまで25年になります。
銀婚式というやつです。

残念ながら祝う余裕もなく
気の利いた贈り物を買う金もありません。

昨夜は25年前、すなわち1986年のヒット曲を集め
CDを作成しました。
妻と二人、しみじみ聴きながら、日付が変わるのを待ちました。

いろんな思い出がありますが・・・
今日の1曲は、25年前のちょうど今頃の曲を。



「新しいラプソディー」井上陽水

 I love you あなたの胸に
 I love you 届くように 


というサビの想いは、一緒になって25年経過しても変わることはありません。

これからも一番大切な人と共に。

愉快を生きる!JJ抹茶です。
ご無沙汰しています。大晦日ですので日記を更新しておきたいと思います。

$たしかなこと-雪です

ここが鹿児島でなければ何でもない冬の光景でしょう。
鹿児島では非常にレアな光景が目の前にあります。



ということで本日の1曲は、吉田拓郎の「外は白い雪の夜」を。
外は白い大晦日です。


さて・・・「ラムサの教え」に究極の?相対性を学びました。

もしあなたが自分自身の罪の犠牲者になっているならば―沢山の酷いことや恐ろしい
ことをしてしまって、本当に罪深いので自分は特別だと思っているならば―
私が教えてることを受け入れるのは困難だと感じるだろう。

なぜなら、あなたが自分の現実を創造していると私は教えるからだ。
そして、もしあなたが犠牲者ならば、それはあなたがそのように決めたからなのだ。

あなたがこの教えを好きになれないのは、自分の苦痛や制限や欠乏を
他の誰かの責任にしたいからだ。それはあなたの責任だと私は言う。

なぜなら、脳は自分を傷つける者の名前も言えれば、自分をそして、あなたにとって、それは嫌なことだろう。精霊は同意するが、脳はそれを受け入れない。

失望させる者の名前も言えるし、この教えを疑う理由も言えるからだ。

それは、他の誰かの過ちであり、決して自分の過ちではない。
人間の脳は傲慢なのだ。違うだろうか?



人々よ、あなたが自分の人生を創造したのならば、自分のためにしたことのすべてに
ついて、あなたに責任がある。あなたの成功や失敗の責任は、あなたにある。

そして、それが成功か失敗かを決めたのは。あなただ。

自分が幸せなのか不幸なのか憂鬱なのかの責任があなたにあるならば、それをそのように
感じる選択をしたのは、あなただ。それはそれほどに単純なことだったのだ。
そして、それは常にそうだった。



自分にとって都合の悪い現実が、自分の創造結果ではないと言い張っていること・・・
つまり、自分の責任を認めないこと

これは自分が現実を創造しているということを認めないことになります。

それなのに、自分の都合のよい現実は創造したい・・つまり願望実現だの引き寄せだのってやつ。

それって傲慢だろ?と。

この心の受容度の低さこそが、受け取る力も低くしているという皮肉です。

許可しないことは起きない

ならば、許可したほうが愉快です。そのためにも責任は認め、降参することです。

受容度が低いのが問題なのです。受容度が上がれば、どんどん受け取れるはずです。

間違いなくそのほうが愉快です。


外は白い大晦日。

鹿児島には珍しい光景は、まっさらなキャンバスをイメージさせてくれました。

2011年は、自由に愉快な絵を描いていきたいと思います。

ということで・・・皆様、よいお年を!

愉快を生きる!JJ抹茶です。



今日の1曲はドリカムの「未来予想図Ⅱ」
書きたいこととも関係ないし、「未来予想図」という楽曲もあるのですが、単にタイトルで(笑)

想いは実現する!
みたいなことを言いたいわけでもないのです。
ビジョンを描く・・・未来予想図の設計こそ願望実現の要諦である、みたいな。

実はあたしたちは常に描いてるようなのです。

記憶、と言えば過去のデータだとイメージします。
それはそれで間違っていないのですが、実は『未来記憶』というものが存在するようなのです。
アカシックレコード云々を語ろうというのでもありません。
「展開記憶」と呼ばれるのが代表らしいのですが、あたしたちは体験すると同時にその再現性までイメージするようになっているらしい。で、記憶領域には、未だに起きていないこと、すなわち「展開記憶」的なものも、過去のこととしてメモリしているらしい。

これは恐ろしいことだと思いませんか?
なぜなら、始終『未来予想図』を描いていて、それは【記憶】として蓄積されている。
願望をイメージしてそれを自らに刷り込むのに、いろんな手法があって、苦労するのに・・・
【記憶】というカタチで強烈な刷り込みを始終しているのだとしたら・・・

少々何かやったぐらいで、自分の思ったような展開にすることは不可能な気がします。
ある意味、全部自分が思い描いたとおりにしかならないとも言えますが。

こうなると自分の中の記憶を全てチェックしないと恐ろしいことになりそうです。
というか、今やってることは全て無意味になりそうにも思えますね。

ですがそんなことができるのでしょうか?

ここで考えました。
記憶を書き換えるのに最も有効な方法は何でしょう。

結局「体験」です。

不味いと思ってたものが美味かった

出来ないと思っていたことが出来た

些細なことですが、人生がひっくり返る体験をあたしたちはしてると思います。

それを境に、価値観や感情や、何かが反転してしまったようなことを。

体験が重要だと思います。

そして、その体験に何を観るか、感じるかも。

記憶を書き換えるためにそれをやるのではなく、愉快な記憶で自分を満たすと申しますか。

あたしたちが「体験の受け皿」であることを最大限有効活用するには・・・

望む体験をする、受け取る

ということになるかと思います。


まだまだ色々体験していかねば!

どうせなら、最高に愉快な「未来予想図」を描きたいものです。
そして、その設計どおりに愉快を受け取りたいなと。