開始、10分くらいで、「これは、やばい」と思った。

涙が止まらなくなる、予感。

 

劇場のあちこちから、すすり泣きが・・・。

 

 

 

 

映画『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を観たいと思ったのは、社会学者の宮台真司氏が、この映画に、現代社会の窮屈さから抜け出すヒントがあると語っていたから。

 

日本政府が進める「Society5.0 スマート社会」や「グローバル化」は、きれいごとを言っているけれど、要は、人間を画一化し制御管理、監視するシステムのことだと、私は思う。

 

今も、このコロナ対策で「人のために」という美辞麗句の下で、国民の主権の制限を課し、相互監視の仕組を構築する、その政策が着実に(しかも自然に、民意として)推し進められている。

 

ふんわりリボン

 

 

孤児であるヴァイオレットを訓練し、優秀な武器(少女兵)として育てたギルベルト少佐。

彼は戦争で瀕死の負傷し、最期にヴァイオレットに「心から、愛している」という言葉を残す。

「愛している」を理解できないヴァイオレット。

「命令をください」と言うことが、彼女の精一杯の「感情」。

 

戦後、彼女は手紙の代筆業「ドール」という仕事をとおして、「愛している」とはどういうことかを習得しようとする。

最初は軍令のような文書しか書けなかった彼女は、いつしか「感情」を恢復していく。

 

そんなこの映画について、宮台氏は、

手紙=「非日常と記憶」からなるもの。

そして、それは「現代のテクノロジー社会」=「古き良きものの記憶が失われていく時代。

人を入れ替え可能にする時代。」と対極にあると、言います。

 

 

ふんわりリボン

(以下、ねたばれ含みます)

なーんて。

こんな前振りは、開始数分ですっとんでしまい、純粋に映画を堪能することになりました。

 

本当によく、よく、よーく練られた映画でした。

世界観も、画の美しさも、ストーリーも。

テレビアニメからの劇場版なので、前半に多少説明調の盛り込みはありましたが、なんのその。

 

ヴァイオレットと少佐のストーリーのクライマックス、

ヴァイオレットの少佐への想いがあふれ出します。

でも、それは、涙と嗚咽として。

長い時間の中で、毎日、毎日、育まれていった、言葉にならないほどの深く大きな想い。

そして、それはまたヴァイオレットから少佐へ宛てた手紙として暗示され、

決して「セリフ」で、簡単に「愛している」とは表現しない(そんなものでは表現できない)。

 

さらに、その二人のストーリーを、数十年後にとある少女が痕跡を辿って旅をし、

旅先から自分の大切な人たちへ、素直な気持ちをのせた手紙を出すのですが、

そこでも、決して「セリフ」として「愛してる」とは表現しない。

手紙の文字としてだけ、スクリーンに映し出される。

 

さらに、さらに、エンドロール。

ヴァイオレットと少佐、そしてその仲間たちの後日談が映像の断片で、ほのめかされて。

画面が暗転したところへ。

ぐんっと、テーマ曲の歌詞が、劇的に(耳に、全身に)飛び込んでくるのです。

 

「いつくしむこと  目には見えないもの 見ようとするこころ」

 

 

怒濤の三段階で、直接表現ではなく、でも、だからこそ、胸に響いて、たたみかけてくるのです。

 

小さなことでも、美しいものを美しいと感じること それに気づくこと

そうした心、そうした人の「在りよう」が、「愛」を織りなしていくのだと。

 

 

「愛してる」とか「愛されてる」とかじゃない、

「愛」として在る、こと。

 

ヴァイオレット・エヴァーガーデンが、三文恋愛映画に成り下がらない理由がここにあります。

 

 

 

そして、このことは、先日のブログでも書いた、大竹しのぶ&栗山民也の舞台『フェードル』に通じるものがあります。

 

どうして、「武器」であった少女ヴァイオレットが、手紙を代筆することで心に「愛」を呼び起こすことができたのか。

「愛」を身をもって理解することができるようになったのか。

 

つまり、人は、誰も(あなたも、私も)、その人として、そのまんま存在しているだけで、「Gravity」を発している。重力、重力場、重力波。

そこに大切な人との綾がうまれ、また感情が生まれる。

目にはみえない、はたらき(愛や、縁)に引き込まれ、引き寄せられていく。

 

ただ、その人が、その人らしく、存在することの大切さ。

それがヴァイオレットをとおして、みずみずしく描かれていました。

 


ふんわりリボン

 

手紙の代筆は、「代替可能な武器」としての彼女に、「代わりのいない、あなたでなければ成り立たない」世界(Gravity)の存在に気づかせ、浸透させていった。

 

それを可能にしたのは、少佐の最期の言葉「心から、愛している」で。

ヴァイオレットはその言葉に導かれ。

そういう意味では、会えない長い間も、少佐が、ヴァイオレットの中にあった「愛」を育てていった。

 

でもって、ですねぇ。

 

真摯に、直進、邁進するヴァイオレットに対して、この肝心の少佐が、本当に情けないのです。

「男って、肝心なところで、こうよねぇ~」などと妙に納得してしまうくらい、情けない男の代表なのであります。

私は、この声優さんは、あっぱれ、だと思います。

ほんとに、「情けない男」「煮え切らない男」の「声」、なのです。ぴったり。

感動的ですらあります。

 

 

ふんわりリボン

 

 

この『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』が、日本アカデミー賞にノミネートされたそうです乙女のトキメキ照れ乙女のトキメキ

 

ほかには、『鬼滅の刃』と『プペル』もノミネートされているとか。

実は、この2作も見ていますが、私は断然『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』です。

 

『鬼滅』は、呼吸の真意とか利他の精神とか、日本の古来持っている良さみたいなものがあって、そこは好きですが、私には騒々しすぎて。結局、戦ってばかり、殺してばかりで、それって溜飲を下げるにはよいかもしれないけれど、万人が調和していく生き方じゃないよね?と思います。子ども向けかなぁ。

 

『プペル』はメッセージ性や画(世界観含め)は素晴らしいと思います。好きです。そんな世界中で大ヒットしてよい素材なのに、映画化(興業化)にあたって、客をなめたと思います。「こんなもんでしょ」という感じ。セリフがうわついていて感情移入できないし、ターゲットが子どもなのか、大人なのか非常に中途半端な印象。

 

そういう意味で『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は、映画のいろんな側面から見ても、どこも、想いが行き届いています。制作者、監督の意識が素晴らしく行き届いていると感じます。

 

 

こちらは、映画を観た人に配られるポストカード。

映画の後、このはがきで改めて、いろいろと気づかされ「じーん」としてしまうのです。

 

 

ふんわりリボン

 

 

すばらしい時間をありがとう

 

 

 

 

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