友人のお母様が数年前に亡くなり、残されたお父様。

意外に元気にやっているそうですが、友人は子どもとしては心配で、今後のことも含めていろんなことを話し合ったそう。

 

その中で。

お母さんを振り返る、お父さん。

 

お母さんと出会ったときに感じた(惹かれた)、お母さんの中の一粒の光のようなもの。

お母さんが死ぬまでずっと、それが消えることはなかった。

ずっと、それがあった。

 

(確か、お母様は最期の数年は闘病生活でした。)

 

その話を友人から教えてもらったとき、泣いちゃいました。

私は実際にお会いしたのは数回しかなかったし、お二人の人生のことをほとんど知らないけれど。

 

今も、書いていて泣きそうになってしまう。

このお父さんのつぶやきのような一言には、普遍的な何かがある。

 

 

お父さんが、お母さんの中にある光を見ている。

誰かが、自分の中にある「実存(光)」を見てくれている。

 

 

これ以上の「安堵」が、あるだろうか。

そして、安堵した胸に去来し、ひろがり満ちる、しあわせ。

 

 

夫婦でなくとも。

親と子でも。

教師と生徒でも。

ときに、植物や動物とヒトでも。

 

「愛」と呼んでしまっては、そこからこぼれ落ちるものが多すぎる。

 

 

 

「ふれる」こと。「ふれられる」こと。

 

観音。「観る」ものと「観られる」もの。

 

ほっとほどけて、ふぁっと溶けて、また一つに。

 

宇宙の壮大な摂理が、小さなちいさな人生に顕われて、そしてまた宇宙を光らせる奇跡。

 

 

ありがとうございます。

 

 

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写真は、洗って冷蔵庫のタッパウエアに入れておいた「菜花」。

数日ぶりにふたを開けたら、咲いていたもの。

花瓶に挿して数日、さらに花開いた。

すごいな。

明るい黄色。