日々 まるで その練習を させてもらっているようなカンジです(笑)
昨日 自分にとっては 長年の夢の第一歩 ともいえるような
歌に関する 嬉しいことがあって
そのために 4月半ばに 京都へ一泊で行くことになりました。
今日 その話を 母にしたときのこと。
私が 「歌に関するワーク(レッスン)を受けに行く」 というようなことを
言ったとたん 母の顔が曇り
「あれもこれも やりすぎなんじゃないの!?
どれかひとつに 絞ってやることを 考えなさい!!」
と 言い出しました。
母の この反応は もっともで・・・
「ああ・・やっぱり そうきたか・・」
と 思いました。
私はこれまで いろいろとやりたいことがあって始めても
結局どれも ものにはならず 中途半端で終わってしまっていて・・
そんな姿を 今までずっと見てきた母なので
また今回も そうなるんじゃないかと心配しているのは 明白でした。
私が今まで 途中で断念してきた大きな理由のひとつが
「母が怖かったから」・・。
「私がこういうことをするのは 母は気に入らないだろう」
とか
「私が喜ぶことをすると 母の機嫌が悪くなる」
とか
子供のころからずっと こびりついていた 思いこみ。
そして その思いこみが招いた、その通りの現実の体験の積み重ね。
でも、母との関係性が大きく変わってから
やっと 自分の道を 自分の意思を
表現していくことができるような実感が 得られてきていました。
なので 久々に 母の 「反対」 の圧力を受け
「ああ・・久しぶりだ(笑)」
と 懐かしさすら 感じたりして。
とりあえず 詳しい状況や なんのために行くのかなど
ひととおり話してみて・・
母も かつての母とは違い、頭ごなしに「ダメ」だということはないものの
納得はしていない・・という 複雑な表情を浮かべていて・・
「(母さんの心配してることは)重々、承知の上だから!」
と、心をこめていったら 思いのほか 言葉に力が入ってしまい(笑)
ハッとした顔を一瞬浮かべた母は それっきり何も言わず、
ひとまず 話し合いが 終わりました。
その後 ひとり部屋に戻ってから
私の頭の中で ぐるぐると 母とのことが 駆け巡りだしました。
「心配」じゃなくて「信頼」してよ。
「心配」するってことは 今の私を 信じてないことの証だよ。
本当に 私のこれからを応援してくれる気持ちがあるなら
「またどれも中途半端で終わってしまうんじゃないか」と否定形で思うんじゃなく
「きっとどれもうまくいく」って 信じて願ってよ。
まだまだ い~~~っぱい いろんな想いが 湧いてきました。
そのすべてが 母に向けての 思いだったんですが
そのうちに あれ・・・?
おいおい non☆no サン・・・。
そういうアナタは どうなの?
母さんに対して どう 思ってるの?
と 「自分」 からの問いかけが やってきて、
ハッ☆☆
と 我に返り・・・(笑)
そうだよ、私自身が まず母さんを信じることじゃん☆☆
で、改めて、
「きっと母さんなら 私のこと信頼してくれる。
今まで 心配ばかりかけて ごめんね。
でも、今までとは違う私の想いも これからやりたいことも
きっと信じて応援してくれる。」
と、その母の「想い」を しっかりと味わって ありがとう!!! って
感じてみたのでした。
とても深い 安心感が やってきました。
そのあと、お茶にしましょう、と母から声がかかり
両親と三人で 午後のお茶になったのですが
かつての母だったら 今一つ晴れない気持ちや、不満、などなどが
態度や表情にもすごく出ていたんですが
今日は まったくそういうことはなく、いつものとおり晴れやかでにこやかで
穏やかなお茶の時間を 過ごすことができました。
夜は 私が今までに描いた絵や、現在仲間と進めている
震災募金用の絵などを 見てくれて
ポストカードに印刷したものを数枚、母にあげました。
とても気に入ってくれていて、以前あげた一枚は 既に 広島へ発送したとのこと!!
ええっ☆ 使ったの!? と ビックリ☆☆
まあ・・これは ひとつの例ですが
「信頼」が「安心」を生み、現実を変えていく ということを
こんなふうに いろんな形で 日々 実践させてもらっています。
それは 多分 すべてに応用できるなあ・・って 想うのです。
原発の問題にしても そうだな、と感じています。
みんな 人それぞれ 感じ方は 違うでしょうけれど・・
私は この 新しい感情パターンが
日々 報道されて世の中に蔓延していく 不安や怒りのエネルギーに
巻かれないために とても役立っていることを 感じています。
また、様々に違う人の反応に対してすら
批判やジャッジしてしまうエネルギーに対しても そうです。
自分の「平安」の中で 自分にできることに集中していくだけ・・ですね





