このブログにたどり着いてくれたあなたへ
いつも読んでくれてありがとう~
ハイ。これ昔の私ですwww
自己肯定感がバリバリに低かった私が変わっていった方法とは?
親との関係性がよくなった私。
子供の頃から身体が弱く、祖父母のもとに預けられていた私は、両親と微妙な距離感があって、”お姉ちゃんだからしっかりしなきゃ!”という謎の呪いまであったwww
なので、悪いコトが起こったりすると、「ダメまだまだもっと頑張らないと」と、修行僧でもないのに、過酷なくらい自分を追いこんでいた。
そして、それは『自分責め』というコトであるのを知ったのは、10年くらい前。
心理学や自己啓発本やいろんな人のブログを読みまくり、「自己肯定感を高める」って、よく出てくるケド、イマイチ”ピン”とこない。どーすれば自己肯定感って高まるの?って、いつもココロの中で焦っていました
負のループカラカラに絶好調なくらい乗りに乗っていたwwwそして、メンタルの病気にもなった。
そんな自己肯定感バリ低の過去の私が「そういうか」と気づいたのは、自己肯定感云々の前に「自分をねぎらう」コトから始めた。
最初は照れまくり、誰が見ている聞いているわけでもないのに、恥ずかしい~と思い、「イヤイヤ、そんな当たり前のコト」とねぎらいポイントを否定したり していたwww
照れまくり、恥ずかしがりながらも、”誰がみているわけでも、聞いてるわけでもない”と、自分を優しく諭し、ねぎらいポイントを「否定するコトではない。マジでスゲーコトなんだから」と当たり前にできているコト(朝、目覚ましアラームと共に起きたとかご飯をちゃんと作ったとか)を「スゴイねー エライねー」とねぎらうコトをひたすら続けた。
最初の3日ほどは、「私、すっげぇ恥ずかしいコトをやってるんじゃね?」「イヤイヤやるって決めたじゃん」とのせめぎ合いwww
だけど、1週間続け、21日を過ぎたあたりから「あれ?照れないぞ?恥ずかしくないぞ?」に変化しているコトに気づき、寧ろねぎらうコトをやらない日のほうが違和感になっているコトに気づいた。
詳しい根拠はわからないケド、人間は『21日間同じ行動を続けると習慣となる』というのをなんかの本で読んだ気がする。
自己肯定感が低い人は、自分を褒めたり、ねぎらったりするコトは、「あいつ調子に乗ってんじゃないか?」と思われる(かも)とか、「天狗になって、自己中じゃね?」と思われる(かも)と、自分以外の人に責められる(かも)という思いこみが強い。
だけど、それは全て”思いこみ”という誤解だったwww
自分をねぎらうを続けていくうちに「大人になってからでも自己肯定感って育つもんだなー」としみじみ自己肯定感が低かった頃の私が見たら、びっくりするだろうなーって思う変化がどんどん起こってきた。
自己肯定感は、子供の頃に親が子を信じて与えるものだとか、いろいろ言われているケド、親も”子供を育てる”という経験がない1年生で、しかもその親も自己肯定感を与えてもらった経験がなかったら、子供に「自己肯定感を与えよう」なんて発想にたどり着けなくても、無理はないなぁ~と思えるようになるまでの変化はまた別の話。親を許すだとか云々ではなく、今日のお話は、『自己肯定感って、自分で育てるコトが出来ます』だからね。
そこそこ妙齢の大人になっても、「自信がない」って言う人は、自己肯定感は自分で育てるに意識を向けてみて自己肯定感バリ低だった私もそこそこの妙齢の大人になってから自己肯定感を育て始めたから大丈夫って伝えたい。
本日のまとめ↓
①『自信がない・・・もっと愛されるためには…』という考えが出ている時点で「あ。自己肯定感低いわ」と自覚する(負のループカラカラに乗っている自分を認める)
↓
②当たり前に出来ているコト(時間通り起きた、バランスのい食事を作ったetc. を照れながらでも、恥ずかしい~って思っても、『誰が見てるわけでもない、聞いてるわけでもない』と、自分のココロにだけ優しく「よくやってるよースゴイよー」とねぎらう。
↓
③自己肯定感が育つ。
②をやるコトに照れや恥じらい、低抗がなくなってくる頃には. 自己肯定感は順調に育ってきてます
そして、あなたが『世界(自分の周りの環境)』を見る目も変わってくると同時に、世界(自分の周りの環境)も『あなた』を見る目が変わってきます
そんな日がくるのかよッと思うあなた。
まず、やってみなはれ。
チャレンジせずに未来はこうなりたいって願っても、『始まり』がなかったら、結果という『ゴール』もないんだよー。
ねぎらいハードルはめちゃめちゃ低くていいwww
自分をねぎらうコトは悪ではないこの思いこみの枠を外そう。
高跳びの世界チャンピオンじゃないんだから、いきなり高さ100センチとか無理でしょう?
高さ10センチならいけると思わん?
花音ฅ^•ﻌ•^ฅ