こんにちは、Yotaroです。

久しぶりに自分の思考を解放しようと思います。
 
最近、もっぱら怒りと愛について考えてます。最近31歳になりました。
 
人の話に集中できない。字を読んでも頭に入らない。常にぼーっとしている。だけど色々考えてる。そんな状態が明らかに強くなってきていた。一括りにしてしまえば鬱状態なんだろうけど、原因も対策も何もかもわからなかった。
 
たくさん色々調べたり本読んだりする中で、自分はずーーーっと怒ってたんだなと、気付き始めた。
 
なぜか小さい頃からずっと人格者になりたくて、哲学的な本をたくさんこどもの頃から読んできた。いつのまにか、ルールから外れるものは全部悪で、その悪から外れる言動をする自分、親、周りの人、全てに対して怒りという感情を作り出した。ほんで、その感情に気づかない、もしくは、怒りを溜める、という選択をしてきた。
 
そりゃ〜、何も出来ないわ。当たり前だね。ずーーーっと興奮してる状態だしね。
 
でも、よかったね。気付きがあって。
 
学んでいることは、大きく2つ。
 
人は自由であること。
 
それと、
 
愛と許すことの大切さ。
 
 
まず、自由であることについて。これまで、色々な人と出会い、別れ、学校を選び、職を選び、大きいことで言えば、そういうことを選択してきた。この、「選択」っていう言葉が出てきているのが、成長しているポイントの1つだと感じている。今までは、「そうなってきた」という俯瞰的なものだった。そこには、周りの環境のせいに出来る、すごく危険な考え方が潜んでいることに気付き始めている。親がこう言ったからとか、そこしか行くところがなかったからとか。そうじゃなかったね、全部、自分の意思で選択してきて、だから、それは自分は今までずっと自由だったし、これからもそれは変わらないっていう真理がありますね。自分のことの責任を全部引き受けてると、案外楽ですね。人のせいにしなくなるから、すーっと芯に通るものがえる。上司のアドバイスについてもそう。上司がこう言ったからこうした、ってしてる間は全部、がたがたする。でも、あくまで自分の考えを中心に、崩さないように、自分の責任で行動すると、案外うまくいく。上司も人間。寄りかかられたらプレッシャーだよね。
 
もう一つは、愛と許し。こ〜れはまあ難しいわ。自分の人生の課題の一つが、まさか自分を許すことだとは思ってなかったから。許したい、人格者になりたい、だから自制しなくちゃ、許せない、の堂々巡り。本当の人格者と呼ばれる人たちは、どうしてきたのか。。自分を規制して人を許すことが出来たのか?それとも、自分がおかした間違いを許し続けたのか?そもそも間違いっていう観念が違うのか?…とまあ、永遠にこういうことを考え続けているわけで。でも、過去作り出したミスター怒り様たちに、一つずつ認めてあげると言って、愛してあげると言って、その怒りに感謝してると言って、許してあげるって言えば、きっと怒り様達は1人ずつ解放され自由になっていくのだろう。出来なくても、言うことは出来るし。。
 
特に爆発的に状態が改善しているわけでもないです。でも、愛そう、と、決心する時間ができてきました。
 
 
ええ。そう、私昔から尻すぼみなんです。ストレッチでもしよう。ニコニコ
 
読んで下さった方がいましたら、お時間頂き、ありがとうございました。