今回は、
沖縄と海人(ウミンチュウ)に付いての基礎知識
●船を取り上げられた沖縄の人達
●サバニ (小舟)
●水中メガネは沖縄の海人(ウミンチュウ)が発明した
●世界で活躍した海人(ウミンチュウ)
●海人(ウミンチュウ)の衰退
●地球に優しい海人(ウミンチュウ)の生き方??
●悲しい海人(ウミンチュウ)の歴史
●糸満の夫婦別会計
●糸満はイートマンという外人の末裔?
●明和の高さ85メートルの大津波
●現代の沖縄の人の生活と海
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船を取り上げられた沖縄の人達
●薩摩や琉球王朝の影響で、すこしでも農業をさせようと、船を取り上げて強制的に農業をさせるという政策があったようです。
●海人(ウミンチュウ)の発祥の地
沖縄の南部の糸満は耕作できる土地がすくなく、海で生きることが放任されていたのかもしれません。
サバニ
●サバニは、二枚の船板を合わせた、船先の高い小さな船です。太鼓に合わせ
て、数人でカイで漕げば五ノット、帆をはれば10ノットぐらいは出ました。明治の頃は蒸気船を追い抜いてゆくサバニの話が残っています。東京オリンピツクのヨット競技ではサバニからヒントを得たヨットを作ったそうす。これは分解できるので、船に乗せて海外の海に運ばれました。アフリカの三時張るからニュージーランドまで海人(ウミンチュウ)は貝取りダイバーとして進出していました。そのためか、インド洋の島にサバニに近い形船が残っていたりします。
水中メガネは沖縄の海人(ウミンチュウ)が発明した
●明治の頃に、糸満の海人(ウミンチュウ)が、世界で初めて木の水中メガネを発明しました。これが水中の追い込み漁や、中華料理の食材のナマコ、真珠貝やボタンを作る貝取りのダイバーととして、ニホンでは福井県から千葉の方まで遠征していたようです。追い込み漁は、体力とチームワークのいる漁法でした。糸満のいくつかの門から派生した海人(ウミンチュウ)が、沖縄中に広がってゆきました。そして、世界中に
世界で活躍した海人(ウミンチュウ)
●世界の海(アフリカ、インド洋、オーストラリア、インドネシア、ハワイ、パラオ、グアム、サイパン、フィリピンなど)には、サバニごと運んで遠征してゆきました。メインはボタンを作る貝と真珠貝です。プラスチックが発明される前は、ボタンは貝でできていました。そしてそこに住み着いたのですが、第二次世界大戦の時には沖縄も南洋諸島も戦場になり、大変な生き地獄を体験されることになりました。●沖縄本島でもっとも激戦地であった(ひめゆりの塔などもある)のも糸満で海人(ウミンチュウ)の発祥の土地でした。
海人(ウミンチュウ)の衰退
●海人(ウミンチュウ)の漁はもともと近海漁で、プラスチックのボタンが作られるようになり、また、大型船の遠洋漁業になり、彼らの活躍の場は消えてゆきました。遠洋船に乗る人も多かった様です。
●サバニでの漁は、換金の為には経済効率が悪いようです。それで、いまではエンジン付きのサバニになり、カジキマグロや本マグロの一本釣りをする人も多い
ようです。追い込み漁は、アクアラングを使っているグループもあります。クエやハタなどを生きたまま捕まえ、都会に送ると大変な値段になります。
地球に優しい海人(ウミンチュウ)の生き方??
昔からの、小さな規模の素潜りの追い込み漁は、自分たちの食べるものを取る手段として、楽しみとして、いまでも続いています。波照間島の家の庭に、追い込み漁の網が干してある家が結構あります。●失業率の高い沖縄ですが、島の人達は失業した時にも?時にこそ?時だからこそ?追い込み漁で食べ物を手ににしていたと書いている人が結構います。後は米さえあれば、沖縄では生きられる。
悲しい海人(ウミンチュウ)の歴史
●古くから沖縄では、食べて行けない子供を人買いに売るということがありました。女子は紡績工場などの女工・水商売・色街など、男の子は、鉱山の人足になるか、糸満の海人(ウミンチュウ)に売られるか。なくなくかわいい子供を手放さなければならない時に、年期が明けたときに、海人(ウミンチュウ)としての生き方が身に付くということで、男の子を海人(ウミンチュウ)に売る親も多かったと書いてあります。
糸満の夫婦別会計
●糸満の夫婦別家計。糸満でのお金のやり取りは、夫と妻が独立していたようです。夫が魚を取って港に帰ってくると、妻は、その捕れた魚を夫から買います。今度は夫から買った魚を、町(那覇などに)売りに行くのです。女性の方が商売上手になってくる。これは、夫婦が別に暮らさなければならないこともあるし、死別することもあるので必要から生まれた生活の知恵かも知れません。
●糸満はホイットマンという外人の末裔?
糸満の人達の体型は大きく顔の彫りも深いので、漂流した西洋人かアラブ人がルーツという説もあります。江戸時代から琉球の人は、外国の人達には親切に扱ってきました。難破した人達を保護したり。
外国の文献では、琉球は武器を持たない国として紹介されています。石垣島にイギリスの船が難破したときに、奴隷にされていた中国人が逃げ出したことがありました。石垣島の人は彼らを助けたのですが、後にイギリス人は、香港から武器をもった船で石垣島までやって来て、逃げた奴隷を捕まえて、殺してしまいました。なくなった中国人の魂を祭る、唐人墓が石垣市にあります。
明和の高さ85メートルの大津波
●江戸時代のはじめ、1771年の明和に高さ85メートルの大津波が八重山諸島を襲い、石垣島では人口の半分がなくなりました。宮良川からの津波は、川をさかのぼり、山を削り、反対側の湾まで達したそうです。沢山の女子がなくなり人口バランスがくずれ人口が津波の前に回復したのは明治だったそうです。
現代の沖縄の人の生活と海
●沖縄は海というイメージがありますが、職業のとしている海人(ウミンチュウ)人をのぞいて、普通の沖縄人(ウチナンチュー)は本土の人(ヤマトンチュー)より、泳げない人がいっぱいいます。海に入るときは裸では海に入りません。太陽が強いので、服を着て入ります。泳ぎはしないですが、し夕方に海辺で遊ぶ人は多いようです。
実はもう一つブログをかいています。
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