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なんでもない日々や些細なこと

11月に入り、やっと過ごしやすい気候となりました。このまま気温が下がっていけば月末頃には綺麗なもみじが見られるのかなと、今年は紅葉の旅も計画中デス☆




そんな中で先日は京都に行きました。雲の多い朝でしたが、京阪三条駅からGoogleマップの案内にしたがって、どんどん歩いてきました(`・ω・´)9

 

 

 

 

 

 

 

   

京都国立近代美術館

  「没後50年 堂本印象 自在なる創造」

 

 


堂本印象という画家が主に京都を拠点として活躍したこと、その名を冠した美術館が京都北区にあることを知ったのは最近のことです。ブログで交流のある方のお陰で知りました。京都府立堂本印象美術館ーーーいつか訪ねてみたいと思っています。

 

この日は、その印象美術館ではなく京都左京区岡崎の京都国立近代美術館で堂本印象没後50年の節目になる大回顧展が開催されると知り、出掛けてきたのでした。

 

 

  

堂本印象〔明治24年(1891)〜昭和50年(1975)〕は、名を三之助、号は印象のほか「いの字」とも称しました。幼い頃より絵を好んだ印象は、京都市立美術工芸学校や京都市立絵画専門学校で学び研鑽を積みました。そして、大正8年(1919)の第1回帝展で初入選を果たします。続く帝展で受賞を重ねて画壇での地位を確立し、帝展や新文展、日展で審査員を務めるなど政府主催の展覧会(官展)を中心に活躍しました。また、母校で教鞭を執るなど後進の育成にも貢献しており、昭和36年(1961)に文化勲章を受章、昭和48年(1973)には京都市名誉市民として表彰されています。

 

 

 

深草

大正8年(1919)/絹本著色

京都府立堂本印象美術館

京都市立絵画専門学校へ入学した翌年帝展に応募して入選した印象の画壇デビュー作。ーーーー
 
 

印象は33歳で《華厳 大正14年(1925)/絹本著色 東大寺》を帝展に出品し、第一回の帝国美術院賞を受賞したことから寺院の信頼を得て、大徳寺龍翔寺襖絵及び杉戸絵を描いたのにはじまり、生涯にわたり計620面の社寺の障壁画を描いています。
今になってわかったのですが、その中の一面である東福寺の本堂天井画《蒼龍 昭和8年(1933)》をわたしも数年前に拝ませていただいていました(*´ー`*)
 
 

木華開耶媛
昭和4年(1929)/絹本著色
京都府立堂本印象美術館
木華開耶媛(このはなさくやひめ)は、古事記や日本書紀に登場する日本神話の女神。モデルは末妹の菊子といわれており、下絵の段階では、初々しい人間の女性として表現されているが、本作では人間を超越した美しい女神として、神々しく近寄りがたい雰囲気を醸し出している。木華は桜の花を意味し、はかないものの美しさを謳い上げたこの作品は、印象作品の中でも特に人気の高い代表作となっている。ーーーー
 
下絵と並んで本作が展示されていました。媛のお顔、座した姿、その黒髪、描かれた芽吹き花開いた季節は息をのむほど素晴らしかったです(*´∀`*)
 
 
  
兎春野に遊ぶ
昭和13年(1938)/絹本著色
京都府立堂本印象美術館
三菱財閥4代目当主・岩崎小彌太の還暦祝いとして、岩崎邸の食堂に飾るために描かれたもので、卯年生まれであった小彌太にちなんで、1匹12歳〈干支の数〉と考えて5匹のウサギで60歳を表している。ーーーー
 
印象は別な作品でリスや猫を描いていますが、いずれも毛並みの柔らかさが伝わる繊細さがありました。この日の一点を選ぶとしたら、わたしはこの作品を選ぶと思います。還暦祝いのおめでたい作品であることやウサギが愛らしくて食堂に飾れたら食事が楽しくなるだろうなと思うからです。ただ、我が家の食卓がある部屋に飾るには絵のサイズが大き過ぎて立派過ぎました(*゚∀゚*)アハ
 
 
 
 
当初は写実を主とし、繊細な筆遣いを特徴としていた印象の画風は、戦後になると抽象的な作風へと移行します。渡欧やミッシェル・タビエ(1950年代初頭にフランスを中心に興った前衛的な抽象絵画運動を「不定形」を意味するアンフォルメルと名付けた批評家)との出会いをきっかけに躍動感のある筆のストロークで表現した抽象画へと更に変貌を遂げます。
 
 
 
昭和28年(1953)/紙本著色
京都府立堂本印象美術館
古道具屋の入り口の上には「人生は骨董、がらくたにしか値せず」という言葉が記され、建物全体の古びた様子もあって、暗いイメージの作品となっている。しかし、印象が古美術を収集し、その美しさを見出していたことから考えると、「人生はがらくたのような骨董であったとしても美しい」という意味が作品の中に隠されていると解釈することもできる。ーーーー
 
ヨーロッパの建物の壁の質感ですね。赤いカーテンの窓の一方には年老いた人が、もう一方には赤ん坊を抱いた母親の姿が見えます。哲学的な作品です。
 
 
 
生活
昭和30年(1955)/紙本著色
京都府立堂本印象美術館
一見、構成主義的な抽象画と思われるが、よく見ると集合住宅が描かれており、黒く配されているのはそれぞれの窓であることがわかる。ーーーー
 
 
 
交響
昭和36年(1961)/紙本著色
京都府立堂本印象美術館

 「作曲家が楽譜に記号で作曲するように色彩と構図で私の交響曲を表現したい」と考えた印象は、油彩画のように色を重ねて堅牢な抽象画を描いた。顔料が混じり合った独特の色彩も相まって日本画の画材で描いたとは思えないマチエール(絵の表面の肌合い)であり、画面に顔料をたたきつけたように飛び散る黄色の飛沫からは、アメリカの抽象表現主義を代表するジャクソン・ポロックの作品が想起される。しかし、墨による蓮の巻葉のような造形や金の使用、濃墨や擦れを活かした表現からは東洋的な要素も感じられ、日本画による抽象表現の一つの完成形を示している。ーーーー

 

近づいて離れて。手前から向こうへと墨の濃淡、潤渇のような流れがあり、まるで「書」の作品を鑑賞しているような感覚がありました。印象は日本画家なのだなとしばらく立ちどまって見入ってしまいました。

 



今回の展覧会鑑賞では、印象が一人の日本画家の作品だとは思えないほどに画風を変化させていることにとにかく驚きました。また、とうてい一人の画家の仕事と思えない程の量を生涯に制作しています。

展示された絵画の他にパネルの説明書きの中で、印象の残した言葉も紹介されていました。

 

“目には見えない完成した作品には表れない努力こそ大切である。”

 

印象は依頼制作や後進育成で多忙な中でも、展覧会への出品は欠かさなかったそうです。

 

“一つの様式が完成すればそれを打破し次の段階を目指して進まなければならない。”

 

好き嫌いを言ってしまうべきではないのかもしれませんが、わたしは印象の写実的な具象画をもっと見てみたかったです。けれど、この画家の生き方とも言える画風の変化すべてが、確かな画力に裏打ちされた飽くなき探究心と卓越したセンスを持つ印象の魅力なのかもしれません。

 

 

 

この日、ホールで貴重なお話を伺うことができました。

京都府立堂本印象美術館 主任学芸員 松尾敦子先生の講演です。

堂本印象について殆ど知識のないまま臨んだ展覧会鑑賞でしたので、興味深いお話ばかりでした。この中で、堂本印象美術館について「創作のよろこびがあふれていて美術館そのものがパワースポットのよう」と紹介なさっていました。本当に一度足を運びたいですp(*´ω`*)q

 

そして、堂本印象という画家が存在した事をわたしに教えてくださった方がブログ記事で印象美術館のことを書かれていますので、ここにリンクを貼らせていただきたいと思います(記事がふたつに分かれていてリブログできなかったんです)。いつものことで恐縮なのですが、今回もブログを書かれた方の承諾はまだいただけていません。お許しくださいm(__)mペコリ☆