ダイヤモンドアートになった茶トラのチャーちゃんのことをかく前に、少し、ちゃー助との馴れ初めを書いて置こうと思います。
 
 
少し早めに本業を引退し、私にも、ぽっかり心に空白ができた時期がありました。
 
ちょうどそんなときに家の裏で子猫の鳴き声が聞こえたのです。
 
店にお客さんがいなくて、ヒマそうにしていた娘に、ちょっと見てきて、と言うと、
 
見に行ったら連れて帰るかもよ!と言われながら、
何を血迷ったか、(^_^;)
それでもいいから見てきてと言いました。
 
そして、2012年7月5日、
まだ目も見えてない赤ちゃんネコが、我が家の家族となりました。
 
最初、まねき、と名付け、さくら、と改名したけど、
どれもしっくり行かず、
最終的に茶トラのチャーちゃんになりました。
 
ちゃー助は凛々しい顔したハンサムボーイでした。
(最初は女の子と思ってしました。可愛かったので。^^)
 
チャーちゃんは、私がごはん(エサ)をあげるのを忘れていると、
棚の上に置いてあるキャットフードをドーンと下に落として催促します。(^_^;)
 
そして、何よりも夫との散歩を毎日楽しみにしていました。
 
ちゃー助が家のぐるりで遊んでいるところに、夫がちょっと遊んでやるか、と家から出ていくと、
それはそれは喜んで、「とーちゃん、一緒にあそぼ!あそぼ!」と、スキップをして本当に嬉しそうでした。
 
そして、蝶や蛾を捕まえると、一目散に家なかに持ち帰り、
「かぁーちゃん、俺、すげーだろう!ほら、みてみて!」と言わんばかりに、
毎回とってきた獲物を自慢げに見せびらかしていました。(^_^;)
チャーちゃんと嫁のヒメちゃん
 
ネコは人間の子供とは違い、純粋に愛しく、可愛がるだけの仔でしたが、
私達夫婦は、このままチャーちゃんが10年、あわよくば、20年も生きてくれるものと、
なんの疑いもなく思っていたのでした。
 
ところが、ネコという生き物は、私達夫婦が思っているほど生命力のある生き物ではありませんでした。
 
あるとき息遣いが荒いのに気づき、行きつけの獣医にかかっていたのですが、原因が分からず、何度か通院した後、
2015年2月26日、ちゃー助はあっけなく虹の橋を渡って行ってしまったのです・・・。
 
 
泣きました。
人って、こんなにも泣けるものなのか?
と、思うくらい静かに延々と泣きました。
 
私は、ちゃー助によって、
初めて愛しいものを亡くす辛さ悲しさを体験し学びました。
 
もう一度抱きしめたい!
ちゃー助をもう一度抱きしめたい!!
 
そんな切ない思いを抑えられるようになるのに1年くらいかかったでしょうか。
チャーちゃんの死後チャーちゃんの母猫と妹猫をウチの仔にしました。
 
今も私のパソコンには、ちゃー助との思い出の写真が沢山保存されています。
それを涙なしで見れるようになったのはほんの最近です。
チャーちゃんの母猫(タマ)と妹猫(ミィ)です。
 
その中に、私がサプリのバナーをちゃー助がまだ元気だった頃に、チャーちゃんとヒメちゃんを加工して作ったものがありまして・・・
元気だった頃のチャー助と、今も元気な嫁のヒメちゃん。
 
これをアートにして額に入れて飾ってみようかと思い立ち、娘に発注を頼むことにしたのです。
 
もう神奈川あたりにきているので、もうそろそろ届くころだそうです。
とっても楽しみにしています。(・∀・)