8月6日のお土産~広島~
♪ 森山良子 涙そうそう ♪
いい加減
戦争を
終わりにせよと
米国が
誰にも分からぬ
結末を
密かに知ろうと
計画し
国の威信
むき出しに
威力試せと
指示を出し
8月6日
ご飯どき
家族の団欒
かき消して
広島に
禁断の種
撒き散らす
今までに
経験のない
臨界の
すざまじい
光が
放たれた
その瞬間に
人知を
遥かに超えた
エネルギー
原爆ドームに
落下した
空襲の
経験あれど
日本人
逃げる間もなく
人形のように
引きちぎられて
倒れこむ
多くの人が
身体冷やそと
川に入って
力尽く
生き残った
人々も
放射線を
身体に受けて
被曝した
後遺症と
戦いながら
己の命を
全て懸け
語り部として
戦後世代に
被爆の体験
伝えたり
ひとり
そしてまたひとり
自分の思いを
心の中に
しまい込み
後は頼むと
願いつつ
誰にも知られず
黙ってこの世に
別れを告げた
…もう68年
原爆ドームが
今日も
人々に
戦争の虚しさ
黙って教え
原爆の
災禍をくぐった
猿猴橋が
多くの人々の
命を救い
今もなお
広島の
町の発展
見続ける
広島の地を
初めて踏んだ
翌日に
車中から
初めて眺めた
原爆ドーム
間近で見たいと
願いつつ
叶わぬ願い
「忘れもの」として
広島に置き
死ぬまでに
「忘れもの」を
取りに行くと
心に刻んだ
それから
数えて
16年
そのときは
突然に
私のもとに
やってきた
ついに願いが
叶ったとき
「茫然自失」
この言葉が
全てだった
テレビ越しに
見た公園を
目の前で
見たときに
あまりにも
綺麗過ぎて
原爆ドームは
浮いていた
ただその爪痕が
未だなお
多くの人を
惹きつける
戦争を知らない
人々の原点
それは「広島」
いつまでも
原爆の悲劇を
戦争の虚しさを
後世に伝えよと
ユネスコが
世界遺産に
指定した
辿りついた原点に
忘れものを
取りに来たよと
語りかけ
一瞬の災禍で
声も立てずに
無言で散った
命の思い
川の流れで
伝え聞き
原点から
派遣された
静岡の地で
僅かでも
彼らの思い
伝えよう
…お粗末。
本日のお土産は…「広島」。
平和公園での記念式典が
行われたその時間,私は
すっかり忘れていました。
8月6日という,大切な日を。
アメリカが日本に引導を渡した
「最終通告」が原爆投下という
形で広島に降りかかりました。
後にも,先にも世界で唯一,
原爆の凄惨さを教えられた国。
しかし…
それだけリスクが高く,しかも
大震災で爆発した「原発」から
出続けている放射線の恐怖を
目の当たりにしているのに…
どうして「原発」に固執するのか…
そして…もっと恐ろしいのは,
この国が再び「戦争」に目を向け
始めたことです。
戦争をしらないこどもたちが閣僚に
なってしまった現在,確実に「戦争」を
バーチャルからリアルに変えようと
しています。
歴史の勉強をしたのか…
隣国の歴史を私自身も知らないで
過ごしているのでしょう,きっと。
広島からあらためて流された,
「ノーモア,戦争」のアピール。
広島市長が語った一言一言を
大切にいたします。
また多くの方々とお会いする機会が与え
られました…ありがとうございます。
私のことを気に懸け,励まし続ける師匠,
ありがとうございます。
産んでくださった両親に…「ありがとう」。
私はあなたがたから生まれたこどもです。
出来は悪いですが…こどもとして最後まで
寄り添えることが何よりも嬉しいです。
母親との絆を大切にすることが亡き父との
新たな約束になりました。
母親のことは気がかりですが,一緒に生き
ますよ。
…どんなときも神様は言います。
「恐れるな,わたしはあなたと共にいる」
だから,私もこれから言い続けます。
「いつも耳を傾けます,あなたの声に」
明日の風があなたに幸運を運ぶことを
信じて…
いい加減
戦争を
終わりにせよと
米国が
誰にも分からぬ
結末を
密かに知ろうと
計画し
国の威信
むき出しに
威力試せと
指示を出し
8月6日
ご飯どき
家族の団欒
かき消して
広島に
禁断の種
撒き散らす
今までに
経験のない
臨界の
すざまじい
光が
放たれた
その瞬間に
人知を
遥かに超えた
エネルギー
原爆ドームに
落下した
空襲の
経験あれど
日本人
逃げる間もなく
人形のように
引きちぎられて
倒れこむ
多くの人が
身体冷やそと
川に入って
力尽く
生き残った
人々も
放射線を
身体に受けて
被曝した
後遺症と
戦いながら
己の命を
全て懸け
語り部として
戦後世代に
被爆の体験
伝えたり
ひとり
そしてまたひとり
自分の思いを
心の中に
しまい込み
後は頼むと
願いつつ
誰にも知られず
黙ってこの世に
別れを告げた
…もう68年
原爆ドームが
今日も
人々に
戦争の虚しさ
黙って教え
原爆の
災禍をくぐった
猿猴橋が
多くの人々の
命を救い
今もなお
広島の
町の発展
見続ける
広島の地を
初めて踏んだ
翌日に
車中から
初めて眺めた
原爆ドーム
間近で見たいと
願いつつ
叶わぬ願い
「忘れもの」として
広島に置き
死ぬまでに
「忘れもの」を
取りに行くと
心に刻んだ
それから
数えて
16年
そのときは
突然に
私のもとに
やってきた
ついに願いが
叶ったとき
「茫然自失」
この言葉が
全てだった
テレビ越しに
見た公園を
目の前で
見たときに
あまりにも
綺麗過ぎて
原爆ドームは
浮いていた
ただその爪痕が
未だなお
多くの人を
惹きつける
戦争を知らない
人々の原点
それは「広島」
いつまでも
原爆の悲劇を
戦争の虚しさを
後世に伝えよと
ユネスコが
世界遺産に
指定した
辿りついた原点に
忘れものを
取りに来たよと
語りかけ
一瞬の災禍で
声も立てずに
無言で散った
命の思い
川の流れで
伝え聞き
原点から
派遣された
静岡の地で
僅かでも
彼らの思い
伝えよう
…お粗末。
本日のお土産は…「広島」。
平和公園での記念式典が
行われたその時間,私は
すっかり忘れていました。
8月6日という,大切な日を。
アメリカが日本に引導を渡した
「最終通告」が原爆投下という
形で広島に降りかかりました。
後にも,先にも世界で唯一,
原爆の凄惨さを教えられた国。
しかし…
それだけリスクが高く,しかも
大震災で爆発した「原発」から
出続けている放射線の恐怖を
目の当たりにしているのに…
どうして「原発」に固執するのか…
そして…もっと恐ろしいのは,
この国が再び「戦争」に目を向け
始めたことです。
戦争をしらないこどもたちが閣僚に
なってしまった現在,確実に「戦争」を
バーチャルからリアルに変えようと
しています。
歴史の勉強をしたのか…
隣国の歴史を私自身も知らないで
過ごしているのでしょう,きっと。
広島からあらためて流された,
「ノーモア,戦争」のアピール。
広島市長が語った一言一言を
大切にいたします。
また多くの方々とお会いする機会が与え
られました…ありがとうございます。
私のことを気に懸け,励まし続ける師匠,
ありがとうございます。
産んでくださった両親に…「ありがとう」。
私はあなたがたから生まれたこどもです。
出来は悪いですが…こどもとして最後まで
寄り添えることが何よりも嬉しいです。
母親との絆を大切にすることが亡き父との
新たな約束になりました。
母親のことは気がかりですが,一緒に生き
ますよ。
…どんなときも神様は言います。
「恐れるな,わたしはあなたと共にいる」
だから,私もこれから言い続けます。
「いつも耳を傾けます,あなたの声に」
明日の風があなたに幸運を運ぶことを
信じて…