昨日は心屋塾マスターコース123期の3日目でした。

でもまだ噛み砕いてないので
それは今度にして、
少し前に気づいたことを載せておきます。

書きたいことがどんどん溜まっていって
流れちゃうから出しておかないとね!






私は愛がない家庭で育った
両親から愛情をかけてもらえなかった

と思っていたんだけど、実はあった。


私の理想とはずいぶんかけ離れてたんだけどね。






以前書いた、私のたわごと日記↓






世間様の素敵な家族像を理想にしちゃうと
苦しいよね。




隣の芝生は青く見えちゃうから、
あそこはいいなーー
ウチはこんなんだよえーケッ ってなる。
少なくとも私はそうだった。



まぁ本当に隣の芝生が青く美しい場合もあるけど(笑)






愛情表現って人それぞれだと思うの。


(マスターコースでも愛情表現についてやったよ!
なんてタイムリー!!)






それぞれの人にそれぞれの事情があるから。

性格とか、育った環境とか、生きてきた環境とか、
経験してきたこととか。


100人いれば100通りの事情があり、
100通りの性質や100通りの考え方がある。





親も人間だしね。
親になったからといって
万能な人になれるわけじゃない。





だから一概に、
コレをしてもらったから愛があった
アレを与えられたから愛があった
というのは言えない。




逆に言うと、
コレをしてくれなかったから愛情がなかった
アレを与えてもらえなかったから愛情がなかった
ということではない。
と思う。







でね、私自身は
理想の愛ではなかったけど
不器用な形の愛をもらっていたのね。






そこからまた新たに見えてきたことがあって。






実は、、、





お母さんは
私のことが好きじゃなかった。

むしろ嫌いだったと思う、、、






やーーーーっと認められた。
昔の私は認められなかった。
こんなこと知りたくなかったよね。
悲しすぎるもの。





でも今はとっっっても爽快な気分。





小さい頃からお母さんに嫌われてたこと、
なんとなく知ってたけどやっと認められたの。





今はあまり悲しくなくて。
ただ、自分がすごくいとおしいかな。
雑な扱いをされたなかで頑張って生きてた
小いさい頃の自分がいとおしい。






でもやっぱりね、母はすごい人だと思う。
ものすごく大変だったよね、
あの中で子供を育てるのは。


父が相当ひどかったからねぇ(苦笑)


そんな中でも私を育てることが、
子供の身の回りの世話をして
なんとか食べさせてくことが、
母の愛だったんだと思う。
(真面目な人だから義務感もあったとは思うけど)






そして母が娘を嫌いだった理由を
私なりに解釈してる。
理由がわかるからより一層悲しくない。
でもこの話は長くなるので割愛ね。






そして、大事なのは

母から好かれてないことは
私の存在価値と何の関係もない

ということ。






お母さんがお母さんの個人的事情で
私のことを好きじゃなかっただけ。


人間だからさ、やっぱり好き嫌いあるじゃない。
自分の子供だから好きという法則はないもんね。





で、お母さんの好みと
他の人の好みは全く違う。



お母さんが私を嫌いだからといって
他の人が私を嫌いになるかというと
そうじゃない。





だから私はありのままで愛されていいのだ。
お母さんに好かれなくとも、ね。笑