久しぶりのブログになった。

 

休みで寛ぐ人が、この地にたくさん訪れる盛夏になった。

真夏なのにクーラーが要らないのだから、思い切り羽を伸ばしたくなるのも無理はない。

 

 

コロナもワクチンも当たり前になり、オリンピックも終わったが、思い切り背伸びしておしゃれして、避暑地を歩く人を見ていると、皆幸せなのだろうか思ってしまう。

 

仕事や、遊び、勉強、目的に向かって頑張る人、大好きなことをしてる人、日々の暮らしで精一杯の人、介護で大変な人。

それでも、短い夏を楽しめるのは、日々が充実しているからだろうか。

 

 

東京で1人暮らす息子も、仕事やら私生活で忙しいのだろう。お盆にも帰省するつもりはなさそうだ。

仲良いカップルを見ると、きっと彼女と仲良く楽しくやっているのだろうと想像する。

 

 

そして、自分のことだけ考えて過ごせる私もきっと幸せなのだろうと思う。

無職の夫も、なんだかんだブラブラしているし、せねばならぬ事もなく、面倒を見る人もいないから気楽だ。

 

 

一方で、会社勤めの夫を持つ妹はというと、私とは真逆の生活を送っている。

 

毎日弁当を作り、雨の日は夫の送迎もせねばならないし、週3日は車で30分の実家に通い、父の運転手やら病院の付き添いで忙しい。

結婚して子供が産まれた1人娘が、頻繁に家族で泊まりに来るから、そのお世話もしている。

 

目まぐるしいだろうが合間をぬって、趣味もちゃんとやり、誰かの役に立っているという実感もある。

私達にとって、何かをしているという満足感はとても大きいから、妹はそれなりに幸せなのだろう。

 

 

遠く離れて暮らす私は、時々実家に行き、数ヶ月居て父の面倒をみるが、完全に父のペースで動く。したいことも、せねばならないこともないから当然だけれど、忙しく動き回る妹と比べると、やりたいことがない自分が歯痒いのは確かだ。

 

 

何もしなくてもいいの?誰かの役に立たなくていいの?

自分の人生を生きなくてもいいの?

 

こんな声が聞こえてくると、焦る。

何年もじっとしている自分が情けなくなってくるのだ。

 

考える前に行動に走る私は、正反対のこの日常に贅沢にも飽きている。

けれど動けばまた、いつものパターンにはまり込むだけのようにも思う。

 

充実感一杯の毎日の中にいて、必要な気づきも学びもすっ飛ばし、ただ年を取っていくなら、何もしないでいる今と変わらない気もする。

 

今に満足できないのは、本来の自分がすることをしていないからだろうか。

 

そう思う毎日だ。