地震が起きてライフラインが全て絶たれ、
食料もほとんどない生活が続きましたが
最近はやっと落ち着きを取り戻しつつあります。

昨日スーパーへ買い出しに行きましたが
結構なんでも手に入りました。

パンや乳製品は相変わらず手に入りにくいです。



ムスコは、前記事にも書いたとおり
なんでも食べさせたので、丸まるとしてきました笑

塩分・糖分・油分・化学調味料・添加物など
採りすぎな気がしてちょっと心配です。
あまり神経質にはならないようにはしてますが…。



今まで、
味も薄めにしたり、塩分・糖分は控えめにしたり、化学調味料・添加物を使わないようにしたり、
できるだけ気をつけてきました。

それが地震後全部パーになってしまったな…と、
ちょっとだけ悲しんでいる私です。笑
いや、食べ物がないので仕方ないんですけど。。。



今は結構普通の食事に戻りつつあるので
私としては、今までのようにムスコにはできるだけ食べ物には気をつけたいと思っていますが…

義両親や義祖父祖母が
ムスコにどんどんいろんな物をあげていて………
お菓子もチョコや大人と同じもの
食事も大人と同じもの
加工品など添加物もりもりなもの。。。

嫁の立場の私はあまり強く言えません

みんな、自分が使ったお箸でムスコにご飯をあげるのも
私としては本当はやめてほしいです。。
今まで気をつけてきたのに…
虫歯菌がぁぁぁ

阻止できるときは
あの手この手で阻止しますが
それにも限界があります。。
今は半ば諦めています。。。。



食事の面だけでなく
他にもいろいろ
「やめてぇぇぇ」と心の中で泣き叫んでることが多いのですが
お世話になっている身なので何も言えず。



ストレスで禿げそうです笑
今日ムスコは1歳3ヶ月になりました。


こうして25日を迎えられたこと
とても幸せに感じます。


簡単に最近の成長を書きたいと思います。



・歩くのがぐんと上手に。

・お外で歩くの大好き。
津波から逃げるときにファーストシューズをご近所さんの車に忘れてきてしまいましたが、義両親がタイミングよくle coqの靴を買っていてくださっていました~!joy to the world   the road is come-CA390033.jpg

・「じゃんして~」と言うと階段などに座って嬉しそうにする。

・「いないいないばぁ」と言えるように。

・更にちゃんと手で目を隠して「いないいないばぁ」ができるように。

・義実家にあるエレベーターが恐いらしい。笑

・文字に興味を示し始める。
新聞を持ってきて指さししたり、名前を書いてあげた紙を大事そうに持ち歩いて指さし。

・三輪車デビュー。
義実家の本家からアンパンマンの三輪車を借りて乗っています。
joy to the world   the road is come-CA390031.jpg

・とにかくよく食べる。
大人はいいから、ムスコにはちゃんと食べさせてあげようと、なんでも食べさせてました。
そしたら、このご時世に、太りました。笑

・大人と同じのばかりあげていたので、味付け薄いのは嫌がるように…。

・停電のため暗くなったら寝るという生活を送っていたので早寝早起きが身に付いた。

・地震後からかなり甘えん坊に。抱っこも私じゃないとダメという時が増えた。

・夜寝るときと夜中だけ授乳。
しばらく断乳のことは考えないことにします。

・夜泣きは相変わらず。
でも避難所にいた夜は、気を使ったのかほとんど起きなかった…!



他にもいろいろあったかもだけど
また改めて。



義実家での生活もだいぶ慣れてきたよう。

このまま義実家で暮らすか
近くに引っ越してくるかのどちらかになりそう。

ムスコのことを第一に考えて決断しようと思います。
1時間くらい経って
主人と先輩が戻ってきました。

またすごく、ホッとしました。

とりあえずすぐに着替えて
ムスコも厚着させました。


すっかり暗くなって、避難所の中も真っ暗で
なにがなんだかわかりません。
アルコールランプなどは全て床に落ちて壊れていました。

真っ暗な中、先輩親子と身を寄せて
5分おきに続く余震にビクビクしながら
「テレビの世界だと思ってたよね、今まで人事だったけど、これが現実なのよね。。。」
と話していました。


避難所には、親と離ればなれになったたくさんの小学生、お年寄り、妊婦さん、赤ちゃん連れのお母さんなど
本当にたくさんの人がいました。

みんな表情は暗いです。

でも小学生は、お泊まり会のような雰囲気で
とても楽しそうにしていました。
なんだかその雰囲気がありがたかったです。


ラジオから流れてくる情報に
大人たちは耳を傾けます。
そしてため息をつきます。


しばらくすると市役所の人が来て
無線で他の避難所や市役所の人たちとやりとりをしながら
私たちに指示をだしたり励ましてくださいました。


隣接する公民館から発電機を運び
暗い部屋に電気がついたときは
思わず拍手が起こりました。


私がいた避難所は津波がきているので救援物資を運ぶのは難しい、と無線から聞こえてきました。

ムスコには慌てて持ってきた赤ちゃんせんべいを、念のため朝の分も残しながらあげました。
あとは母乳を。
断乳してなくてよかった…と、心から思いました。。


一緒にいた先輩のお子さんは小学1年生。
おなかすいた
おうちに帰りたい
と、ずっと言ってました。
少しだけどその子にもせんべいをあげました。


食料と毛布が届いたのが夜11時頃。
食料はミニドーナツを1人1個だけ。
毛布は薄いペラペラの毛布をお年寄りと小さいお子さんにだけ。

いかに毎日普通の日常が贅沢だったかということが身にしみました。


私たちは教室からとってきたカーテンにくるまって寝ました。

体育館が浸水してしまったためマットなどはありませんでした。


私は結局朝まで一睡もできませんでした。
余震と、ラジオや無線から聞こえてくる
「○○は壊滅的。○○には遺体が200~300人。」
などという情報に恐くなり
全く眠れませんでした。


隣で眠るムスコの寝顔を見ると
つい涙ぐんでしまいました。