ヨクサルを探す半田舎のオヤジ日記

ヨクサルを探す半田舎のオヤジ日記

ヨクサルってのはスナフキンのお父さんなのですが、
きれいな木のある公園とかホッポラカシの河原に
ちいさいヨクサルが住んでるんじゃないかと思っています。

Amebaでブログを始めよう!

夜は寒い。

ストーブをつけないとやってけない。

徐々に夏が近づく

この夏が終わり秋になる頃には

世界経済は中国を軸にするようになっていることに

改めて気づいて、日本はさあどうしよう、と

世紀の仕切り直しをするだろう。

何しろ著作権というものがなくなることを望む。

良い曲であれば十分稼げるはずだ。

芸術家の知的財産というが、著作権について

考え直したほうが良い。

私たちのような貧乏人はいちいち著作権料は払えない。

不自由以外の何者でもない。

私はチャクラのバランスを整え、松果体に意識を向ける。

 

職場にはマジきちがいる。それらは無視無視。ほっとけ。

浄化とエーテルコードカット。

毎日、ガヤトリーマントラを意識して、サイコパスや

波動の無茶苦茶を感知したら、エンパスをシャットすること。

 

がんばろうがんばろう。

コロナ騒動について思うのは、これはヤイエル文明をより素直に人類が

受け取れるようになるための訓練であるということ。

 

BTCが今晩ドーンと上がることをのぞむ。

 

岩手には感染がない。これはこれで気持ちが悪い。

海岸線のどこかの街から岩手にもコロナが広がっていくだろう。そんな気がする。

今日までは感染の確認はない。だからといって対岸の火事を高みの見物かというと

そんなことはない。職場は製造業であるが、影響は明らかにある。

他人事ではない。

 

胆沢扇状地周辺は今年も大した危機感を持つこともなく、

それによって作られる歪んだ罪悪感に浸かりながら、

ますます町全体がアスペルガー化していくのだろう。

 

2020年はサバイバルモードの生活の年。

 

岩手には劇場がない。でかい公民館はたくさんある。

劇場は儲かるというんで、行政がインチキ会館をたくさん作ってしまった。

表現の実験の場としての空間=劇場はどこにもない。

考えるまでもなくこれはとてもへんちくりんなことだ。

国家としては全体主義へベクトルの方向が向いていないといけないのであろうが

それがそもそもおかしい。

朝夕に、子供たちが一塊になって、学校へ登校する。なんなんだ。

自由さを削がれ叩きのめされ全体主義へ向かっていく。それが教育だなんて

狂ってる。

戦後キャピタリズムの崩壊。ベーシックインカムの導入。

人類の科学依存はVRを追求するようになり、

人間の知恵を身につけたサイボーグが宇宙へ旅立っていくだろう。

その時に何がしか美しいものをインプットするがためにアートは必要なのだ。

中国で道路に設置された監視カメラで、感染の疑いのある人物を追跡し、

実際に感染者を複数特定したというニュースがあった。

そのような事柄は5Gやネットの発展を加速するだろう。

ますますVRへ向かうことになる。

 

サバイバルモードで生き延びること。

 

BTC半減期でどのような事象が現るか。

ほとんど毎朝といっても良いくらい、目が覚めてふっと時計を見ると、555である。

エンジェルナンバーを見る機会が増えてきた。

直感に従い、波動を整え、エキサイティングに熱中し、全力で行動する。

結果を期待しない。

ジャッジがいかに労力の無駄遣いであるか、日々の労働の中で感じ入る。

ここいらへんの方言は、人をコケにしたような物言いが通常ではあるが、

いちいち反応するのもアホらしくなってきた。ムシムシ。

ああ、美味しいコーヒーが飲みたい。パプアニューギニアのコーヒーが飲みたい。

滝行をする時に、冷たい滝に対抗するのではなく、リラックスしちゃう事。っていう話を

ネットでみた時に何がしか気づきがあった。多額の借金があるけど、

対抗精神を手放して、リラックスしちゃう事。大丈夫大丈夫。

ベトナム語を覚えたい。チェロを弾きたい。

わたしはいつの頃からか、幼少時からひねくれ者だった。

親はそうとう手を焼いていただろう。

今でもずっとわたしは捻くれ者の変人のままだし、興味があるのはマイノリティだし、

変わったものが大好きで、写真を撮るけど、愛着があるのは、

本当になんて事ない情景である。

背中がビリビリと痛いけれど、猫がフワフワだから、幸せ。