私たち体の中に如来さまがいらっしゃiいます! 如来ってどういうお方でしょうか。菩薩行を完成された仏です! ですから、私たちは如来さまのような仏になる素質をもっている、というわけです。 さあ~そこで、如来になる修行の道を皆さまと共に精進できたらと思い、西洲、修行の道をテーマに、お役に立てれば嬉しいです(^^)/この娑婆世界の仏(如来)はお釈迦様ですお釈迦様の前は、然燈仏、お釈迦様の次は弥勒仏です
示教利喜こそ大いなる喜びです
☆ 妙法蓮華経嘱累品 第二十二章からもう一度 その2
‘当に如来の余の深法の中に於いて示教利喜すべし’
法華経の教えをどうしても信用しない者には、他が説いた他のお経の教えでよいから方便として説き示せばよいというのである。 「如来の余の深法」 の中からその人に適する教えを説き示しなさいと言うのである。
◎ 示教利喜(じきょうりき).......... (教えの説きかた) ※人にものを教える順序
⦿ 示 ......... 教えの大体のことをさす。 仏教入門の講義でも、まったく仏教を知らない人に説くときも、仏教はどのようなものであるかの大体のまず簡単に示しておく必要がある。 仏の教えとはこういうものだという輪郭を示すことである。
⦿ 教 ........ だんだんと細かいことを教えていくことである。 だんだんと細部にわたって教えてゆくことが必要である。
⦿ 利 ........ ただ教わっただけでは、利益はわからない。 自分が教えを実行するとき、はじめて利益がわかってくるものである。
⦿ 喜 ........ だんだん教えを実行してゆくと、大いなる喜びが心の中から湧きおこってくるようになること。 ありがたいな、やってよかったなという気持ちになる。 物質的に報いられるわけでなくても、人間はひとつのことを実行してゆくと大きな喜びが涌きおこってくるのである。
ありがたいと感じてきたら「示教利喜」 の教えが守られたことになる。 どんな事をするでも、ありがたいと感じて行うことは、人間としていちばん大切なことである。 どんな小さいことでも、ありがたいと感じながら行うことが宗教心なのである。
仏典の中のどんな教えでもよいからまず学ぶことである。 そのうちにだんだんんと「法華経」 を学んでみようという気持ちがおこるものである。
示教利喜して教えを実行することに大いなる喜びを感じられるようになれば、それこそが教えを施してくれた仏に対する報恩なのである。
仏の恩に報いる最高の道は、示教利喜して「法華経」 の教えを弘めることなのである。 なにも仏に花や食事を供養することではない。 真の報恩行は教えを弘めることにほかならない。
追記、第二十二章嘱累品は短い章ですが、大変重要なメッセージがお釈迦様から説かれていたのです。
示教利喜して「法華経」 の教えを弘める! これこそが私たちの重要な使命です
さあ~今週も張り切って頑張りましょう~
法華経は釈尊の肉声の教え、経典です。 是非とも、
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