教えを乞(こ)う人を拒まず、誰でも仏になれるという考えを示したお釈迦様の弟子には、さまざまなタイプの者がいる。経典に残るそれらの弟子の姿を見るとき、お釈迦様の柔軟な教えや深い洞察力が浮かびあがってくることでしょう。有名な十大弟子とは別のお弟子さんたちをご紹介します。
毒矢のたとえ
◎マールンクヤ(摩楼伽子){まるかし}
マールンクヤは、眉間に皺(しわ)を寄せ、深刻な表情で考えていた。だが、どうしてもわからないのだ。思いあまって釈迦に質問した。
「世尊よ、どうかお答えください。世界は未来永劫にわたって存在しているのでしょうか、それとも限りがあるのでしょうか」
「マールンクヤよ。お前は、そういう疑問に対する答えを求めて私の弟子になったのではないはずです。お前があくまでもその答えを求め続けるなら、きっと答えを得るより先に命が尽きてしまうでしょう」
そしてこんな話をした。 「ある男が、毒矢で射られ、苦しんでいた。そこに医者が来て、矢を抜こうとすると、その男は叫んだ。“待ってくれ。この矢を射た弓はどんな弓で、その弦は何でできているのか。私はそれが知りたい。それがわかるまで、矢を抜かないで欲しい¨。だがこんな事を言っている間に、毒が回って男は死んでしまうであろう。マールンクヤよ、魂があるとか無いとか、あの世があるとか無いとか、そんな事に思い煩わず、お前は今、生きている上で最も大事な《苦しみ》を解決する方法だけを考えよ。・・たとえば、憎しみの心で一杯になった時、又悲しみに打ちのめされた時、どうすれば自分の心を安らかに元に戻せるかを考えよ。又争いをなくす為にはどうすれば良いか、苦しむ人々をどうすれば助ける事ができるかを考えよ。・・その方法が見つかった時、おのずと《毒矢》はぬける!悟りが開くのだ。
その時、お前の悩みはすべて解決するであろう。」
こう諭(さと)して、釈迦はマールンクヤの質問には答えなかった。マールンクヤは悩みを捨て、喜んで釈迦の教えを受け入れたという。
このように、釈迦は無意味と思われる形而上(けいじじょう)学的な議論には答えなかった。釈迦が解答を拒否した問題は「無記」(むき)あるいは「捨置記」(しゃちき)といわれ、全部で14の質問に答えなかったという。
誰でも一度は、マールンクヤはのように答えのわからない、果てしない疑問の虜(とりこ)になった思い出があるだろう。マールンクヤの質問には、どこか青春の甘酸(あまず)っぱい香りが漂っているようだ。
(釈迦の本、学研参照)
追記、今の苦しみを解決する方法だけを考えよ!! 流石はお釈迦様です
各自の苦しみは十人十色です(^^; 現在コロナウイルスの広がりで、日本国中、気が気ではないと思いますが、やはり何といっても、健康が一番ですね それといい波動の音楽、リラックスできる空間作りをお勧めします
法華経は釈尊の肉声の教え、経典です。 是非とも、
釈尊のご慈悲を体験してみてください(西洲)
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