法華経の教えから 第二十五章 観世音菩薩普門品 その2(一心称名とは) | 釈尊と共に生きる、西洲のブログです!

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法華経は釈尊の肉声の教えの経典です。あらゆる経典の中で、法華経は、別の名を
「最上王経」とも呼ばれ諸経の王でもあります。女人成仏をはじめどんな衆生も
生きるもの全てを救おうとする仏陀の方便の力は、法華経のすばらしさです。

自分自身の内面を変えていくことが信仰である。



◎一心称名(いっしんしょうみょう)

一心に御名(みな)を称えることは、観世音菩薩と一体となることである。御名を称えることによって観世音菩薩がその相(すがた)を現してくれる。口で声を出して称えることが大切なのである。「南無釈迦牟尼仏」 とか「南無観世音菩薩」 と称名することによって、観世音菩薩が自分の心の中にあらわれてくる。それによって自分の悩んでいた心が明るくなる。そのために一心に称名する必要がある。

観世音菩薩の御名を称えるならば、あらゆる災難から逃れることができる。経文では、火難、水難、風難、剣難、悪鬼難、枷鎖難、怨賊難の七難をといてゆく。災難にあったとき、平然となれる心の修養をすることはむずかしい。しかし、「南無観世音菩薩」 と称えることは、われわれ凡人でも可能である。一心に観世音菩薩の御名を称えていれば、自然に心が落ち着いてくる。突然の災難に際しても身を処する方法を見つけ出すことができる。心の持ち方が明るい方に向かうことができる。

自分自身の内面を変えていくことが信仰である観世音菩薩の御名を称えることは自分自身の心を慈悲の心に変えてゆくことである。

自分の心持ちさえしっかりした不動の境地にあれば、どんなに縛られていても自由であることができることを言っている。正しい信心がありさえすれば精神は自由であり得るのである。

 無畏(むい)を持って衆生に施(ほどこ)す

災難にあったとき、一人の人が真っ青になってふるえると全部の人がおびえる。一人の人が泰然自若としているとき、皆が安心する。 ¨無畏を持って衆生に施す¨ とはこのことである。

◎三毒を捨てよ。

性欲(淫欲) 瞋恚(しんに) 愚痴 ................... 三毒。

性欲の強い者は、観世音菩薩のことを思いなさい、というのである。観世音菩薩を敬う気持ちをおこすならば、その淫欲をしだいに除くことができる。欲望をなくすのではなく欲望を変えてゆくのである。性欲をたち切ることはできないが転換させることは可能なのである。瞋恚(しんに)とは、怒りのことである。世の中には気が短く、ちょっとした事にも腹をたてすぐに怒りを発して人を罵(ののし)ったり、打ったりする人がいる。このように瞋恚が多い人でも、常に観世音菩薩を念じていれば瞋恚を離れることができる愚痴とは、この人生も自分のまわりの環境も無常であることを知れば愚痴をいうことはなくなるものである。愚痴は変化する人生を変化しないものと考えるから起こる迷いにすぎない。人間はどんなに愚痴をいったところで自分自身も自分をとりまく環境も変わるものではない。愚痴をいう暇があるなら一瞬でもよいから観世音菩薩のことを念ぜよ、というのが経文の教えである。

次回につづく。

 

※ 西洲の菩薩行からもう一度

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追記、お経は自分を映し出す鏡です! 自分自身の内面を変えていくことが信仰ですので、自分が変われば相手も周りも変わります。観音経で慈悲の心を養いましょうキラキラ

 

 

 

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