永遠の生命を通じて私たちに呼びかけを続けるお釈迦様 ..............久遠の仏陀釈尊 ............. の声、それが「法華経」 です。現代においてもこの経典の影響の大きさには計り知れないものがあります。 妙法蓮華経の第二十二章の嘱累品(ぞくるいほん)をご説明します(^^)/
◎得難(えがた)き教え(その1)
「如来神力品」 の教えをお説きになった世尊は、法座からお立ちあがになり、おごそかなお姿で、右の手でたくさんの菩薩の頭をお撫(な)でになって、次のように言われた。「私は無量百千万億阿僧祇劫(むりょうひゃくせんまんのくあそうぎごう)」 という長い間にわたって、普通では到底得られない最高の悟りを得ることができました。今それをお前さんたちに授けたい。お前さんたちはどうか一心にこの教えを弘めて衆生の幸福を増進させて下さい」 と。
これが「嘱累品」(ぞくるいほん)第二十二の書きだしである。「如来神力品」 は上行菩薩(じょうぎょうぼさつ)などの偉い菩薩に対して教えを説いたのに対して、「嘱累品」 の方は普通の人々に対して教えを説いたといわれ、仏はどんな人にもわけへだてることなく教えを説いているのである。
嘱累とはどういう意味か。「嘱」 とは委託すること任せること。頼むことである。「累」 はわずらいをかける。面倒をかけることである。「嘱累」 とは面倒をかけるが教えを弘めてくれという意味である。さらにいえば、どんな迫害を受けても苦しみにあっても、この「法華経」 の教えを弘めてくれということになる。ところで、ここで言われた仏の言葉には簡単に見過ごすことができないものがある。それは自分自身のことを言われたことで、
※我、無量百千万億阿僧祇劫において、この得難き阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)の法を修習せり。
ということである。自分は長い年月の間に修行を積んで、やっとこの阿耨多羅三藐三菩提という最高の智慧が得られたといっていることである。しかも長い間修行して得られた最高の悟りを菩薩たちにあげて委(まか)せるから、これを弘めてくれということである。
最高の悟りは簡単に得られるものではない。釈迦が悟りを開くのにも長い苦行があって、それをふみこえて真理を悟ったのであるから、最高の悟りは簡単にえられるものではない。
次回につづく。
追記、個人のレベルでの小さな悟りはありますが、最高の悟りは計り知れませんね(@_@) 法華経を学ぶことで一歩一歩、近づくことは確かです
さて、妙法蓮華経(法華経)って、何なの!?
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https://ameblo.jp/joverexr22/entry-12351467343.html?frm=theme
法華経は釈尊の肉声の教え、経典です。 是非とも、
釈尊のご慈悲を体験してみてください(西洲)
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