法華経の教えから 第十九章 法師功徳品 その2(無所畏の心とは) | 釈尊と共に生きる、西洲のブログです!

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法華経は釈尊の肉声の教えの経典です。あらゆる経典の中で、法華経は、別の名を
「最上王経」とも呼ばれ諸経の王でもあります。女人成仏をはじめどんな衆生も
生きるもの全てを救おうとする仏陀の方便の力は、法華経のすばらしさです。

「法華経」を学ぶと、徐々に神通力が身についてくる



◎無所畏(むしょい)の心とは

「法華経」 でいう法師とは、「法華経」 を受持(じゅじ)し、読み、誦(じゅ)し、解説(げせつ)(説法)し、書写する人をいい、受持、読、誦、解設、書写の五つを実践する人であるから五種法師といわれている。

第一の受持(じゅじ)とは、「法華経」 の信仰をずっと持ちつづけてゆくことである。一回や二回だけ、「法華経」 の教えはよいな、と思うだけでは後は捨てて顧みることがないのは受持とはいわない。心の中にしっかりと信仰を持ちつづけてゆくのが受持である。どんなことがあっても、よい教えであると思ったならば、「法華経」 の教えをしっかり持ちつづけてゆかなければならないのである。

第二の読むというのは、経文をまず読むことが大切である。読んだら第三の(じゅ)に進む。暗誦(あんじゅ)することである。経文を暗誦することによって教えが身についてゆく。ここまでは自分の信仰を深め、教えを深く知るためのいわば自利行(じりぎょう)である。

第四の解説(げせつ)とは、説法である。教えがほんとうに理解できると、心の中から深い喜びが湧きたってくる。そのためどうしてもまだ教えを知らない人にも教えを説きたくなる。それは教えを説かずにはおれない気持ちなのである。

さらに第五の書写になると、「法華経」 の経文を写経したり、または教えを文章に書いて弘めることである。解説(げせつ)や書写は利他行(りたぎょう)になる。五種のなかの最初の三つは自分のため、後の二つは人のためにやることになる。

この五種の法師の実践を正しく行ってゆくと、この人は眼や耳や鼻や身や意(こころ)にさまざまな功徳がそなわることになる。この無限の功徳によって(げん)、(に)、(び)、(ぜつ)、(しん)、(い)の六根(ろっこん)を清めることができるようになる。六根を清めるというのは、心が清らかとなるため、六根のはたらきが自由自在にできるようになることである。経文はまず六根清浄(ろっこんしょうじょう)ということを説き、つづいて眼、耳、鼻、舌、身、意のそれぞれの功徳について語ってゆく。

まず最初は眼の功徳である。われわれが「父母所生(ぶもしょしょう)の清浄の肉眼(にくげん)」 をもって見れば、どんなものでも見ることができると説く。別に千里眼や透視能力をそなえる必要がない。父母からもらったこの自分の目で見よということである。その目が澄んでおり清らかであれば三千世界の中にどんな山河も海も下は無間地獄(むけんじごく)から上は有頂天(うちょうてん)の天上界までのどんなものでも見ることができるというその中に生きている衆生の業(ごう)も因果も果報もすべて見通すことができる。心に曇りがあれば眼も曇る。心に一点の私心がなければ、眼も澄んでくる。昔から眼は心の窓といわれるように、人間は眼を見ればその程度がわかるものである。眼光炯々(がんこうけいけい)としてしかも澄みわたっている眼は偉人の眼である。

清浄(しょうじょう)の肉眼はありとあらゆるものが見えるというが、この肉眼は心眼でなければならない。二宮尊徳(にのみやそんとく)は、肉眼で見えるものには限りがあるが、心眼を開いて見れば無限のものが見えてくると言っている。この場合、心眼で見るは、「見」 という字ではなく「」(かん)という字を用いなければならない。その眼は明鏡(めいきょう)のようであるため、どんなものでも映すことができる。経文は眼の功徳についてふたたび偈文(げもん)で説くが、そのなかで、

若(も)し大衆の中に於(お)いて、無所畏(むしょい)の心を以(も)って、是(こ)の法華経を説(と)かん、汝(なんじ)其(そ)の功徳を聴(き)け。

と述べている。「法華経」 を説くには、「無所畏(むしょい)の心」 が大切であるという。無所畏の心とは、どんな相手に対して少しも心がひるむことなくどんな人にも同じように教えを説くことである。金持ちに対しても、権力者に対しても、貧乏人に対しても、同じように教えを説くことはむずかしい。自分に私心があり、やましい気持ちがあったならば、「無所畏の心」 はもてなくなる。

「無所畏の心」 とは、怖がらないという意味ではなく、どこまでも相手を敬うことによって、どんな人に対しても同じように教えを説くこのできる人のことである。しかも自分の信ずるままに真っすぐ教えを説くことができる人のことである。

次回につづく。

 

追記、無所畏の心、どこまでも相手を敬う。かなりハードルが高くなってきましたが、これも修行ですアセアセ

 

 

 

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