法華経の教えから 第十一章 見宝塔品 その1(塔宝の涌出) | 釈尊と共に生きる、西洲のブログです!

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法華経は釈尊の肉声の教えの経典です。あらゆる経典の中で、法華経は、別の名を
「最上王経」とも呼ばれ諸経の王でもあります。女人成仏をはじめどんな衆生も
生きるもの全てを救おうとする仏陀の方便の力は、法華経のすばらしさです。

永遠の生命を通じて私たちに呼びかけを続けるお釈迦様 ..............久遠の仏陀釈尊 ............. の声、それが「法華経」 です。現代においてもこの経典の影響の大きさには計り知れないものがあります。 妙法蓮華経の第十一章の見宝塔品けんぽうとうぼん)をご説明します(^^)/

 

 

‘この宝塔の中には、如来の全身、有(いま)すなり。乃住(いにしえ)の過去に、東方の無量千万億の阿僧祇の世界に国あり、法浄(ほうじょう)と名づく。彼(か)の中に仏有(いま)し、号(な)を多宝(たほう)と曰(い)う。その仏は、菩薩の道を行ぜし時、大誓願を作(おこ)したまえり「若(も)しわれ、仏と成りて、滅度せし後に、十方の国土において、法華経を説く処(ところ)あらば、わが塔廟(とうみょう)はこの経を聴かんがための故に、その前に涌現(ゆげん)して、ために証明を作(な)して、讃(ほ)めて、善いかな、と言わん」と。 

 

釈尊の説いた教え(法華経)は絶対の教えであることを証明するために

多宝如来が現れた。多宝如来は永遠の真理そのものを示し、

釈迦牟尼仏はその真理を説く人である。

 

 

絶対の真理としての教え

今までの「法華経」 の説き方と、この見宝塔品の説きかたはずいぶん異なっている
それはこの「見宝塔品」 では宝塔が空中にとどまって教えが説かれるからである。


本当の仏の教えが時間空間を超越した絶対の教えであることを示すために、不思議な事実を説くのである。釈尊が説いた教えは絶対の教えであることを多宝如来が証明する

 

多宝如来が半座(はんざ)を分けて「釈迦牟尼仏此の座に就きたもうべし」 と言ったのは、多宝如来が釈尊の説かれた教えが「真理」 であることを証明したからである。

多宝如来は永遠の真理そのものを示し、釈迦牟尼仏はその真理を説く人である


その二人が塔の中で並んで座ったということは意味が深く、この二人が平等であることをあらわしているからである。

教えを説く仏とその真理性を証明する仏の二人が並んで、お前たちは末世(まつせ)においてこの「法華経」 の教えを弘めよ、と言ったのである。

「法師品」 の第十章の説法を聞いて人々の心の中には、この法華経の教えを世の中に弘めようと決心したとき、目の前に高さも幅も無限の長さを持った七宝づくりの塔が忽然として地中から涌出(ゆじゅつ)して空中にとどまった


その塔はたくさんの宝石や花で飾られ芳香を放っていた。そして、塔の周りでは、天、竜、夜叉、などありとあらゆるいきものが集まってこの塔を供養し、尊敬し、褒めたたえた。

塔が地から湧出したのには大きな意味がある。地面というのは脚に地がついたところであり、「脚下」 であり、この現実である。このような現実の中からこそ真の理想が生まれるのであり、現実を離れた真理は単なる抽象物に過ぎない

脚下照顧」(きゃっかしょうこ)して着実に一歩一歩現実を踏みしめて進むとき、真の理想が生まれてくるのであり、その理想こそ仏の教えなのである。


宝塔が地面から涌出したという意味は大きい。

 

次回につづく。

 

 

追記、いよいよ多宝如来のご登場です。 法華経もこれで、疑いの余地なく絶対の経典になりますね!(^^)!

 

 

 

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