釈尊と共に生きる、西洲のブログです!

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法華経は釈尊の肉声の教えの経典です。あらゆる経典の中で、法華経は、別の名を
「最上王経」とも呼ばれ諸経の王でもあります。女人成仏をはじめどんな衆生も
生きるもの全てを救おうとする仏陀の方便の力は、法華経のすばらしさです。

洋の東西の偉人、賢人たちの「名言」をご紹介します。人の一生には悩みがつきものです。私たちはしくじり、恥をかき、苦悩する。心を惑わせ、傷つけるのが人の言葉なら、励ましを与え、明日を生きる理由を与えるのもまた、人の言葉なのである。

 

 

◎ 社会、世間の見方が変わる

 

 

子供の感性は純粋無垢で素晴らしいですキラキラ

 

 

 

教育で植えつけられた偏見をもとにして、

 

ありきたりの筋道に合った話をする

 

大人の議論よりも、

 

子供たちの予期しない質問から

 

教えられるところが多いと思われます。

 

 

ジョン.ロック

(イギリスの哲学者)

 

 

 

◎  麻姑(まこ)を倩(やと)いて痒(かゆ)きを掻(か)く

 

 

現代は「孫の手」に.....。

 

 

元々杜甫(とほ)の漢詩による言葉。「麻姑.まこ」に掻(か)いてもらうくらい気持ちのいいこと、という意味である。麻姑とは中国の伝説上の仙女であり、鳥のように爪が長く「麻姑の手で痒いところを搔いてもらえばさぞや気持ちがいいだろう」という杜甫のたとえ話である上差し

 

これが転じて、物事が思いのままになる様子や、あるいは気配りができていて世話が行き届いているさまを表すのに使われる言葉となった。

 

さらには、「麻姑の手」というのを「孫の手」に転じ、おなじみの背中を掻く道具の名ともなっているOK

 

(中国の故事成語)

 

追記、教育で植えつけられる前の子供の感性は素晴らしいですねビックリマーク 成長と共にメンコクなくなるのは確かです笑い泣き 孫の手に今は変わっているのですね上差し意味もあったとは、なるほどでしたグッド!

 

 

法華経は釈尊の肉声の教え、経典です。 是非とも、

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現実生活のなかで苦悩する人にとって、法華経がどれほど役に立つ教えであるかを実践的に解き明かしている経典です。あらためて法華経のもつ偉大な力を認識していただき、共に学んでいければ嬉しいです宝石赤

 

 

闘諍堅固時(とうじょうけんごのとき)

今の世の中の様子ですあせる

 

 

こうして2000年が過ぎ、釈尊の予言した「末法の時代」が現実にやってきた。この時代は西暦1500年くらいからはじまる汗

 

日本では1500年代といえば、まず思い出されるのは、それがちょうど戦国時代に当たるということだろう。まさに末法の時代の到来を告げるように世の中は麻のように乱れていたメラメラ

 

そして、織田信長にいたっては、比叡山の焼き打ちし、仏教に対して遠慮なく迫害をくわえているほどだガーン

 

それなら、江戸時代はどうか。仏教への迫害などなかったではないか。と反論されるかもしれない。たしかに江戸幕府は寺院を保護した。しかしこれは形式的なものであって、仏教の新しい教義の樹立は禁止されていたビックリマーク

 

結局これは仏教を封じ込める政策にほかならない。そのため、仏教は発展がストップさせられ、形骸化の一途をたどってしまったのだダウン

 

また、重要なのは、この時期に商業の発展とともに合理主義が台頭(たいとう)してきたことである。そのために民間での信仰心はどんどんうすくなり、仏教は骨抜きにされていったのだったドクロ

 

そして、明治になって、西洋から近代合理主義が流入すると、ますます仏教は次代の遺物と化してしまう笑い泣き

 

さらに第二次大戦後、すっかりアメリカナイズされ、近代合理主義にどっぷりとひたってしまった日本では、大半の人が仏教の真理などもはや思い出しもしない状況になってしまったショボーン

 

末法の時代を闘諍堅固時(とうじょうけんごのとき) と呼ぶ。これは、形式的な宗教さえほとんど無視され、人びとはまったく利己的になって激しく衝突しあう時代であるということである。今、まさにそのとおりの状態になっている。

 

人生に救い”法華経の奇跡” 信じられない何かか起きる(謝世輝著)参照から

 

 

追記、まさに今の世の中は闘諍堅固時(とうじょうけんごのとき)  ですね❕ 悲しいですが、一人でも目覚めて欲しいですお願い  情報が多すぎて、何が正しいかの判断も難しいですが、時がきたときは、必ず気づくと信じていますので私も頑張って行きますOK 

 

 

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仏の智慧(ちえ)は海のごとく広大にして、仏の心は大慈悲なり。仏は姿なくして妙(たえ)なる姿を示し、身をもって教えを説かれました。人に生まるるは難く、いまある生命は有難く、世に仏あるは難く、仏の教えを聞くは有難い❕ 共に学んで行きましょうひらめき電球

 

 

さとりを得る三つの修行とは上差し

 

 

一、さとりを求める者が学ばなければならない三つのことがある。それは戒律心の統一(定.じょう)と智慧三学であるビックリマーク

 

戒とは何であるか❓ 人として、また道を修める者として守らなければならない戒を保ち心身を統制し五つの感覚器官の入り口を守って小さな罪にも恐れを見善い行いをして励み努めることであるあし

 

心の統一とは何であるか❓ 欲を離れ不善を離れて次第に心の安定に入ることである上差し

 

智慧とは何であるか❓ 四つの真理を知ることである。それは、これが苦しみであるこれが苦しみの原因であるこれが苦しみの消滅であるこれが苦しみに至る道であると明らかにさとることであるひらめき電球

 

この三学を学ぶものが、仏の弟子といわれるお祝い

 

農夫が秋に収穫を得るために、まず春のうちに田を耕し、種をまき、水をかけ、草を取って育てるように、さとりを求める者は、必ずこの三学を学ばなければならないチョキ

 

農夫が、まいた種が今日のうちに芽を出し、明日中に穂が出て、明後日には刈り入れができるようにと願ってもそれはできないことであるように、さとりを求める者も、今日のうちに煩悩を離れ、明日中に執着をなくし、明後日にさとりを得るというような不思議は得られるものでないあせる

 

種はまかれてから、農夫の辛苦と、季節の変化を受けて芽が生じ、ようやく最後に実を結ぶ。さとりを得るものもそのように、戒と心の統一と智慧の三学を修めているうちに次第に煩悩が滅び、執着が離れ、ようやくさとりの時が来るのである叫び

 

仏教経典参照

 

追記、農夫が秋に収穫を得るために、まず春から作業がスタートしなくてはならないように、さとりを求める者も同じように、必ず今回の三学を学ばなければならないという今回の教えでしたお願い 自覚して自分と真剣に向き合い、修行をしていかなくては、さとりを得ることはできませんね走る人

 

 

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