さぁ、いよいよ始まるこのMAX Final4特集。
早すぎるんじゃないかって?
前回の特集が終わらなかった私にも学習能力というものがあるので、早めに書くことに決めたのですよ。
"最後の後継者"山本優弥(日本)
身長:175cm
体重:70kg
国籍:日本
戦績:11戦6勝5敗1KO 勝率:54.5% KO率:16.6%
所属:青春塾
主な実績:K-1WORLDMAX2009日本代表決定トーナメント準優勝
ニックネーム:叫ぶ大和魂
<最後の日本人>
2009年、K-1WORLDMAXは、1つの時代の「終焉」を迎えようとしています。
-"カリスマ"魔裟斗の引退-
このことは多くのファンの心に衝撃を与えると同時に1つの疑問を生じさせました。
「その後はどうするんだ?」
MAXが始まってからこの8年、常に魔裟斗が引っ張ってきたこのリング。
その強すぎる「光」は他のファイターの存在をかき消すほど輝いていました。
自分の存在が、ファンに「意識」されないことほど格闘家にとって屈辱的なことはありません。
自分がどれほどの努力を重ねても、自分がどれほどの実績を残しても、自分がどれほどのKOを魅せたとしても、"魔裟斗"という存在の前では「無」と化すのですから。
現に、そんな現状を変えようと、何人もの"侍"が"銀狼"に向かっていきました。
小比類巻貴之、須藤元気、武田幸三、山本"KID"徳郁、佐藤嘉洋、川尻達也...誰もが格闘技界に通じる人なら知らない人がいないほどのビックネームばかり。
そんな彼らを魔裟斗は全て下しているのです。
言葉だけでなく、成績でも実力差を付けているこの男。
03年に世界王者になってから、「誰が首を獲るのか?」
そんなことばかり言われてきました。
それから5年が経過した08年、魔裟斗は再び王座につきました。
そして、その5年間で日本人は誰も勝っていないのです。
ふがいない、自分達。K-1は知らなくても魔裟斗は知っているという現状を作り出してしまった自分達。そして、「口」では倒せるが、「拳」では倒せない自分達。
そんな自分達と決別するために、彼らはハードなトレーニングを積んで、この2009年を迎えました。
しかし2月になり、その「魔裟斗」からの爆弾が彼らに投下されました。
-自分は今年で引退します。大晦日に1番強い男とやって引退したいと思います。-
これを見た日本人ファイター達。
「ふざけるな。」「俺しかやれる奴はいないでしょ。」「最後は僕がやりたいですね。」
この発言にほぼ全員が反応しました。
誰もが「俺がやるしかない」という思いで、頂点を目指しました。
そして迎えた2月23日、K-1WORLDMAX2009 日本代表決定トーナメント
リングに立ち続けていたのは、"魔裟斗を唯一倒した男"小比類巻太信でした。
そして、その小比類巻に決勝で負けた相手。
その男が今年の世界トーナメントの主役になることなど、この時には誰も予想していませんでした。
それから約2か月後、"その男"に1つのニュースが飛び込みました。
-小比類巻欠場-
あっという間に事が進み、気がつけば、その男は3等分された日の丸のうち、1つを背負うことになっていました。
山本優弥。
2006年の日本代表決定トーナメントで肩を脱臼し、泣き叫んだ男。
2008年には"外敵"アンディ・オロゴンを止める1番手であったのに、ダウンを奪われ、「自分はダメな奴」と言った男。
そして2009年のトーナメントでファンの心を掴み、あと1歩のところで"世界"を逃した男
そんな男が2009年、Final16の舞台に足を進めました。
-勝てば人生が変わる-
それを合言葉に、彼はイム・チビン戦を迎えました。
過去、このFinal 16で全日本人が超えられている"壁"。
「華麗な戦いなど自分にはできない。泥臭くても、かっこ悪くてもいい。勝つんだ」
この思いが、山本を次の舞台に進めることを許しました。
「判定3-0 山本」
この結果をファンの声援のおかげだと言い切る男。
そんな彼に、いつしかファンも惹きつけられるようになりました。
次の日の一夜明け会見。
その場にいた日本人は、彼1人でした。
"アニオタの星"は"ハリケーン"にのみこまれました。
"無限スナイパー"はあるはずのない自分の"限界"に屈しました。
真に日の丸を背負うことになった彼の次の敵は、"悲劇の難民ファイター"ドラゴでした。
共に自分の国を背負うもの。
負けるわけにはいきませんでした。
失うものは何もない両者。
互いに意地になって殴りあいました。
そして、試合終了。
3Rまで戦い抜いた両者に対して、観客からは大きな拍手が送られました。
今度は、ファンの思いが山本を最後の舞台に進めることを許しました。
「判定3-0 山本」
勝ち名乗りを受けた山本は大きくお辞儀をしました。
言葉だけではない。
態度でファンに感謝を示してこそ、プロであることを山本は私達に示してくれました。
しかし、喜びもつかの間、そんな山本の試合を見た"彼"は着々と山本のカルテを集め始めました。
そう、次の相手はドラゴと同じアルメニア移民である"怪物"Drジョルジオ・ペトロシアン。
その戦績、何と60戦して、敗北はたったの1つ。
研究され尽くされた対戦相手は麻酔をかけられ、ただ彼の前に何も抵抗なしにオペを完了されてしまいます。
しかし、我らが"山本優弥"には1つだけ研究できないことがあります。
それは、彼の"成長率"です。
どんな公式や定義を用いても、解明できないこの問題。
ペトロシアンがそれをどこまで予測できるのか?
それを見誤ると彼の人生にとって、最も大きな"手術失敗"と成り得るでしょう。
-山本の"ハート"か、ペトロシアンの"データ"か-
これから長い人間のスポーツ史で、解明されなかった問題が2人の男たちによって解明されようとしています。
その決着をつけた後には、いよいよ"頂点"に向かおうとしています。
"神童"山本優弥はその頂上に"神の強さ"を求めるのでしょうか?
いえ、違います。
そこから見える未だ"倭人"が近づくことさえ、許されなかった銀色の威光に包まれし、"ウルフ"の縄張り。
逃さまい。
逃がさせない。
ラストサムライ、ラストチャンス
シルバーウルフ、ラストマッチ
12月31日、大晦日Dynamite メインイベント。
その舞台に立っているのは、日本人:外国人=2:0となるのか。
全ての答えはこの日、この場所、-10月26日 横浜アリーナ-。
山本優弥、勝利の涙で頬を濡らし、再び泣き叫べ。
早すぎるんじゃないかって?
前回の特集が終わらなかった私にも学習能力というものがあるので、早めに書くことに決めたのですよ。
"最後の後継者"山本優弥(日本)
身長:175cm
体重:70kg
国籍:日本
戦績:11戦6勝5敗1KO 勝率:54.5% KO率:16.6%
所属:青春塾
主な実績:K-1WORLDMAX2009日本代表決定トーナメント準優勝
ニックネーム:叫ぶ大和魂
<最後の日本人>
2009年、K-1WORLDMAXは、1つの時代の「終焉」を迎えようとしています。
-"カリスマ"魔裟斗の引退-
このことは多くのファンの心に衝撃を与えると同時に1つの疑問を生じさせました。
「その後はどうするんだ?」
MAXが始まってからこの8年、常に魔裟斗が引っ張ってきたこのリング。
その強すぎる「光」は他のファイターの存在をかき消すほど輝いていました。
自分の存在が、ファンに「意識」されないことほど格闘家にとって屈辱的なことはありません。
自分がどれほどの努力を重ねても、自分がどれほどの実績を残しても、自分がどれほどのKOを魅せたとしても、"魔裟斗"という存在の前では「無」と化すのですから。
現に、そんな現状を変えようと、何人もの"侍"が"銀狼"に向かっていきました。
小比類巻貴之、須藤元気、武田幸三、山本"KID"徳郁、佐藤嘉洋、川尻達也...誰もが格闘技界に通じる人なら知らない人がいないほどのビックネームばかり。
そんな彼らを魔裟斗は全て下しているのです。
言葉だけでなく、成績でも実力差を付けているこの男。
03年に世界王者になってから、「誰が首を獲るのか?」
そんなことばかり言われてきました。
それから5年が経過した08年、魔裟斗は再び王座につきました。
そして、その5年間で日本人は誰も勝っていないのです。
ふがいない、自分達。K-1は知らなくても魔裟斗は知っているという現状を作り出してしまった自分達。そして、「口」では倒せるが、「拳」では倒せない自分達。
そんな自分達と決別するために、彼らはハードなトレーニングを積んで、この2009年を迎えました。
しかし2月になり、その「魔裟斗」からの爆弾が彼らに投下されました。
-自分は今年で引退します。大晦日に1番強い男とやって引退したいと思います。-
これを見た日本人ファイター達。
「ふざけるな。」「俺しかやれる奴はいないでしょ。」「最後は僕がやりたいですね。」
この発言にほぼ全員が反応しました。
誰もが「俺がやるしかない」という思いで、頂点を目指しました。
そして迎えた2月23日、K-1WORLDMAX2009 日本代表決定トーナメント
リングに立ち続けていたのは、"魔裟斗を唯一倒した男"小比類巻太信でした。
そして、その小比類巻に決勝で負けた相手。
その男が今年の世界トーナメントの主役になることなど、この時には誰も予想していませんでした。
それから約2か月後、"その男"に1つのニュースが飛び込みました。
-小比類巻欠場-
あっという間に事が進み、気がつけば、その男は3等分された日の丸のうち、1つを背負うことになっていました。
山本優弥。
2006年の日本代表決定トーナメントで肩を脱臼し、泣き叫んだ男。
2008年には"外敵"アンディ・オロゴンを止める1番手であったのに、ダウンを奪われ、「自分はダメな奴」と言った男。
そして2009年のトーナメントでファンの心を掴み、あと1歩のところで"世界"を逃した男
そんな男が2009年、Final16の舞台に足を進めました。
-勝てば人生が変わる-
それを合言葉に、彼はイム・チビン戦を迎えました。
過去、このFinal 16で全日本人が超えられている"壁"。
「華麗な戦いなど自分にはできない。泥臭くても、かっこ悪くてもいい。勝つんだ」
この思いが、山本を次の舞台に進めることを許しました。
「判定3-0 山本」
この結果をファンの声援のおかげだと言い切る男。
そんな彼に、いつしかファンも惹きつけられるようになりました。
次の日の一夜明け会見。
その場にいた日本人は、彼1人でした。
"アニオタの星"は"ハリケーン"にのみこまれました。
"無限スナイパー"はあるはずのない自分の"限界"に屈しました。
真に日の丸を背負うことになった彼の次の敵は、"悲劇の難民ファイター"ドラゴでした。
共に自分の国を背負うもの。
負けるわけにはいきませんでした。
失うものは何もない両者。
互いに意地になって殴りあいました。
そして、試合終了。
3Rまで戦い抜いた両者に対して、観客からは大きな拍手が送られました。
今度は、ファンの思いが山本を最後の舞台に進めることを許しました。
「判定3-0 山本」
勝ち名乗りを受けた山本は大きくお辞儀をしました。
言葉だけではない。
態度でファンに感謝を示してこそ、プロであることを山本は私達に示してくれました。
しかし、喜びもつかの間、そんな山本の試合を見た"彼"は着々と山本のカルテを集め始めました。
そう、次の相手はドラゴと同じアルメニア移民である"怪物"Drジョルジオ・ペトロシアン。
その戦績、何と60戦して、敗北はたったの1つ。
研究され尽くされた対戦相手は麻酔をかけられ、ただ彼の前に何も抵抗なしにオペを完了されてしまいます。
しかし、我らが"山本優弥"には1つだけ研究できないことがあります。
それは、彼の"成長率"です。
どんな公式や定義を用いても、解明できないこの問題。
ペトロシアンがそれをどこまで予測できるのか?
それを見誤ると彼の人生にとって、最も大きな"手術失敗"と成り得るでしょう。
-山本の"ハート"か、ペトロシアンの"データ"か-
これから長い人間のスポーツ史で、解明されなかった問題が2人の男たちによって解明されようとしています。
その決着をつけた後には、いよいよ"頂点"に向かおうとしています。
"神童"山本優弥はその頂上に"神の強さ"を求めるのでしょうか?
いえ、違います。
そこから見える未だ"倭人"が近づくことさえ、許されなかった銀色の威光に包まれし、"ウルフ"の縄張り。
逃さまい。
逃がさせない。
ラストサムライ、ラストチャンス
シルバーウルフ、ラストマッチ
12月31日、大晦日Dynamite メインイベント。
その舞台に立っているのは、日本人:外国人=2:0となるのか。
全ての答えはこの日、この場所、-10月26日 横浜アリーナ-。
山本優弥、勝利の涙で頬を濡らし、再び泣き叫べ。