わたしたちが死んだら
神さまはわたしたちを生きかえらせたいとお望みになるでしょうか。
聖書には復活のことが何度か出てきます。
昔の 神さまの友であった
ヨブは
もしヨブが死んでも 神さまがヨブを復活させてくださると信じていて
それをはっきりとことばにしました。
ヨブ記 14:14,15
それをきいておられた神さまも
ヨブが神様について語ったことは正しい とおっしゃいました。
ヨブ記42:8。
イエス・キリストはお父さまである神さまからつかわされ
日常の生活で
神さまのご意志を行なうことを食事のように大切にされました。
ヨハネ4:34。
イエスは天におられた時
すでに
何人かの人が お父さまのご意志で 復活させてもらったのを
みてこられました。
列王上17:17-24。 列王下4:32-37。
そして
最初の人間夫婦に
神さまにそむかなければ 永遠に生きる機会を与えられたことも
その子孫が永遠に健康に生きられる機会があったことも
つまり
神さまがそう願っておられたことも
ごぞんじでした。
創世記1-2章。
イエスはお父さまと同じように人類を愛し人類に関心を払ってこられました。
箴言8:30,31。
ある 日本語では
ヤイロ
と
発音されている名前の人は
12歳の愛するひとり娘が
病気で死んでしまうことを悟り
イエス・キリストを探しました。
イエスなら
なんとかしてくださる!
と
信じていたのでしょう。
イエスがヤイロの家に向かう途中
一人の重い病気の女性が
イエスに近づき
その服に触って 病気が癒されました。
イエスはだれ触ったのか わかりませんでしたが
天のお父さまは その女性の純粋な信仰をご覧になり
彼女を癒され
ました。
そんなこともあって
ヤイロの家に着く前に
ヤイロの娘さんは 亡くなります。
でもイエスは
そのまま進んで行かれ
ヤイロの家に入ると
幼な子は
死んだのではない
眠っているのです
と
いわれます。
イエスは
天のお父さまが
亡くなった人々を
まるで
深い眠りから目覚めさせるのと同じように
よみがえらせる力を持たれることを
確信していました。
少女が生き返った時
皆が大きな喜びに溢れました。
マルコ5章
その後
イエスはさらに何人かの人を復活すさせることに携わり
ご自身も 復活させられ
天に戻られました。
天 とは 宇宙ではなく お父さまである神さまのおられるところです。
マルコ5章や ほかの 憐れみ深い 復活の記録から
天のお父さま と イエス・キリストは
わたしたち人間が
12年だけではなく
数十年だけでもなく
永遠に生きることを 願っておられることがわかります。
ヨハネ5:28-30。
ほかにもマルコ5章には
複数の邪悪な霊
神様に背いて 地上で活動する元・天使たちの軍団に
とりつかれていた人たちのお話も出てきます。
特にここで記録されているこのひとりの人は
この人をコントロールしている邪悪な霊のせいで
大変暴力的だったようです。
怪力で凶暴だったので
人々もどうすることもできず
本人はそれを知ってかしらずか いつも墓場に住んで暴れていました。
イエスはその男性から邪悪な霊を追い出してあげました。
正気になったその人は
自分に示された全能の神の力と哀れみの表明であるこの奇跡に
心から感動したことでしょう。
きっと 感謝の気持ちから
イエスとずっと一緒に行動することを願いましたが
イエスはその人に
お父さんのお名前を用いて
天のお父さんがその人にしてくれたことを故郷に帰ってふれ告げるように
と
告げました。
このとき イエスが お父さまの名前を どのように発音されたのかは
わかりません。
でも その時代 に ご自分の周りの人々が イエスが 誰のことを述べておられるのか
はっきりとわかる
全能の父なる神様のことだとはっきりわかる
みんなが知っている発音の呼び方をされたことでしょう。
少なくとも
マルコの記したこの記述では
あなたがお話のその方はどなたですか?
と尋ねている記録も
その名に関する 読者への特別な説明もありません。
イエスはふだん神さまのことを
天の父
といっておられますが
このマルコの記述では多くの昔の写本に
お父さんの名前が用いられています。
もう一つ
マルコ13:20でも
イエスはお父さんの名前を発音しておられます。
そのほかの多くの箇所でも イエスは
聖書の節を 引用する時にそうされていたと思われますが
会話で
ちょくせつごじぶんのことばで
そうされている記述は そんなにたくさんはないので
とても貴重な記録です。
ほかにも
ユダ9節でそうされています。
イエスのことばに 神さまのお名前が発音されているそれらどの節も
そこで 天の父 というのはおかしい感じです。
ふだんは
子どもが親の名前をストレートに発音しないのが自然なことに 調和して
天の父
わたしの父
と
呼んでおられますが
この三箇所では ちょくせつお名前をいわれるほうが
たしかに 自然です。
ある人は
イエスがお父さまの名前を用いる機会が少ないと感じるかもしれませんが
それは
逆に
神さまのお名前を正確に復元することをめざした
新世界訳聖書が 原本に
限りなく近いことをよくあらわしていると 思います。
🕊
