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(本文と写真は関係なし)

8台目のバイクはヤマハの95年型TRX850だった。水冷2気筒の4ストロークエンジン。5バルブ、クロスプレーン。有名ショップ製作のレーサー。書無。中古。前後ショックがWPの豪華仕様。

バイク屋に飾ってあり一目惚れ。若気の至りだったが、自分のレースに対する姿勢はこの1台に教わった。簡単に言えば「本気」でやること。本気で整備し、本気で走行すること。それまでの整備と走行のやり方では、ケガをしそうだった。

トラブル続出。最初はエンジン不動。バッテリーあがり。セルスイッチを押すと、どこからかカチカチ音がする。サーキットの駐車場に持って行って、弟に手伝ってもらって、押し掛け。以降、走行後はマイナス端子を外すようになる。

初走行は、筑波サーキット。850ccもあるのだから、恐る恐るコースに出るとスピード感無し。TZRの方が速い。壊れてる?マフラーとキャブセットの沼にハマった。解消した時は素晴らしい速さに。

レースは散々な目に。1レース目は、筑波サーキットのテイストオブフリーランスで。ハブベアリング破損。ハブが脱落して、スプロケのボルト頭で、スイングアーム内側がえぐれた。以降、走行の度に前後ホイールのベアリングをチェックするようになる。

2レース目は、スポーツランド菅生。前日の練習走行で、S字コーナーを右に切り替えしたら、一瞬で転倒。ステップ破損。以降、菅生は魔物がいるから走らず。予備ステップは常備するようになる。

3レース目は、筑波サーキット。手の疲労でクラッチが握れなくなり、やっと完走。XJR1200と大型バイク2台持ちになってしまい、バイクライフに陰りが出始めた。明らかに、やり過ぎた。最後の思い出作りだった。なぜか、サーキットも、町乗りも、出来なくなるだろうと、危機感を持っていた。

実際、2000年を境に8年、空白期間を過ごすことになった。きっかけは同時多発テロだった。遠い異国の出来事が、生活を一変させるとは。97年から現在まで所有。手放せずにいる。もう乗らないはず。譲れる人を待っている。そんな感じ。