皆さん、俺のブログを閲覧してくれてありがとうございやす!
これより、文学フリマ東京ついでの街歩きのルポ第三弾として、私の宿泊した新橋の街並みを撮影した写真をご紹介します。
新橋は、私が文学フリマ東京に参加する度に定宿としている街でもあります。
東京23区が日本の何処よりも大嫌いな私が、例外的に気に入っている街区が、この新橋なのです。
私は何時か、新橋をそぞろ歩いては街角を写真に撮りたい!...と思っていたのです。
しかしここ数年は天候に恵まれず、せっかく街歩きをしようにも雨に濡れるのがイヤで出歩かなかったり...でした。
そして自分は今回、永年の念願叶って晴れた天候の中、新橋の街並みを撮影できたのです。
日時は、2024/05/21(火)の早朝。
私が荷をまとめて、夜行バスに乗車する日でもありました。
前置きはここまでとして、恒例のWikipedia先生をカンニングして新橋の街についての予習と行きましょう↓!
「新橋」という地名は、かつてこの地に架かっていた汐留川の橋に由来します。
橋そのものは江戸時代以前にも架けられていたようですが、1710(宝永8)年に江戸城に「芝口御門」が設けられ、それに伴い地名も改められました。
しかし後にその門が焼失し、再建されることもなかった故に「新橋」という地名に戻されたとか。
特筆すべきは1872(明治5)年、この地に日本最初の鉄道が敷設されたこと。
明治政府は、社会実験的に新橋~横浜間に鉄道を敷設して、その後の運輸・流通を掴んでみましたが、この交通システムが将来日本に大変革をもたらすと判断され、以降日本は鉄道大国への道を歩み出したのです。
関東大震災やアジア・太平洋戦争で、新橋は何度も焦土となりながらも、その後の高度経済成長にはこの街区は東京を代表するオフィス街として復活し、現在に至っています。
Wikipedia先生からの予習はここまでとしまして、私の撮影した「早朝の新橋」の情景写真をご覧ください↓!
最初の写真は、私の宿泊したホテル・レンブラント(の出入口)。
私はここを、早朝の(確か)6:30~7:00前後に出て、短時間ですが街中をそぞろ歩きました。
小型ビークル。
配送用の車のようですが、有名メーカー製でしょうか?
それともベンチャー企業が制作を手掛けた車??
烏森神社。
特徴的な鳥居と社殿が、インパクトに残りますね。
新橋駅前の広場に来ました。
この地は、さすが「日本の鉄道発祥の地」らしく、蒸気機関車が静態保存されています。
私も新橋に来た当日(2024/05/17)には、真っ先にこの鉄道車両のボディをスマホで撮影しました。
ニュー新橋ビル。
大規模雑居ビルです。
竣工年は1971(昭和46)年。
戦後のヤミ市が発祥とされ、ヤミ市の店主たちが一種の「ギルド」を結成して相互扶助を始め、このビルを建設するに至ったのだとか。
「乙女と盲導犬の像」
詳細は左のパネルの文言を読まれるとお判りいただけますが、この像は地元のライオンズクラブによって建てられたものであり、新橋が特に「盲導犬に所縁のある地」というわけでもないらしいです。
通称「SL広場」。
早朝の時間帯なので、まだ人がほとんどいません。
朝の8:00頃には、この場所も芋を洗うが如し雑踏となるかと。
堀ビル。
新橋の街角に戦前から佇み続けるレトロビルです。
竣功は1932(昭和7)年。
登録有形文化財。
元々は、建築金具を販売する商店だったそうです。
周囲のビルが再開発で軒並み消えてゆく中、このビルはシェアオフィスとして再生し、見事生き残りに成功しました。
そして私が新橋に降り立つ毎に立ち寄るカフェが、こちらのDOUTORです。
お次の写真は、かなりえげつないモノを写しておりますので、覚悟を決められた上でご覧ください。
心臓のお弱い方は、ここで引き返されても構いません。
それでは...???
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【グロ注意】
新橋、油断しているとドブネズミの死骸を踏んづけそうになります。
こういう点も、糊塗しない「東京23区の本当の姿」とも言えますね。
うっかり写真を観てしまわれた貴方も、お気を取り直されて...。
高架を潜って、場所を移動しました。
こちらのビルは、静岡新聞東京支社の社屋。
実を言いますと、往年の特撮番組『プロレスの星・アステカイザー』に登場する悪の組織「ブラックミスト」の本拠地として、このビルの外観が使われていたのだそうです。
新橋駅前ビル。
竣功年は1966(昭和41)年。
往年の近未来SFを彷彿させる外観ですが、内部は入り組んでおり、様々な商店・食堂が犇めいています。
正にレトロフューチャー。
私もこのビルに入居されている文房具屋さんに、以前お世話になりました。
その新橋駅前ビルの前面に、新交通システム・ゆりかもめの乗り場があります。
新橋~豊洲間を結ぶ交通機関で、途中には夏冬のコミケの会場としても利用される東京ビッグサイトも所在しています。
高架下にあるレストラン。
一日中太陽の光も射さない場所に建っていますので、そういう食堂には馴染みのない田舎民の私にはかなりのカルチャーショックでした
Σ(゚Д゚)
また高架を潜って、再びSL広場側に。
こちらは昔ながらの商店のようですね。
バブル期に猛威を振るった「地上げ屋」の攻勢を撥ね退けて、よくぞ遺ったものです。
私が初めて東京に降り立った際に泊まったホテルが、こちらの「レインボーホテル」。
懐かしいですね。
来年も文学フリマ東京に参加することになれば、お次はこのホテルを再度利用しようかなぁ...???
生涯学習センター。
白亜の外壁も目映い、印象に残る建物ですね。
この建物も、住民の学習や育児のために役立っているのです。
...というわけで、出発地点に戻ってきました。
この後私は、朝食を摂って個室でゆっくりした後に、荷をまとめて10:00にチェックアウトしました。
さて、今回は念願叶って新橋の街歩きを果たしましたが、その「一言感想」が下になります↓
「新橋のド汚く五月蠅い街並みこそが、東京23区の『本当の姿』なのだ」
と。
23区には銀座・渋谷・秋葉原・月島・築地・墨田・神田・池袋...と、様々な街区があります。
それらの東京の街を外国人が眺めては、彼ら彼女らが"Great!""Wonderful!"と絶叫する...というのは、日本のテレビ番組でありがちな光景です。
しかし私に言わせるなら、そんなところに行っても「東京23区の本性」は見えてこない。
「駅アナウンスとパチンコ店の五月蠅いCM音声が一日中響き渡り、ドブネズミの死骸が転がっていて、毎朝のように散乱する生ゴミをカラスが啄み、そしてゲロと立ちションの饐えた悪臭が其処彼処から立ち上る、何処までも不潔で悪趣味な街」
そんな新橋こそが、ハイテクメガロポリスでもビジネスシティでもオタクの聖地でも江戸っ子の粋を伝えるのでもない、今現在の「東京23区の本当の姿」に他ならないのです。
次回のブログ更新は、テーマ:フードポルノにて今回の旅で味わったグルメのルポを行う予定です。
皆さん、楽しみに待っておくんなんし!
(罵詈雑言・個人攻撃・誹謗中傷大歓迎!)