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文学フリマ東京ついでの旅・第二弾は、東京都の西の端に位置する奥多摩町を散策した記事をお届けします。
訪問した日は2024/05/18(土)。
JR青梅線試乗と同じ日ですが、自分はアメブロ旅行記事には出歩いた日を必ず記載しますので。
天気も上々・陽光も穏やかで初夏の風も爽やかな、絶好の散策日和でした。
やはり日本(本州・四国・九州)においては、5月こそが一年間で最も外を出歩くのに適している時期なのでしょう。
それでは、Wikipedia先生をカンニングして、緑深い奥多摩町について予習しましょう↓!
奥多摩町は、実のところ東京都内の市区町村の中で最も面積の広い自治体だそうです。
大部分が山林で占められており、冬には雪が50㎝も積もることがザラだとか。
歴史としては、この町の前身・氷川町に1944(昭和19)年に国鉄青梅線が延伸。
終戦直後の1948(昭和23)年には「東京都民の水甕」とすべく、この町に小河内ダムを建設することが決定されます。
市町村合併を繰り返して、奥多摩町が発足したのは1955(昭和30)年。
そしてWikipedia先生によりますと、かつては日本〇産党が小河内ダム建設反対運動に便乗して、この町に「山村工作隊」を派遣していた...とか。
して見るとあの政党、結構「武闘派」も多いと申しますか何と申しますか...
(-ω-;)ウーン
ヘンな話になりましたが、気を取り直して...。
名所旧跡としましては、鳩ノ巣渓谷・日原鍾乳洞・百尋の滝など、自然豊かな観光資源が随所に点在しています。
私が今回観てきましたのは、名所旧跡ではなく駅周辺のほんの一部のみですが、ともあれ、写真をご覧ください↓!
先ずは、前回もご紹介しましたJR奥多摩駅の写真から。
私はこの場所から遠くても数百m程度を廻ったに過ぎませんが、それでも自然豊かで趣深い景観を満喫できました。
かつては、町随一の「デパート」だったと思われる建物。
今現在は、フードコートのみが営業してある模様です。
外観もデザインが行き届いておりますが、惜しむらくは入店して軽食を味わわなかった点。
建物の中身もしっかり目に焼き付けて、田舎のデパートの雰囲気を「体験」しておけばよかった...
_| ̄|○
信号のある交差点。
山深い田舎町とはいえ流石は「東京都内」と申しますか、信号は最新鋭のLED電球を用いていました。
交叉点の近辺に佇む八百屋さん。
なかなか古い建物ですね。
店舗のおばちゃんによりますと、具体的な築年は不明ながらも明治末期~大正初期に建てられたことは確かだそうです。
現在は八百屋として営業されていますが、建物自体の所有者は「行政機関」だとか。
神社の御神木。
一本の太い幹から、三本の幹が分かれています。
この「自然の御業」を目にして、古の奥多摩の人々は「神の御業」を感じ取られたのでしょう。
神社。
「人類の土木遺産」も、なかなかのものです。
ここにコンクリート橋が架橋されて、人々の生活も随分ラクになったことでしょう。
先ほどの神社の本殿。
豪雪に遭っても、雪の重みで本殿が潰されないように「屋上屋を架」されています。
実際、神社とは「拝殿」よりも「本殿」こそが重要であり、ここだけでも被災しないように様々な工夫が為されているのです。
「西東京バス」ターミナルビル。
「バスタ新宿」とは比べるまでもないのですが、この建物こそが奥多摩の各集落の結節点として機能しているのです。
奥多摩町役場。
駅にほど近い場所に所在しています。
ですので、住民の皆さんは役場で所用を済ませた後に、電車に乗ってすぐさま新宿や銀座にお出かけされることも可能なのです。
緑豊かな山間の風景。
この隘路は「柳小路」と呼ばれる通り。
狭い道ですが、この場所には民宿や小料理店が集中しています。
町内の「隠れたグルメスポット」と言えますね。
氷川大橋。
先ほどご紹介しました「土木遺産」のコンクリート橋です。
目も眩むような高さに架けられた橋ですが、町民の皆さんにとり集落と駅との距離を縮める「貴重な交通の要所」と言えましょう。
道路。
古建築もチラホラと観られる、歴史ある道です。
羽黒神社。
何やら由緒あるお社の様子です。
緑豊かな山地。
「世界にまるで不用の物なし」
南方熊楠の名言だそうです。
つまり、こういうことでしょう↓
「宇宙に満ち溢れるあらゆる生命・何なら生命以外の器物であれ概念であれ、それらは全てこの世界に存在する権利がある!」
今は閉店した銀行建築...らしいです。
...というわけで、出発地点・JR奥多摩駅に戻って参りました。
この後、私はエキナカのカフェにてキーマカレーを味わいましたが、その際の記事は日を改めてご紹介します。
ところで、23区もん共の自然に対する認識は、おそらくこんなものではないでしょうか↓?
「自然はか弱いものだから、我々都市生活者が守ってやらねばならない!」
一見すると「もっともらしい」ですが、よくよく考えるとこのような思考は非常に愚かしく滑稽なものです。
何しろ、自然を生かすのも殺すのも「都市生活者」次第であり、自然を「都市に隷属させるもの」という考えが見え隠れするからです。
しかし、23区もんの目には、おそらく「天狗」「山姥」のように認識されている奥多摩町の9割は、このような認識の基、日々を農業・林業・鉱業その他の「虚業」以外の職で生活の糧を得られているのでしょう↓
「そもそも、自分たち人間は自然の一部に他ならないし、自然を人間がコントロールしようとするなんて烏滸がましいにもほどがある」
現在、日帝残滓でしかない神社の樹を伐採するかしないかで、意識高い23区もん共は揉めに揉めています。
田舎町に在住している私個人はその揉めごとを静観しているのですが、23区もん共からは「小池〇合子の手下」と看做されている奥多摩の住民の皆さんも、そのほとんどは伐採反対運動には乗れないでしょう。
「鉄骨とコンクリートとアスファルトに囲まれて、暑い時には木陰に入らずテキトーなビルやコンビニや交通機関にとびこんで涼を摂る連中が、どのツラ提げてこんな時だけ『自然の味方』を気取るのか...
_(:3」∠)_」
という具合に。
次回のブログ更新は、同じ日の午後に青梅市を逍遥した際の記事をお届けする予定です。
皆さん、楽しみに待っておくんなんし!
(罵詈雑言・個人攻撃・誹謗中傷大歓迎!)