皆さん、アンニョンハセヨ(こんにちは)!
お久しぶりです。
今回より5回に亘り、JR九州の株主優待券を用いて釜山・慶州を旅行した際のルポをお届けします。
2024/03/08(金)~2023/03/12(火)にかけて、私は韓国に渡航しておりました。
より詳しく申しますと...
・海辺列車
・スカイカプセル
・慶州(世界遺産の史跡+市街地)
・釜山駅エキナカ食堂街
をそれぞれ訪問して、観光列車に試乗したりレンタサイクルでサイクリングを満喫したり、はたまたグルメを堪能したり...と楽しんできました。
写真をご覧になりますと一目瞭然ですが、今回は天候にも恵まれて絶好の行楽日和に韓国を訪れたわけです。
韓国、大陸よりのからっ風が吹いて雲ひとつ無い青空の拡がる3月初旬が、旅行には最も良い時期かも...???
テーマ:海外雄飛の第一弾は、釜山市内に所在する海雲台(ヘウンデ)の遊覧鉄道「海辺列車」に試乗した記事です。
観光パンフレットにも目ぼしい記事が掲載されていませんので、少々Wikipedia先生をカンニングしますと...???
「海辺列車」に関してはWikipedia先生もご存じないらしく、記事が作成されていませんでしたので、代わりに海雲台について記述します。
この地は「朝鮮八景」のひとつとして名高い景勝地だそうです。
新羅時代に文人・崔致遠(号・海雲)がこの地の景観を絶賛し、岩に「海雲台」と彫ったことが地名の由来とされています。
また、古くから湯治場としても知られており、新羅の真聖女王も湯に温泉に浸かったことがあるそうです。
大韓帝国時代に近代的な温泉施設が整備され、その後は日帝統治時代~韓国の民主化前夜まで海雲台は鄙びた温泉地(要は「知る人ぞ知る名所」)という立ち位置だったようです。
それが一変したのが1994年の「観光特区」指定。
これ以降、海雲台は超高層ビルの建ち並ぶ「ハイテク未来都市」へと変貌していったのです。
拙ブログ記事で取り上げます「海辺列車」は、海雲台ブルーラインパークの敷地内を走る路線ですので、形式上は「遊覧列車」となる模様です。
観たところ、バッテリー駆動のトラムらしく、架線がありませんでした。
私は「海辺列車」並びに、その上空を走る「スカイカプセル」に試乗したわけです。
長々と説明しますのでアレですので、写真を観てみましょう↓!
先ずは始点・尾浦(ミポ)停留所近くから。
この辺り、廃線となった路線の跡で、公園(ブルーラインパーク)遊歩道の一部となっています。
ハングル・繁体字・カタカナ・アルファベットで「海雲台」という表記が、訪れる観光客を出迎えてくれます。
線路。
「海辺列車」の上空には、「スカイカプセル」という遊覧モノレールが並走しています。
日を改めて、そちらもご紹介します!
朝の陽光に照らされて、目映いばかりの「海辺列車」「スカイカプセル」の路線。
そしてコチラが「海辺列車」にて実際に走行する電車です。
観たところ、昔懐かしい「トラム」をイメージしていますね。
韓国、実のところ「路面電車輸出国」でもありますが、国内ではその路面電車は一カ所も走っていません。
「国内で路面電車を堪能する気分」は、今のところ、このような場所でしか味わえないのです。
畑。
「超高層ビルの建ち並ぶ未来都市」に塗り替えられつつある海雲台ですが、今なおこの地で畑を耕して生活される方々も多いのです。
...というわけで、電車に試乗してみます!
車内。
この列車の特徴としては、座席が全て海に面している点。
要は「観光に特化した車両」ということです。
出発!
絶景の中を、バッテリー駆動の電車はスイスイ走って行きます。
東海(日本海)・遊歩道・松林...。
途中、屋根を青く塗装している古い民家が見えてきます。
これらの「青い屋根の民家」に関しましては、自分の思うところを「まとめ」にて記述いたします。
終点・松亭(ソンジョン)停留所。
私はここから、すぐさま折り返して尾浦停留所まで戻りました。
にしても、電車のデザインは洗練されていますね。
バッテリーカー内部。
こうして観ますと、電車というよりもスタジアムの観客席のようにも感じ入りますね。
すれ違い。
電車は赤・青・緑・黄色と、非常にカラフルです。
それでいながら、どぎつさも感じられず視覚的にも優しい色遣い。
デザイナーさん、なかなか人間工学を研究され尽くしている模様ですね。
タルマジトンネル。
路線で唯一のトンネルです。
...というわけで、尾浦に戻ってまいりました!
大体1時間程度の試乗でしたが、存分に楽しめる。
機会があれば、また乗りたくなりました!!
さて、私が今回印象に残ったことは、車窓から見える「青く塗装した屋根瓦の民家」です。
おそらくは、この地がまだささやかな半農半漁の集落だった頃――おそらくは朴正煕による軍事独裁政権時代――から、この地に佇んできた民家の数々でしょう。
自分は何故、この地の民家の屋根に青の塗料が用いられたのか?を考察してみました。
よくよく考えると、「青」という色彩は自然界には滅多に存在しないのですね。
即ち、自然の中で「青いもの」といえば、空と海しかお目にかかれない。
勢い、青は人工的に生成する必要性があり、それ故に手間暇もかかるし高価にもなる。
朴正煕時代の政策「セマウル運動」は、都市と農村の格差是正も課題でしたが、それにより貧困を脱した農家・漁家も多かったはずです。
つまり、当時の農家・漁家の間で屋根瓦を青く塗装することが流行したのは、
「わが家では貧困を脱して、高価な青の塗料で屋根を葺けるほど経済的な余裕が生まれた」
...という誇示の証左ではないでしょうか?
もちろん、コレは私の独りよがりな見解ですが...。
次回のブログ更新は、今回に引き続いてブルーラインパークの「スカイカプセル」に試乗した記事をお届けする予定です。
皆さん、キデハセヨ(ご期待ください)!
(罵詈雑言・個人攻撃・誹謗中傷大歓迎!)