皆さん、うちんブログば閲覧してくんさいまして、あいがとうございます。

 

今回は、お約束通りに嬉野温泉を訪れた「株主優待券の限界旅」の記事をアメブロに投稿したいと思います。

 

訪問日は2024/01/28(日)。

この日も好天で、絶好の散策日和となりました。

只、私が早朝にネットカフェを出た際は、小雨がぱらついていましたが...。

この日、私は「シーボルトの湯」にて、一風呂浴びて参りましたので、その際の感想をも書き連ねます。

 

...というわけで、ここにて観光案内パンフレット・並びに私が購入しました「嬉野市歴史観光ガイド」という書籍をカンニングしまして、この地の歴史と文化について講釈をいたします。

 

嬉野温泉の歴史は、730(天平2)年に『肥前国風土記』の記述から始まります。

『肥前風土記』の記述は飽くまでも推定ですが、この時期に「塩田川郡の北」に湯の湧く場所が確認され、それが嬉野温泉と比定されています。

そして、仏教伝来と共に茶種をも伝わります。

その結果、中世には嬉野の地は次第に湯治の湯けむりと茶園の拡がる、豊かな大地へと変貌していったのです。

「嬉野茶」のブランドが確立したのは、どうやら江戸時代に入ってからのようです。

江戸時代、嬉野は宿場町として栄え、旅人をもてなす飲み物として、そして土産品として嬉野茶は人気を博しました。

そして近代に入ると、この地にも祐徳馬車鉄道・続いて嬉野電車と鉄道が開業して、湯治場を訪れる観光客はうなぎ登りに増加して行きました。

現在はどちらの鉄道も廃止され、バスに置き換わっていますが、それでもこの町は今なお湯治客を歓待しているのです。

 

それでは、写真を観てまいりましょう↓!

 

嬉野温泉バスセンター。

私が赴いた日は、ちょうどバス料金のフリーデイでした。

つまりJR武雄温泉駅から、無料でここまでバスを利用することができた...というわけですね。

 

長崎街道嬉野湯宿・西搆口跡の石碑。

この湯治場は、長崎街道の宿場町でもありました。

よって、江戸時代にはこの場所に搆口が所在していたそうです。

 

豊玉姫神社。

古代より、この地を守り続けてきた社。

嬉野温泉の氏神として、古来より住民の皆さんに親しまれてきました。

ここの神様はナマズだそうで、かつては嬉野の住民は「豊玉姫大明神」の使いであるナマズを食すと罰が当たる、と戒めていたそうです。

 

古い旅館。

 

「シーボルトの湯」

この建物は、かつての「古湯温泉」であり、1924(大正13)年にそのエレガントな外観を以て建設されました。

老朽化と2005年に福岡・佐賀両県を襲った大地震を機に、建物は解体されてしまいましたが、その後に嬉野のランドマークの消滅を惜しむ市民の声もあって2010年に復元。

「シーボルトの湯」と名も改めて再出発を果たしました。

私はこの温泉施設にて、のんびり湯に浸かって浮世の垢を落とし、その後に銭湯の定番・コーヒー牛乳を飲みながら、まったりした時間を過ごしました。

 

「シーボルトの湯」の近辺に佇む金仏。

詳細は手許の資料には掲載がありませんが、ともあれ、人々から大切にされてきたことが窺えますね。

 

足湯。

「シーボルトの湯」を模しています。

 

またまた古い旅館建築。

 

芝居小屋。

温泉地には、芝居小屋が欠かせません。

町から町へと渡る「旅芸人の一座」にとり、温泉地は稼ぎの場であると同時に「旅の疲れを癒す場」でもあったのでしょう。

この日も、役者さんが顔なじみであろう住民の方に、ご挨拶をされていました。

 

石仏。

シンプルですが、細かい技巧の施されていることが窺えますね。

 

水神様の石碑。

どうやら、仏様は具体的な姿かたちを伴って表現されるのに対し、神道の神様には容貌を定めてはならない...という「暗黙の了解」がある模様です。

この石碑も例外ではなく、どんな神様なのか?という「顔」ではなく「水神」という文字にて神様を表現しています。

 

この辺りに、江戸時代には東構口が設けられていました。

但し、私個人は「洋風建築の商家」がインパクトに残りましたので、建物の方をご紹介させていただきます。

 

これは...???

どうやら「大人のお風呂屋さん」の模様。

この建物の他に数軒所在していましたので、まとめてご紹介します。

 

セクシーな天女の画。

この隣に興味深いお地蔵様が佇んでいましたが、コンパクトデジカメで撮影し損ねていました。

そこで印象に残ったこの画を掲載します。

 

温泉ホテル。

結構威圧感ありますね。

このホテルが建設された経緯は分かりませんが、あまりにも巨大すぎる建造物を建てるに当たっては、地元で強硬な反対運動が起こったはずです。

 

 

 

「大人のお風呂屋さん」三連発。

このテの建物、一目見て周囲の建物とは異質であり、それ故に「子どもが立ち寄ってはならない」というオーラも放っています。

チープでキッチュですが、この種の建築物も将来は、あるいは日本建築史の研究対象となるかもしれません。

 

雑居ビル。

如何にも「昭和」という感じですね。

 

...というわけで、旅の全行程を終えてバスで鹿島駅へと向かいました。

 

温泉街散策・そして実際に湯に浸かるという体験、私にとっては久しぶりです。

現在、例の疫病の蔓延により、温泉・サウナ・銭湯・特殊浴場は苦難に面しています。

いくらウィルスが「高温に弱い」からと言っても、何処で病原体を貰ってしまうか判らない。

よって「外で風呂を浴びる」という文化は、ここ数年で廃れる寸前まで行ったのです。

しかしながら今回の温泉街探訪を振り返ってみると、どうも人類はあのウィルスを「克服」しているような感もしてしまいました。

誰もがあのウィルスに慣れてしまい、ウィルスと共存する知恵を身に着けた所為か、最早温泉街には当たり前のように観光客が闊歩しているのです。

もっとも、それは人類がウィルスを「見て見ぬフリ」「もう病原体なんて弱体化した...と思い込んでいる」だけなのですが...。

 

次回のブログ更新は、テーマ:フードポルノにて今回の佐賀県旅行のグルメルポを投稿する予定ですが、来たる旅行のために間を措きます。

 

皆さん、次回んブログ更新ば楽しみに待ってくれん!

 

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