皆さん、わしんブログぅ閲覧しちくれち、ありがとうごだいます。
少し間が空きましたが、これより株主優待券を用いてJR日豊本線の駅舎を巡りました記事をお届けいたします。
日にちは昨年2023/11/26(日)。
実のところ、日豊本線の駅舎を探訪するのは、当初の旅行の予定にはありませんでした。
ところが、津久見まで行く最中、何気なく車窓風景を眺めてみましたところ、この路線には数多くの懐かしい木造駅舎が随所に観られることが判明しました。
それらの駅舎のどれもが、実に素晴らしい建築ばかりです。
そこで急遽、旅の帰りしなに木造駅舎の数々に降り立ち、写真を撮影することとしました。
具体的には、駅名表示板・駅舎ホーム側・駅構内・駅舎出入口付近の写真を撮影。
例外もありますが...。
駅名表示板、お人形さんとのツーショットとなっていますが、それは当日スマホカメラが使用不能となっていましたので、後日Facebookに投稿する際の「お約束事」を守りたかったわけですので。
まぁ、ご愛敬ということで
(;^_^A
それでは、Wikipedia先生をカンニングしながらとなりますが、写真を観てまいりましょう↓!
出発地点。
日代駅。
1916(大正5)年開業。
前回もご紹介しましたが、私はここから帰路に就きました。
そして「日豊本線駅舎巡り」の出発点でもありますね。
駅舎内部。
駅名表示板。
ちょっとのんびりと、気長に電車の到着を待ちました。
この時、自分のスマホはたまたま使用不能となっていましたが、ヒマでしたら持参した本を読んで気を紛らわせましたので...
(;´∀`)
上臼杵駅。
駅名は「かみう♡」となっています。
なかなか洒落の利いた表示となっていますね。
因みに、臼杵駅も「う♡」と表示されている模様。
駅舎。
1917(大正6)年開設。
駅舎は、開業当時のまま...らしいです。
Wikipedia先生も、詳細は教えてくれませんでしたので...。
駅舎内部。
「提げもの」が印象的ですね。
そして昔懐かしい香りも、存分に楽しめました!
熊崎駅。
この日は早朝とは打って変わって、午前も遅くなると天候が回復して暑いほどになりました。
自分も厚着をし過ぎたことを、後悔してしまいました。
跨線橋から眺めた駅舎。
なかなかの古さですね。
こちらの駅舎は、上臼杵駅に遅れて1920(大正9)年の開業。
そして駅舎内部。
ここで考えあぐねて、私はお隣の「下ノ江」駅まで徒歩で歩いて行こうか?と思いました。
けれども、あまりの暑さに断念して大人しく電車を待つこととしました。
下ノ江駅。
ホーム側から観た駅舎。
1915(大正4)年と、早めの開業となっています。
そして外側。
この駅には、興味深い逸話があります。
駅の開業後、不審な事故の多発に悩まされた駅長が、霊媒師に相談したところ、
「これはキツネの祟りに違いない」
との託宣がありました。
実際に駅の造成工事中にキツネの巣を破壊していたことが判明し、巣に棲息していたキツネの霊を鎮めるために1930(昭和5)年、稲荷神社を建立したところ、事故はパッタリ起こらなくなったとか。
今でも、この駅では神社の建立の日である11/03に例祭を執り行うこととなっています。
西大分駅。
大都会・大分市は大分駅のお隣に、小さな木造駅舎が所在しています。
このこと、鉄道マニア以外の方には存外知られてはいない模様ですね。
ホーム側から眺めた駅舎。
開業は古く、1911(明治44)年だそうです。
この駅は貨物駅でもあり、駅舎の東南にはコンテナ専用のホームも完備しています。
但し、コンテナ用ホームは一般客の利用は不可ですので、その点をお間違えないように!
そして外側から駅舎を撮ります。
居並ぶ自転車が、大層圧巻でした。
駅に駐輪場は無いのかな...???
東別府駅。
自分の考えたモノですが、
「西大分駅は別府駅の東に、東別府駅は大分駅の西に位置する」
...という、ややこしいトリビアを編み出しています。
まぁ、どうでもいい知識(=トリビア)ですので、気にされなくても良いです。
そして駅舎。
1911(明治44)年開業。
開業当初の名称は「浜脇駅」。
駅舎は2003(平成15)年、別府市の有形文化財に指定されました。
無人化はされているものの、JRのOBによって駅業務が委託されています。
駅外観。
ブログには掲載しませんが、この駅には地元の美術専門学校の手によるアニメ調のキャラクターのイラストが掲載されています。
日中韓の、それぞれの国の漫画家・アニメーターの卵の学生の皆さんによる、活き活きとしたキャラクター、一見の価値あります!
いよいよラストの駅・宇佐駅に到着しました。
ここ、気になる看板がありますので、この駅で乗り換えをしないことには大分から帰朝した気になれません。
そしてコレが、その看板。
「おおいた萌えおこしプロジェクト」という今は消滅している広告会社の考案した美少女キャラです。
その他にも大分県の市町村(18自治体)と同じ数だけのキャラクターがいましたが、どうも「萌え」でまちおこし・特産品のプロモーションを行うのは、昨今では流行らない模様です。
盛者必衰諸行無常。
かつてでしたら、ここに掲載しました駅舎の他にも「亀川駅」という駅舎も風情のある木造駅舎の佇まいを見せていました。
しかし、駅は老朽化に加えて保存運動もさほど盛り上がらなかったために解体されてしまい、今現在は無味乾燥な鉄筋コンクリート造りの駅舎に改築されています。
私の悪癖は、
「自身の在住する地元の文化・景観にはトコトン関心を寄せない」
という点です。
私は大学院生時代の2年間だけ、別府に居住していましたが、大分県内にあれほど魅力のある建築・景観・街並み・自然が遺されているのにも拘わらず、温泉にすら滅多に足を運びませんでした。
大学院生時代の自分は、論文とレポートの執筆の他には、偶に明林堂書店で本を購入するor大分市内で買い物をするという味気ない生活を送っていました。
だからこそ、木造駅舎時代の亀川駅の写真を撮影し損ねたことを悔やんでいます。
今現在の私が大学院生時代の私自身に逢うことになれば、こう言い残したい↓
「何時までもあると思うな駅建物」
次回のブログ更新は、今回の限界旅にて味わった食レポ(テーマ:フードポルノ)の記事をお届けする予定です。
皆さん、次回んブログ更新ぅ、楽しみに待っちくりぃ!
(罵詈雑言・個人攻撃・誹謗中傷大歓迎!)