皆さん、アンニョンハセヨ(こんばんは)!

 

これより、2023年夏の釜山旅行ルポの、第二弾をお届けいたします。

今回、東萊府東軒周辺を散策した直後に、東萊温泉界隈を歩きました。

この温泉街の様子を、写真にて振り返ります。

但し、私自身は街歩きを行ったものの、温泉には浸からなかったのですが...

 

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さて、今回歩いた温泉街・東萊温泉地について『地球の歩き方 韓国』『まっぷる 釜山』にて調べよう...と思いましたが、どちらもホテルや食の情報は充実しているものの、この温泉地の歴史・文化に関する記述はほとんど載っていませんでした。

よって今回もやはり、Wikipedia先生をカンニングしての予習となります。

 

東萊温泉地は、新羅時代の683年にその記述のあるほどの、歴史ある温泉です。

この温泉にまつわる伝説としては、かつてここに足を折った白鶴が三日間羽を休め、その飛び立った後に温泉が湧いた...という由来があるそうです。

李朝時代末期より、この場所は温泉街として整備され、現在は一大観光地として栄えています。

 

...というわけで、簡潔でしたが予習はここまでとして、写真を見てみましょう↓!

 

地下鉄(というか、高架駅になっていた)東萊温泉地駅を降りて、すぐの場所。

ド派手な色彩の看板を撮りましたが、だがそこがいい!

 

キリスト教会と、その背後に建つ超高層ビル。

今回の旅行では、至る所でキリスト教会を目にしました。

私のイメージでは、フィリピン=カトリックの国・韓国=プロテスタントの国です。

 

如何にも下町らしい光景。

 

アーケード街。

こうして観ますと、この地も昔からほとんど変化のない光景が随所に遺されている...という感ですね。

1960~1970年代の釜山の街並みは、私も写真ですら見たことがないのですが

 

(;^_^A

 

古いビル街を近景として、遠方に超高層ビルを眺めます。

 

漢字が出てこないのですが、このビルは「ソナリャン」と呼称する会社のようです。

私のノーパソでも出てこない漢字ということは、「言偏に先」という文字は韓国独自の、言わば「国字」ではないか?と。

 

商店街。

おばちゃん方が切り盛りされている、活気のある店舗がズラリと並んでいました。

 

1970~1980年代辺りの築?と思われる高層マンション。

よくよく見ますと、屋上が緑化されていますね。

 

上を見上げていてもキリがありませんので、ここいらで一旦目線の高さの写真を。

どうやら海鮮居酒屋らしい店舗にて、おねえさんの微笑むポスターが。

このテのポスター、嫌いではありません。

 

銀行建築。

何処か「沖縄の現代建築」を彷彿させますね。

 

タイル貼りのこの店舗は、どうやら飲食店らしい。

私はハングルの意味は解せないものの、発音はある程度解ります。

この店舗は「トンヨンシクタン」(東洋食堂)と読むらしい。

 

電話ボックス。

スマートフォンが大普及している現代においては、このような電話ボックスも、最早「トマソン」同様の扱いをされているでしょう。

...但し、災害時には電話ボックスは非常にありがたい「通信インフラ」に早変わりをしますが。

 

東萊別荘。

どうやら、日帝時代に建設された料亭か何からしい。

日本語の解説パネルもありましたが、しっかり読んでおけばよかった...

 

_| ̄|○

 

どうやら、矢印の先には仏教寺院が所在するらしい。

韓国の都市部では仏教寺院は目立たないものの、信者はそこそこ多いそうです。

また、韓国でも一部の仏教宗派は儒教やシャーマニズム・あるいは批判的な受容ですがキリスト教思想をも習合しているとか。

 

キリスト教会。

 

「東萊温泉探勝」石碑。

どうやら、日帝時代に建てられた石碑のようですね。

朝鮮戦争を搔い潜って、よくぞ遺ったものです。

 

街中の不思議なオブジェ。

本当に、今回の旅では様々な「街角アート」に出くわしました。

 

低層ビル街に、埋もれるように佇むキリスト教会。

実のところ、私も釜山の街中にここまで当たり前のようにキリスト教会が多々建立されていたとは、思いもよりませんでした。

 

建設中の超高層ビル街。

如何にも「近未来サイバーパンクSF」という景観が、近い将来この街に出現するのでしょう。

 

ラストの写真は、かつて釜山を走っていた路面電車で。

実のところ、釜山のバス交通のシステムは、完全に日本の路面電車と互換性があります。

韓国、路面電車の輸出国でもありますが、本国では路面電車を何処にも走らせていません。

その理由は、先ずはトルコ等の海外で「社会実験」を行い、そのデータ次第で自国でLRTを敷設するか否かを決定する...という判断ゆえでしょう。

 

今回、私は東萊温泉地界隈を散策したわけですが、街中を歩いていて思いました。

 

「この感覚、何処かで見覚えがある」

 

その既視感、ちょっと考えて判明しました。

大友克洋『AKIRA』の世界観そのままです。

『AKIRA』にて描かれた近未来の東京(ネオ東京)は、それまでの未来都市の描写の常識を覆すものでした。

何しろ、超高層ビル街の真下には昭和30年代から持ってきたような木造家屋密集地や商店街・アーケード街が拡がり、その中を治安維持ロボットが徘徊するという描写ですから。

他のサイバーパンクSFも、昔懐かしいアーケード街の一角で、ハッカーが電子戦を闘っていたりする描写は珍しくありません。

今回訪れた東萊温泉地界隈も、1960年代からほとんど変化のないように見えるアーケード街・商店街・個人商店の目線の上には、目もくらむようなハイテク超高層ビル街が拡がっているという、まさしく「サイバーパンクの世界観」でした。

自分も何度かこの街を散策してみたら、あるいは傑作サイバーパンクSFのアイディアを思いつくかもしれません。

 

次回のブログ更新は、釜山旅行ルポ第三弾として、ロッテ百貨店~中華街を辿ってみた記事をお送りする予定です。

 

それでは皆さん、次回のブログ更新をギダリョジュセヨ(楽しみにお待ちください

い)!

 

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