皆さん、アンニョンハセヨ(こんばんは)!
今回は、実に3年ぶりの海外旅行記をお届けします。
場所は釜山。
2023/08/24(木)~2023/08/28(月)にかけて、行ってまいりました。
そしてメインで観光に出歩いた日は、2023/08/26(土)。
前回私が海外に繰り出したのは、例の疫病が大流行する直前・2020/01/06(月)~2020/01/08(水)にかけての台北旅行以来です。
そして韓国釜山に出かけるのも、2019/08/09(金)~2019/08/11(日)以来、実に4年ぶりです。
前回は、釜山駅周辺を観て回ったのみでしたが、今回は地下鉄でちょっとだけ遠出をいたしました。
とはいえ、同じ「釜山市内」には変わらないのですけどね。
今回は釜山駅前の「東横inn」を根城として、東萊(トンネ)府界隈・東萊温泉周辺、並びにロッテ百貨店~中華街を歩いてみました。
実に印象深い旅でしたので、SNS(X・Meta)ではここのところ、その話題ばかりを掲載しています。
それでは恒例ですが、ここでWikipedia先生をカンニングして今回訪問した東萊界隈について予習しましょう!
東萊府(トンネブ)の歴史は古く、757年に統一新羅により東萊郡が置かれたのが最初です。
その後、県に降格されたり都護府に格上げされたりと、有為転変の激しい来歴を辿ります。
府→県→都護府等の変遷は、どうやら日本との関係の悪化や改善の度にそうなっていた模様です。
そしてこの街が今の形に落ち着く直前には、1910年に東萊府が釜山府・東萊郡に分割されています。
1957年、この地は釜山市に編入されて「東萊区」が発足しましたが、今現在は水営区・海雲台区・金井区・蓮堤区に分割されています。
それでは予習はここまでとして、写真を見て行きましょう↓!
地下鉄東萊駅周辺。
駅前でスマホを立ち上げると「公共安全警報」という表示が出てきてビビります。
韓国では国防上の理由により、駅やフェリーターミナル等の交通施設の写真を撮影することがご法度だそうなので...。
そんな理由で、先ずは駅前で見かけた韓屋の写真を。
おそらくは、何らかの飲食店でしょう。
釜山の街中を歩いてみますと、時折不思議なオブジェに出くわします。
私も今回の旅で、そんなオブジェの数々を撮影しました。
街中のビル。
広告幟。
どうやら、アチラでは人気の女の子向けCGアニメのようです。
再度不思議なオブジェを発見。
なかなか洗練されていて、眺めるだけでも楽しくなります。
ここからしばらく、東萊府東軒の写真をご紹介。
李氏朝鮮時代の官衙で、釜山市内では最大規模の木造建築だとか。
日帝時代にも解体されず、朝鮮戦争の難をも免れた「奇跡の建築」です。
こちら、二人の守衛が立っているように見えますが、実は人形です。
私はここから内部に入りました。
忠信堂。
この政庁のメインの建物です。
ここで裁判・政務などが行われていたのですね。
建物、結構カラフルですね。
手前に見えますのは、李朝時代に用いられていた拷問具...のようです。
「韓流ドラマで見たことがある」
...という方も多いでしょう。
この他にも、東萊府東軒には印象的な建物が多々遺されています。
しかし、私も全てを紹介しきれませんので、かいつまんで写真をご紹介。
...にしても、門ひとつを取ってもコリアンの美意識が顕れていて、なかなか興味深いものですね。
その他にも、アレコレ写真を掲載します。
コチラの地味目な建物は、確かウマをつなぎ留めておく施設だったかと。
間違っていたらスミマセン。
これまでのカラフルな建物とは打って変わって、木材の自然の色を活かした建物ですね。
東萊府東軒を出て、市場へと向かいます。
賑やかで活気のある様子が、写真からも伝わってきますね。
ネコちゃん。
かなり齢が行っていると見受けられます。
このネコちゃんにとり、人間界の朝鮮半島の南北対立は「我関せず」なことなのでしょう。
今回、私は「東萊邑城址」というかつての城跡を見学しようと思っていました。
...しかし、そこまで行くには徒歩では思いのほか遠かったので、断念。
途中で引き返しました。
その際に見かけたのが、コチラのお寺(?)。
お寺というよりも、仏教系の団体のようですね。
ラスト。
再度東萊府東軒に戻り、裏手のユーモラスなオブジェを撮影。
韓国の一般庶民の逞しさが、ユーモアと共に表現されていますね。
...如何でしたでしょうか?
私にとり4年ぶりの釜山旅行でしたが、海外に出てみますと様々な発見があり、驚かされます。
それにしても韓国の街中の案内表示板、国際化の時代を迎えているのでハングルのみならず英語・中国語・日本語での表記もあるはず・少なくともローマ字での表記はあるだろう...と、タカを括っていたところ、見事なまでに「ハングル」ばかりで外国語の表記がほとんどありませんでした。
おそらく、これは「国防上の理由」からではないか?と。
少なくとも福岡では、バス・鉄道での多言語表示は当たり前ですので、これは多分にカルチャーショックでした。
まぁ、準戦時体制下にある韓国では、国防上の理由?でハングルのみの表記しかしないことは仕方のないとは思いますが...。
私とは逆に、釜山から福岡に旅行した韓国人の方ならば、こんな感想を漏らすでしょう↓
「福岡では多言語表記が当たり前のように行われている。わが国が本当に日本から見習うべきは、コレではないか?」
次回のブログ更新は、東萊温泉界隈を来訪した記事をお届けする予定です。
東萊温泉界隈、正に「サイバーパンク」を体現する都市景観でしたので、そんな世界を垣間見せる記事を執筆いたします!
それでは皆さん、次回のブログ更新をギダリョジュセヨ(楽しみにお待ちください
い)!
(罵詈雑言・個人攻撃・誹謗中傷大歓迎!)