皆さん、わしんブログを閲覧してくんないまして、ありがとうございます!

 

今回はテーマ:鉄道探訪として、旧高千穂鉄道の廃線跡を見学した記事をお届けいたします。

...と申しましても、私が観た場所は「日之影温泉駅」の近辺のみでしたが...

 

(;^_^A

 

例に倣ってWikipedia先生をカンニングしまして、高千穂鉄道の概要をご説明いたします。

 

第三セクター高千穂鉄道の前身は国鉄高千穂線。

1935(昭和10)年に延岡駅~日向元岡駅間が開通しましたが、高千穂町にまで達したのは1972(昭和47)年になってのことです。

この路線は、さらに熊本県の国鉄高森線(現・南阿蘇鉄道)とも繋げる計画がありましたが、トンネル掘削工事の最中に出水事故が発生して、結局のところ延伸は断念せざるを得なくなりました。

今現在、熊本県側の出水事故のあった工事区間は「高森湧水トンネル公園」として再利用されています。

1989(平成元)年、国鉄分割民営化・JR発足を機に、赤字路線でもあった高千穂線は第三セクター「高千穂鉄道」として再出発。

この路線は1982(昭和57)年の台風被害の際は、年内に全線復旧が完了したそうです。

ところが、2005(平成17)年に再度台風の直撃に遭った際は、路線がこれまでにない甚大な被害を受けてしまい、その影響で2008(平成20)年に全線が廃止の流れとなりました。

 

さて、今回はその高千穂鉄道廃線跡の、僅かな部分しか撮影できませんでしたが、ともあれ写真をご覧ください↓!

 

日之影温泉駅。

かつては「日之影駅」という名称でしたが、1995(平成7)年にこの駅名に改称されました。

現在は鉄道駅から温泉施設・土産物店・食堂として、観光客のみならず地元住民の皆さんにも親しまれる施設として生まれ変わっています。

 

足湯。

この施設では、温泉に入ることもできます。

今回、私は温泉には浸かりませんでしたが、折角なので入浴しておけばよかった...

 

_| ̄|○

 

足湯の屋根。

山小屋風ロッジですね。

 

ここに鉄道駅のあった象徴。

生憎、車両の型式までは判然としませんでしたが...。

 

現在、この鉄道車両は宿泊施設として再利用されています。

 

踏切。

本来の用途を果たさない構造物(つまり無用の長物)のことを、アート界隈の用語で「トマソン」と呼びます。

自分も列車を遮らない、単なる意匠であるこの踏切のような「トマソン」的構造物が大好きで、旅先で出くわすことがあれば「ラッキー!」と思って積極的に撮影することとしております。

 

 

駅名表示板+名所案内表示板。

定期的にメンテナンス・表示板の交換は施されているとは思いますが、この場所が「鉄道駅」であったことの名残です。

 

車両を背後から撮影。

 

路線跡。

今現在は、コンクリートで覆われています。

 

高千穂鉄道の車体は、途中で断ち切られています。

おそらく、1両丸ごと使ってしまうと広すぎるし客単価的に割が合わない...という判断があったのでしょう。

 

 

 

...というわけで、コンクリートで覆われた駅前の路線跡を端から端まで歩いてみました。

乗降客で賑わっていた頃の面影を、一部だけでもよくぞ遺してくださったものです。

 

さて、ここから駅を出て、高架跡を辿ってみました。

駅周辺から離れてみると、路線跡は今なお「雑草の生えた砂利道」として廃線当時の姿を保っている模様ですね。

 

何となく、この電柱が気になりました。

看板の製作所の広告のようです。

但し、電✖・博〇的な「広告代理店」ではなく、町工場的な小さな店舗の模様ですね。

 

この辺りから、路線跡は山の中へと吸い込まれて行きます。

このテのトンネル的な場所、暑い最中or天候不順時には日光や雨が遮られるので有り難いですね。

 

そしてトンネルの中へ...。

入ってみますと、瞬時にセミの鳴き声もコンクリートに遮断されてますので、それまでの喧騒がトーンダウンします。

 

トンネルの中に、鉄製の鳥居が。

この場所の先には、小さなお社が所在しているらしいですね。

「鉄の鳥居」というのも、なかなか珍しい...。

 

...というわけで、出発地点の日之影温泉駅に戻ってまいりました!

 

日之影町のお隣・高千穂町では、今現在高千穂鉄道の路線を活かして、トロッコ列車「高千穂あまてらす鉄道」を運営しています。

考えてみますと「トロッコ列車を運営する」ということも、廃止路線の活用法としては大変理にかなっているのですね。

鉄道路線を廃止した場合、その跡は大抵「道路」「サイクリングロード」「遊歩道」に転用されます。

最悪手は、路線跡もかき消される「住宅地への転用」。

「トロッコ列車」への転用・メリットを考えてみました。

廃線跡をそのまま草むらorひび割れたコンクリート剝き出しのまま放置すると、やがては崩落事故の発生や不審者が身を潜めて女性や子どもに危害を加えかねません。

しかし、トロッコ列車に一部でも廃止路線が転用されるなら、事故の発生や不審者による何らかの事件を防止できますし、地元に雇用をも生み出します。

旧高千穂鉄道沿線住民の皆さんも、途切れ途切れでも良いですから防犯や事故防止・雇用のためにトロッコ列車を運営する同好会や団体・もしくは会社を立ち上げて、この路線を活用させてみては如何でしょうか?

そして行く行くは、新たな「高千穂鉄道」を再生させるのです。

 

さて、私は今週後半に釜山に旅行しますが、帰国後に急いで今回の宮崎県限界旅行記事の第四弾をお届けいたします。

次回の記事は、美々津~都農間のリニアモーターカー実験線の跡地を辿った記事を投稿する予定。

 

皆さん、次回んブログ更新を楽しみに待ってくんない!

 

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